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西條八十の『蝶』と、藤井風の『花』と。

 詩人・作詞家の西條 八十(1892-1970)は、『東京音頭』『蘇州夜曲』をはじめ、私たちの耳になじんだ数々の童謡の作詞もした天才的な詩人である。作詞力のみならず、卓越した「コピーライター」的な素養を持っていたゆえに、戦時中は国威を発揚するための軍歌も作詞させられたという。
 
子どもに喜ばれる歌詞を。有名歌手を引き立てる歌詞を。国民が戦に向かう士気を高める歌詞を。人を踊らせる歌詞を……。数えきれないオーダーに応えてきたと思われるが、仕事の幅が広すぎて「いったいこの人の核はどこにあったのだろう」と思うほど。
 
以下は、そんな西條八十の『蝶』という詩である。

やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人に私は何を持つて行かう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだらう。
さうして渡しながら言ふだらう。

一生を
子供のやうに、さみしく
これを追つてゐました、と。

 心に開いた穴を埋めるべく、ずっと追いかけていたヒラヒラと美しく舞う「蝶」。手に入れたときには追い求めた形とは変わり、すでに死んでいた。
 
これさえあれば満たされると信じていた「蝶」に一生をかけて執着し続けていた「だけ」の人生だった。

そして、そう振り返る場所は、おそらく地獄。
 
その「蝶」は、名声かもしれないし、親の愛かもしれないし、永遠の若さかもしれないし、叶わぬ欲望かもしれないし、理想の自分かもしれない。
 
この詩から受ける印象はさまざまだと思うが、過去の私は、この一編から底知れぬ悲哀を感じた。
 
いつの間にかその悲哀も忘れ、『蝶』は記憶の底に沈んでいたが、藤井風の『花』を聞いたときに、久しぶりに『蝶』を思い出したのである。
 
美しくヒラヒラ舞っていた“はず”だった「蝶の死骸」と、美しく咲いていた“はず”の「シワシワにしおれた花束」がリンクしたように感じたのだと思う。
 
とはいえ、前者の読後感は悲哀で、後者はほのかな希望である。
 
少なくとも「変わらぬ輝きを放つもの」への執着から解き放つ「内なる花」というヒントを与えてくれている。
 
心に開いた穴に奇跡的にフィットするものは、きっと存在しない。


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