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藤本タツキ作、遠田おと画、漫画「フツーに聞いてくれ」を読む

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冒頭、中学時代から好きだった、と告白する主人公にヒロインは素っ気ない。ただ、告白の曲をYoutubeに投稿したから、それを聞いてから返事をくれ、とアドレスを記した紙を差し出す主人公には、少し面食らった様子だ。

後日、主人公が告白の曲を歌う動画が、揶揄される形で、教室で話題になっている。ヒロインは、動画のアドレスを自分が拡散したことを告げ、ついでに主人公の告白にも断りの返答を伝える。

主人公は動画を投稿したことを後悔し、削除するつもりだったが、動画に幽霊が写り込んでいることに気付いて、削除を取りやめる。すると、動画は学校中の話題になっていき、更に消しづらくなる。

それから動画は、主人公の意図しない、様々な見方をされ、様々な発見がなされ、国際的な話題にまで発展してしまう。

主人公の許には、次回作への様々な期待が寄せられる。そして主人公は、第二作目として「フツーに聞いてくれ」という曲を歌っている動画を投稿する。

しかし、その動画には世界中が期待していたようなものは何も発見されず、主人公は批判され、飽きられる。主人公は動画を消す。

電車の席に座って落ち込んでいる主人公の隣に、ヒロインが座る。そして、自分の着けているイヤホンの片方を、主人公の耳に差し込み、曲を聞かせる。それは主人公の第一作目の動画の内容だ。

ヒロインは、動画を削除しても、みんな既にダウンロードしているから無駄だ、と言い、それから、一曲目も二曲目も、中学時代の美術の授業でわたしをデッサンした時のことを歌ったものだろう、と指摘し、キモい、と言い添える。

主人公は衝撃を受けて俯く。そこで物語は終わる。

冒頭の素っ気なさから、最後の、自分が直前まで着けていたイヤホンを主人公に着けてやる場面を比べて見れば、主人公へのヒロインの態度が変化していることが判る。その要因は何だろう。

ヒロインは主人公の第一作目の動画について、残酷な態度を取る。この時点では、ヒロインは主人公を評価していない。冒頭の素っ気なさを引き継いでいる。

その後、主人公は第二作目を投稿する。主人公へのヒロインの態度が変化するなら、ここが転換点になるはずだが、第一作目と第二作目の源泉を、ヒロインは見抜きつつ、そのどちらの作品にも同一の評価を下している。

ヒロインは、第二作目の出来が良かったから主人公への評価を変えた、というわけではない。寧ろ、第二作目が第一作目とそれほど変わらない出来だったからこそ、ヒロインは評価を変えたのではないか。

と言うのも、主人公の第一作目は、ヒロインや級友達に残酷な評価を受け、更には世界中から奇妙に過大な評価を受けたからだ。

普通であれば、そんな体験を経れば、作品の出来は変わってしまう。少なくとも、作り手は変えようとしてしまう。あるいは創作をやめてしまう選択もあった。

しかし、そんな中で主人公は第二作目を作って投稿する。その出来は第一作目と変わることがなかった。

主人公が作品を届けたかったのは、ヒロインただ一人だけで、ヒロイン以外から残酷な評価を受けようと、世界中から過大な評価を受けようと、そこだけは変えない、強い信念があった。

主人公の創作への一貫した態度は、ヒロインに対する一貫した態度と重なっている。それをヒロインは評価した。

主人公の第二作目の題名は「フツーに聞いてくれ」だ。それは、これがただのヒロインへの思慕を歌ったものでしかない、という主張だ。その主張は世界に届かず、勝手な反発を世界から受け、主人公は打ちのめされ、主人公は創作をやめてしまう。

だが、ヒロインには主人公の主張が届いていて、ヒロインはただの自分への思慕でしかない二つの曲に、キモい、と率直な返答を伝える。そして、キモい、と言いながらも、イヤホンを主人公と共用することで、別の返答も伝えている。

その返答に、恐らく主人公は感激して俯いているのだ。

主人公は第一作目をヒロイン達に揶揄され、一度はその動画を消そうと考えるが、視聴者コメントによって、動画に幽霊が写り込んでいることに気付き、消すのを一旦思い留まる。

