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国家主義と民族主義(前編)

なぜ「民族」の語にこだわるのか

「歴史を忘れた民族に未来はない」
  朴槿恵大統領が就任早々の演説の中で語った言葉で、名指しこそ避けたもの、日本に対して向けられたものであるのは明白です。また2013年7月、サッカー東アジアカップでの日韓戦の韓国側応援席にハングルで書かれた同文の横断幕が掲げられ、スポーツに政治的メッセージを持ち込む行為だとして大いに物議を醸しました。

サッカーの試合になぜ「歴史」が出てくるのか。

 この言葉自体は朴大統領のオリジナルではなく、併合時代の独立運動家・申采浩(シン・チェホ)のものだそうですが、本来は「他民族に支配されることになった歴史を忘れてはならない」という意味で、「歴史を忘れた民族」は朝鮮人を指すのだそうです。朴大統領がそれを知らずに日本批難の言葉として使ったのなら、誤用ということになります。それはともかく、「国家」でも「政府」でもなく、「民族」であるところに注目したいのです。
 日本の新聞などでは、「ナショナリズムの台頭」とか「偏狭なナショナリズム」といった常套句を目にしますが、そもそもnationalismが、どう和訳されるかといえば、実はその定義は広く、辞書を引くと、国家主義、国民主義、国粋主義、民族主義などの言葉が並んでいますが、煎じ詰めれば「国家主義」と「民族主義」の2つに集約されるといっていいでしょう。つまり、帰属の意識を「国家」に求めるのか、「民族」に求めるのかの違いですが、この2つ、当然ながら、次元の異なる概念の言葉です。
 ところが、日本では、国家主義も民族主義もひとくくりにナショナリズムの語で語られ、それでいてさしたる違和感を憶えないのは、この国では、国家と民族の間の葛藤が限りなく希薄であるということを意味しています。日本国民=日本人(日本民族)という漠然とした公式が出来上がっているのです。世界的に見れば日本のような例はむしろ稀なのかもしれません。

いつの間にか、タブーとなった「単一民族」

「日本は単一民族国家である」、いつの間にかこの言葉はタブー扱いされるようになってしまいました。政治家やしかるべき要職にある人物の口からこの言葉が出たとしたら、たちまち、識者、とりわけリベラル派の方々から批判の声が挙がるのは必至です。「韓国朝鮮系(帰化人)を無視する発言だ」、アイヌ系は、沖縄人はどうなのだ、という具合に。しかし、ほんのふた昔前までは、むしろリベラル派の人の方が「日本は単一民族国家」という文句を好んで使っていたように記憶しています。曰く「日本は単一民族国家」だから、「国際的視野に立てない」、「排外的で内向きだ」、「コミュニケーション能力が低い」、「セコセコしている」と。どちらにしろ、「日本=単一民族」という言葉が持ち出されるときは、結果的に日本批判に向かうように仕組まれているようです。
 それを踏まえた上で、あえていうならば、大和民族も帰化人もアイヌ系も沖縄人も含めて、漠然とした「日本人」という概念はありうると思うのです。これを成立たらしめているのが、「和を以って貴しとなし」という聖徳太子以来のわが国固有の思想です。
「和」という語には二通りの意味があります。融和、講和、調和、平和という熟語に象徴される「結びつける」「仲良くする」という意味の和。それから、和風、和食、和服、和製という語にある「日本人」「日本式」という意味の和です。和とはこの2つの概念を内包している言葉であり、おそらくは外国語に翻訳不可能な言葉でありましょう。
 中国は本来、言語も文化も違う55の少数民族を抱える多民族国家ですが、それを束ねるために、共産主義という強烈なイデオロギーを必要としました。かつてのソビエト連邦もそうです。日本は、そういった全体主義イデオロギーを用いることをなく、「和」という良質の接着剤で人々をつなぎ、ひとつの国民国家を作ってきたのです。むろん、歴史的に見れば差別や地域対立などはあるかもしれませんが、それは大した問題ではないと断言します。なぜなら、それは制度の変更や地域社会の理解によって解決可能な問題であって民族対立ではないからです。地球上のどこの国でも地域でも民族対立というものすなわち殺し合いを意味します。
 むしろ、平和的共存が成り立っている日本という国をわれわれはもっと評価すべきかもしれません。しかし、その日本で、いらぬ"民族"対立を煽り立てる自称「マイノリティの味方」の偽善者、似非博愛主義者がいることも事実です。そういった輩に限って中共政府によるチベット人やウイグル人に対する非人道的な弾圧には見てみぬふりを決め込んでいます。それどころか、沖縄県民を中国第56番目の少数民族に編入しようと躍起です。真に警戒しなければならないのは、こういった勢力といえます。