そしてその動画が学校中の話題になった頃に、謎の女生徒に、動画を消すと霊が怒る、と忠告される。それで本当に消すか迷っている内に再生数がどんどん増え、世界的な話題になり、その動画に奇妙な評価が集まってしまう。

しかし、続く第二作目には奇妙な評価は集まらず、主人公は世界から見放される。

ここで不思議なのは、なぜ第一作目には、主人公の意図を越えた、あれやこれやが写り込み、奇怪で過剰な読みがなされたのに、第二作目にはそれが一切起こらなかったのか、だ。どちらも出来は同じのはずだ。

それは、主人公が第一作目に意図せず込めてしまったものが、第二作目には抜け落ちていたからだ。主人公は意図して、それを抜き落とした。

主人公には、多数の人間に自分の作品を見て(評価して?)もらいたい、という隠れた欲望があった。それは恋する男子の欲望ではなく、創作者としての欲望だ。

主人公が、一度は消そうと考えた第一作目に幽霊が写り込んでいることを知って、それを消すのを思い留まったのは、そこに本来の目的とは違った手応えを予感してしまったからだ。そしてそれは的中する。

動画の本来の目的は、ヒロインの心を射止めることだった。しかし、その目的は果たせなかった。だが、隠れた欲望は果たせるかも知れない。

この主人公の隠れた欲望こそ、第一作目の動画に写り込んだ幽霊の正体であり、その後に発見されるあれやこれやの根本であり、同時にそれは、創作者に勝手な期待をする消費者の欲望を象徴してもいる。

主人公に忠告した女生徒が何者かは分からないが、彼女が言っているのは、創作者としての欲望を世界に向けて発信し、消費者の欲望と呼応してしまった以上、それらの欲望と向き合い、何らかの答えを、創作者として出せ、ということだ。

主人公は第一作目への評価を押し切って、第一作目と変わらない出来の第二作目を投稿する。ただし、その内容からは創作者としての欲望を抜き落としている。それが主人公の答えだ。

謎の女生徒がいなければ、主人公は創作者としての欲望にも消費者達の欲望にも向き合わず、何の答えも出さずに、終わっていただろう。

ここで今一度、冒頭のヒロインを見てみよう。ヒロインは告白する主人公ではなく携帯端末の画面を見ている。ここには二つの意味が読み取れる。

一つは、ヒロインは創作ないし表現を常に意識している人間だ、ということ。もう一つは、主人公の当初の振る舞いが、ヒロインにとって創作や表現として意識するに値しない、ということ。

主人公の当初の告白は、何か白々しく感じられないか。まるで何かの真似事のようではないか。だが、告白の曲をYoutubeに投稿したから、それを聞いてから返事をくれ、という展開には、ヒロインは思わず画面から目を離して主人公を見る。

ここで主人公は、創作や表現を厳しく意識するヒロインに、創作や表現を送って挑戦していることになるのだが、恐らく主人公はそうしていることに無自覚だ。主人公は無自覚の創作者なのだ。

そしてヒロインは、その挑戦を受け入れ、残酷な返答をする。ヒロインは、先ず創作者としての主人公に期待している。だから、その残酷な返答に腹を立てたり傷付いたりして離れていくなら、それまでだ、と考えている。

ヒロインが、創作者としての主人公に期待しているなら、創作者としての自覚を主人公に促した、謎の女生徒は、あまり素直そうではないヒロインの別の姿だ、と言えよう。

さて、主人公の出した答えとは何だったか。その前に、主人公に突き付けられた問いとは何だったか。

それは、なぜ創作をするのか、だ。ただ有名になりたいからなのか、それとも表現すべきことを表現したいからなのか。そして、後者なら、その表現すべきことを、先ず誰に届けたいのか。

ヒロインは、主人公の中にある、創作者としての欲望を感じ取り、その表現を大勢の視線の中へ放り込んだ。そこで主人公は、創作物を巡る、様々な人の様々な欲望に激しく揉まれる。

主人公には、創作者としての実力は、まだない。ましてや、世界を相手にできる実力などない。それは誰よりも主人公自身が理解している。第二作目を作ったとしても、その風当たりが知名度の分だけ強烈になることを、主人公は理解していたはずだ。

主人公は、ヒロインのことが好きだ、という表現をしたい。それを、先ずヒロインに届けたい。何もヒロインに届かず、表現が表現すべきことから離れてしまって、よく分からない人々に届いて、それで有名になっても、意味がない。

主人公は創作者として、そう腹を決めて、世界の人々を失望させることを分かった上で、それでも第二作目を作って投稿した。創作を続行する選択をした。

その後の世界からの反発がどれほどのものだったのか、その具体的な描写は作中にはない。主人公は一体何を思ったのだろう。ただ、彼はそこで創作をやめてしまった。

だからヒロインは、主人公の隣にまで行って、あなたの創作に対する態度は立派だった、と伝える必要がある、と考えたのではないか。彼に創作の熱意をただ一人向けられた者として。

そしてヒロインは、でも創作の内容はキモい、とも伝える。この「キモい」は、面白くない、でも、つまらない、でもなく、ましてや、嫌い、でもないだろう。では、好き、か。いや、そういうことでもない。

ヒロインは観客の目線で、主人公の作品を冷静に評している。この作品の魅力となり得るのはキモいところだ、と。

そしてそれとは別に、好意を向けられた一人の女性として、その好意が作品となって世界に発信されてしまったことが、とても恥ずかしい。だけど少し嬉しい。

それが、ヒロインが主人公に言った「キモい」の意味するところではないだろうか。

ヒロインはなぜ主人公に、主人公が消してしまった動画の曲を聞かせたのだろう。消しても無駄だ、ということの証拠を出す意味もあるだろうが、それだけか。

ヒロインは主人公を一人の創作者として認めた。それは主人公を、自分に好意を向ける一人の男性として認めたことでもある。それはつまり、自分に好意を向けるのであれば創作者として振る舞え、とヒロインは要求しているのだ。

創作者として振る舞う、とはどういうことか。有名になることか。面白い作品を作ることか。

それもあるかも知れないが、ヒロインは先ず、主人公の第一作目を大勢の人の視線に晒して、主人公にとってその作品を黒歴史にした。そして、その黒歴史である第一作目を経て、主人公が第二作目を作って投稿したことを、ヒロインは高く評価する。

その後、主人公自らの手で葬られた、その黒歴史をヒロインは掘り起こして、主人公に聞かせる。そうすることで、ヒロインは、黒歴史を乗り越えて再び作品を作ってくれることを期待している、と主人公に伝えている。

ヒロインにとって、創作者として振る舞うこととは、己の黒歴史を大事にして、それと向き合いながら作品を作り続けることを言う。そのような創作者のことが、ヒロインは好きなのだ。

ただ、主人公の第一作目を勝手に拡散して黒歴史化したことも、主人公に勝手にイヤホンを着けさせ、黒歴史を聞かせたことも、主人公の作品を、キモい、と言ったことも、あまりに主人公に遠慮がない。酷だ。

その遠慮のなさは、創作者としての主人公を信頼しているからだろうか。そうではなく、それはヒロインの性分なのではないか。ヒロインは創作者としての主人公に期待しているが、優しくない。

優しくないのは、創作者としての主人公を厳しく鍛えるためだ、とも言えるが、そんなに高尚なものでもないような気がする。ヒロインは単にサディストか、あるいは創作者が苦しんでいる姿が好物なのだ。

なら、最後に主人公が俯いたのはヒロインの返答に感激したからだ、と以前に書いたが、違うのかも知れない。主人公はヒロインを好きになり、ヒロインに認められた以上、これからヒロインに創作者として搾られる運命にある。

ああ、なんて大変な人を好きになってしまったのだ、と主人公は自身の恋心を、呪っているのかも知れないのだった。

いや、待てよ。ヒロインに、キモい、と言われた主人公は、直後に頬を紅潮させているではないか。もしや、主人公は主人公でそっちの気があるのでは。

主人公が大勢の人の視線に晒されても動画をなかなか消さなかったのは、そのためか。でも、さすがに世界までが相手になると、ちょっと違ったか。やっぱ、羞恥を受けるなら、ヒロインからだけでいい。

この作品は、現代的メディア環境と創作行為を介した、世界までも巻き込んだ、ある若い男女の壮大なSMプレイを描いたものだったのだ。