「アメリカ人」の定義

 アメリカにおけるナショナリズムには民族主義の意味はありません。アメリカ民族なるものを想定するとすれば、スー族やチェロキー族といった原住民(アメリカ・インディアン)を指す言葉になってしまうからです。移民の寄り合い所帯であるアメリカでは、国家(nation)が拠りどころになります。WASPもアフリカ系もヒスパニック系もユダヤ系もネイティブ・アメリカンも東洋系も、アメリカ合衆国の国籍を持ち星条旗に忠誠を誓う者をして初めて「アメリカ人」と定義されるのです。アメリカにおけるナショナリズムは国家主義を意味します。
『或る夜の出来事』などで知られる映画監督のフランク・キャプラは、6歳で両親とともにアメリカに渡ってきたイタリア系移民でした。その彼は戦時中、陸軍の映画班に所属し、枢軸国を徹底的な悪玉として描いた戦意昂揚プロパガンダ映画『Why We Fight』シリーズを撮ることになります。これなど、彼が「イタリア人」という血を優先していたら、とうてい引き受けることのできない仕事でした。彼はあくまでイタリア系アメリカ人の愛国者として、先祖が眠る故国をアメリカのjusticeに仇なす敵と描く映画を製作したのです。
 よく韓国のマスコミが、アメリカ政府は戦時中の日系人の財産没収と強制収用に関して正式に謝罪している、それに比べ日本の殖民地支配に対する謝罪は不十分だ、といった旨の日本批判の弁を展開していますが、それこそ反日のためならいかなる無知も許されるという彼らの知性のほどを示した物言いでしょう。両者はまったく次元の異なる問題だからです。
 なぜ、アメリカ政府が日系人の強制収用を謝罪したのかといえば、日系人が、アメリカ国籍をもった「アメリカ人」であったからに他なりません。アメリカ政府が、自国民を峻別し、日系人だけを適性国民としてゲットーに押し込めたのです。同じ枢軸国の移民であるイタリア系のキャプラとその家族は収容所生活を経験していませんし、当時、アメリカにはナチを嫌ってやって来たドイツ人亡命者も多数いましたから、この政策の背景には、明らかな有色人種差別の思想がありました。

日系部隊と朝鮮志願兵

 東条英機といえば、戦後はいわゆるA級戦犯として、長らく悪名でしか語られてこなかった人物ですが、彼が、日米開戦の約半年前、ハワイの日系人学校に以下のような内容の手紙を送っていることはあまり知られていません。
「日系人は祖国アメリカに尽くせ。日系二世は、アメリカ人である。だから、あなたたちは自国に忠誠を尽くして当然である」
 すでに開戦は避けられぬとして、その際は、アメリカにいる日系人は祖国アメリカと故国日本との間で苛まれるに違いない、そう心を痛めた東条(当時は内閣総理大臣及び陸軍大臣)が示した武人の心です。
 その言葉を受けてのものかはわかりませんが、収容所の日系人の少なからぬ青年がアメリカ合衆国への忠誠の証として、志願兵となってヨーロッパ戦線に赴き、多くの戦死者を出しながら勇猛果敢に戦い抜きました。今もその功績はアメリカ陸軍の誇りと称えられています。彼らの活躍が日系アメリカ人の地位向上にどれだけ寄与したかは、ここに語り尽くせるものではありません。映画『ベストキッド』(原題The Karate kid)のダニエル少年の空手の師匠として登場するミヤギはこの日系部隊(第442連隊)の出身者という設定でした。またミヤギ役のパット・モリタ氏自身も収容所経験者だったそうです。

ミヤギ=宮城は沖縄に多い名前。


 余談ついでに書きますが、支那事変当時も横浜や神戸の中華街には、それぞれ30000人程度の中国人が居留していました。"敵国人"となってしまった彼らが、ゲットー(収容所)に入れられたという話は皆目聞いたことがありません。
「物のない時代だったので周囲の日本人とは助け合って暮らしていたし、少なくとも横浜にいる限りは不愉快な思いはしたことはない」と、これはNHKの特集番組で、当時を知る中華街の古老のおばあさんの発言です。
 いわんや、当時、朝鮮人は日本の国籍をもつ「日本人」でした。朝鮮系日本人には当初、徴兵義務がなかったのですが、昭和12年(1937年)支那事変が勃発すると在京朝鮮人を中心に「朝鮮にも徴兵制を施行せよ」という集会が数多く開かれました。翌13年、朝鮮人陸軍特別志願兵制度が施行されると2946人もの朝鮮人青年が応募し、そのうち406人が合格、晴れて大日本帝国陸軍の一員となったのです。その後も志願者数は右肩上がりで増加し続け、昭和18年度には定員6300人のところ、なんと30万3394人が殺到、倍率は48倍でした。

血書をしたため軍に志願した朴正煕氏。いうまでもなく、のちの韓国大統領。

国籍よりも民族としてのアイデンティティが優先される韓国系

 時は移って21世紀の現在。韓国人にとってのナショナリズムは、国家主義であるのか民族主義であるのか? 改めて彼らに問えば、間違いなく返ってくる答えは後者でしょう。
 たとえ、韓国系アメリカ人であっても、国籍としての「アメリカ人」よりも、民族としての「韓国人」(朝鮮人)が優先されると考えるのが彼らなのです。
 その象徴的出来事ともいうべきが、1996年に発覚したロバート・キム事件でした。米海軍情報局に勤務していた韓国系アメリカ人ロバート・キム(韓国名キム・チェゴン/当時=54歳)が、北朝鮮関連の機密情報を駐米韓国大使館に漏らし、スパイ容疑でFBIに逮捕された事件です。懲役9年に3年の保護観察の判決を受けたキムは、7年6ヶ月に減刑され、2004年に釈放されました。軍事機密に関するスパイ行為、しかも犯人が最大の当事者である軍人であることを考えれば、その刑はむしろ軽過ぎるといえます。韓国がアメリカの同盟国であり、直接敵国に情報を流したわけではないというのがその理由でしょうが、韓国内部の従北派によって北朝鮮に漏れた可能性も捨て切れません。
 ところが、驚いたことに、韓国では、この韓国系「アメリカ人」のスパイ行為を愛国的義挙と誉めそやし、服役中に後援会まで作って支援したばかりか、釈放にあたっては大手各紙が、あたかも悲劇の英雄といったあつかいで報じたのです。
《ロバート・キムさんの釈放は喜ばしいニュースではあるが、その一方では大韓民国という国に限りない羞恥を感じさせる。キムさんが祖国のためにスパイ罪を負い収監されている間、祖国はキムさんのために果たして何をしたのか。韓国政府はこの事件を「米国人が米国内で米国の法を違反した事件」と規定し、両国政府レベルの問題に拡大することだけを懸念した。「私は祖国に捨てられた“みにくいアヒルの子”ですか」というキムさんの悲しい訴えは無視された。》(朝鮮日報2004年6月2日付)
《彼は対価として何も受け取らなかった。しかし、米検察は「雇い主(海軍情報局)に背き、米国市民の責任を果たさなかった」として処罰した。7年10ヵ月の懲役、2ヶ月間の自宅拘禁、そして1年間の保護観察…。職場と生活の資産をすべて失った。英語で愛国心(patriotism)とは「先代の地、あるいはそこ住む人たち」に由来する。「米国人」になった彼が「先祖と父・兄弟の地」である韓国に愛情と憐憫を持った罪、「祖国愛」の対価はそのように苛酷だった。》(東亜日報2005年10月7日付)
 アメリカ合衆国のために戦い欧州の地に果てた日系部隊のおよそ700人の戦死者(死傷率31・4%)の霊が、これを読んだとしたら何というでしょうか。あるいは東条英機が、いや、フランク・キャプラでさえ、声を失うはずです。

仁川空港で支持者に手をふるロバート・キム。


 韓国人にとって愛国心とは、その人間が帰属する国家(国籍)でなく、民族(血)としての故郷に向けられるべきものという考えなのはこれで理解できます。もう少し解りやすい言葉でいえば、"ご先祖さま"への忠誠ということになります。族譜を拠りどころにした儒教的血統概念です。
 日本生まれの在日韓国人二世で、現在は日本国籍を持つ女優の李麗仙氏は公演中の韓国で現地メディアの取材にこう応えています。
「国籍は日本。日本で生まれ育ったので、韓国で暮らすのは難しい。保険の恩恵を受けようと思ったら日本で生活しなければならない。でも、心までは日本に渡していない」「血とはそういうもの」(朝鮮日報2013年10月23日付)
「心まで日本に渡していない」――どこか、「体は売っても心まで売らない」という悲しい娼婦の言い訳にも似ています。
 ひとつ李女史の擁護をするとすれば、在日の有名人が"祖国"韓国に受け入れてもらうには、この程度の反日リップサービスは不可欠だということです。一種の禊(みそぎ)の言葉といっていいでしょう。江戸時代、「島帰り」といえば、前科者を意味しました。「島帰りを見るような目」には単なる白眼視を超えた侮蔑と警戒心が込められています。在日同胞が母国韓国に渡ったとき待っているのが、この無数の「島帰りを見るような目」です。半チョッパリとは文字通り日本という島国(韓国では侮蔑的な意味でこの語をよく使います)からやってきた「島帰り」に過ぎないのです。ここいらへんの感覚は、われわれ日本人にはちょっと理解しがたいないものがあります。
 それはさておき、ロバート・キムのスパイ行為にしても「血とはそういうもの」、この一言で彼ら韓国人にはすべて説明がついてしまうのかもしれません。

実は韓国が大嫌いな韓国人

 韓国人はよく愛国心を口にしますが、でもよく聞いてみると、彼らのいう愛国心の「国」は、国家ではなく「血族の集合体」を意味します。実は韓国人は韓国という国家が大嫌いなのです。
 ソウルの梨花女子大学といえば、日本でいうところのお茶の水女子大学に相当する女子の最高学府ですが、2005年9月、同校の学生793人を対象に取られた興味深いアンケートがありました。「生まれる前に自分の意志で祖国を選択する ことができたら、韓国を選択しますか?」という質問に対して、なんと62%にあたる492人の学生が、「選択しない」と回答しているのです。その理由として、「先進国に生まれたいから」が61.5% でもっとも多く、「祖国がどこかは重要ではない」が19.7%、「韓国が嫌いだから」が8.8% と続きます。
「先進国に生まれたいから」という答えは実に興味深いですね。つまり、彼女たちは、韓国が先進国でないと自覚しているのです。
 2006年8月、インターネットサイト、ディーシーインサイドが男女訪問者8000人を対象にした同様の設問のアンケートでも、69.7%の回答者が「生まれ変わっても韓国には住みたくない」と答えていいます。
 最新のものでは、2014年2月、女性5014人を対象にした同サイトの調査で、「韓国に生まれたくない」という回答が60.6%と微減しましたが、相変わらず過半数の韓国人が他の国に生まれたいと願っているのです。「生まれたくない」との回答を年齢別で分けると、20代(60.1%)が最も高く、その次に30代(58.9%)、10代以下(56.8%)、40代(50.3%)、50代以上(43.6 %)の順だそうです。「生まれたくない」と回答した理由は、「過度な競争(16.4%)」が最も高く現れ、その次に「熾烈な入試(13.2%)」、「スペック(学歴、資格など)を築くことを強いられる社会(11.3%)」、「外見至上主義の形成の問題(9.7%)」、「見栄意識(9.5%)」、「顔色を見る雰囲気(9.1%)」、「高価な家の値(9%)」、「会食文化(3.9%)」などが挙げられています。女性、それも比較的若い層に「韓国に生まれたくない」という意識が強いようです。また挙げられた理由を見る限り、常に他者との比較を強いられる体面重視の競争社会や伝的統儒教文化のしがらみに対する息苦しさ、閉塞感が伺えます。
 同じ調査で、韓国の誇らしい点を問う質問では、回答者の59.4%の女性が「ハングル」と答え、その次に「IT技術(39.5%)」、「スポーツ選手の活躍(キム・ヨナ、朴智星、朴泰桓など)(34.4%)」、「韓国料理(29%)」、「韓流文化(27%)」となっています。これを総合すると、自国の文化や産業面に関しては大いに誇らしいけれど、とにかく、韓国という国(というより、韓国社会か)からは逃げ出したい、という韓国人の本音が伺えるのです。
 それを裏づけるように、毎年、韓国人のアメリカ移住が増加の傾向を見せています。アメリカの永住権を取得した韓国人は2003年は約1万2000人でしたが、これを境に以後急増し、2005年以降は毎年コンスタントに2万人を数えています。日本人の永住権収得者は総計で6000人前後といいますから、その数には圧倒せざるをえません。2010年の国勢調査では、アメリカ国籍を収得している「韓国系アメリカ人」総数は約170万人に達し、これは米国総人口の約0.6%に及ぶそうです。アジア系では中国系、フィリピン系、インド系、ベトナム系に次いで5番目で、カリフォルニア州45万2000人(州人口の1.2%)、ニューヨーク州14万1000人(同0.7%)、ニュージャージー州9万40000人(同1.1%)と大都市のそれもベッドタウンに集中しています。
 韓国では語学学習(英語)熱、留学熱が盛んです。中流以上の親たちは、将来子供を海外留学させるために幼児のころから英語教育を受けさせるそうです。就職の際の箔付けが主な理由ですが、願わくば、そのまま留学先の国の市民権を得て現地の一流企業に就職、やがては自分たち(両親)を呼び寄せてもらうという皮算用をしっかり立てています。何のことはない、親たちもまた、息苦しい韓国社会からの脱出を夢見ているのです。学歴社会、受験地獄の韓国社会から抜け出すために、幼児のころからせっせと英語塾に通うというのも思えば皮肉な話のように聞こえますが、彼らは必死です。人気の留学先3カ国はアメリカ、カナダ、オーストラリア。ここ数年、2位のカナダが1位のアメリカを追い抜く勢いだそうです。アメリカに比べビザの収得が容易というところが人気の秘密だとか。2001年のオーストラリアの国勢調査では、同国の国籍をもつ韓国系移民は15万人に達しているとのことです。
(後編に続く)

初出・『韓国呪術と反日』(青林堂)

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