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天海杏菜作、漫画「ゲロクズゴミクソ少女墨田の幸福」を読む

主人公は人知れぬ屋敷の中で、吸血鬼に傳いている。吸血鬼は主人公のことを侮って言うが、主人公はそれ以上の言葉で、自分自身を侮って言う。その表情は興奮している。

吸血鬼は美しい処女の生き血を要求する。主人公は、自分も処女だ、と申し出るが、吸血鬼は、美しさがない、と却下する。主人公はしぶしぶ血の調達に行こうとする。

吸血鬼は、司法の行き届いた現代では他人から生き血を集めるのは簡単ではないはず、と考え、どうやって生き血を集めているのか、と主人公に訊く。主人公は、金銭で買える、と答える。

ならば、と吸血鬼は自分の指輪を主人公に渡す。主人公はそれを求婚と勘違いして浮かれるが、換金用だ、とすぐに訂正される。

吸血鬼は500年も眠っていたので力を失い、外に出られず、力を取り戻すには上質の血を必要としていた。

主人公は、街へ行って中年男性を誘って薬で眠らせ、血を抜き取り、それを吸血鬼に飲ませていた。そのことに吸血鬼は気付いていない。

主人公は嘘の血で喜ぶ吸血鬼を哀れみながら、愛しむ。それでも主人公は、どうにか本当の血を飲ませてあげたい、とも思っている。

主人公は学校の昼休み、級友に仲間外れにされた花園に話し掛けられる。主人公は花園が自分の名前を知っていることに驚く。花園は、級友なら普通は知っている、と話す。主人公は、わたしは知らないし級友に興味がない、と話す。

主人公は連絡先の交換を求める花園に、戸惑いながらも応じ、一緒に昼食を食べながら、気まずい時間を過ごす。その様子を、花園を仲間外れにした女子達が嘲笑う。主人公は気にしないが、花園は恥じ入って涙ぐむ。

主人公は、彼女らが教室内での居場所の確保を最も重要なこととして生きていることを理解して呆れ、席を立って花園から離れようとするが、花園は主人公に追い縋る。そこで主人公は花園が美しさを持っていることに気付き、交際経験の有無を尋ねる。

ない、と答える花園に主人公は、あなたの最も重要なことにわたしが協力するから、あなたもわたしの最も重要なことに協力してほしい、と交渉を持ち掛け、その返事を待たずに、花園を仲間外れにした女子達に、なぜ仲間外れにするのか、と詰め寄る。

お揃いで買った、今一番流行りの「白ばら十字団」のスタンプを全然使わなくて、空気を読めていなかったから、と仲間外れの理由を白状する女子達に主人公は、しょうもねえ、と吐き捨てる。

更に、居場所とか空気を読むとかどうでもいい、と言い張り、揉める。そして、主人公を追い払う流れで花園は女子達に許され、放課後にパフェを食べに行こう、という話に誘われ、花園は主人公から離れていく。

放課後、花園は主人公に、昼の出来事での感謝を伝える。そして、わたしもあなたのように他人に左右されない勇気を持つ、格好いい人になりたい、とも伝える。それから、交換条件だった、主人公の最も重要なことについて訊く。

すると主人公は、血が欲しい、と衒いなく言い、注射器を取り出して見せる。花園は怯えて、その場から逃げ出す。主人公は吸血鬼に本当の血を飲ませてあげられそうにない、役立たずの自分を恥じる。

その後、主人公は再び、中年男性を誘って薬を飲ませ、血を抜き取ろうとする。薬の効きが悪く、主人公は危機に陥るが、価値のない自分でも吸血鬼の役に立てるなら、と耐える。そこに警察が踏み込んできて、中年男性は取り押さえられる。

主人公も保護されそうになるが、逃げ出す。逃走の途中で、主人公は花園に呼び止められる。花園は、主人公から逃げ出した後、気になって、女子達との遊びを断って主人公の後を追い、中年男性と一緒に宿泊所に入る主人公を見付け、主人公を助けたくて通報した、と話す。

主人公は、余計なことをするな、と語気強く花園を責める。花園は、あなたは自分というものを持って格好いいのに、それを粗末にするようなことはよくない、と訴える。それ聞いた主人公は、それは違うよ、と自身の過去を回想する。

主人公は自己紹介の用紙を渡されるが、何も書くことが思い付かない。他の子が書いたものを見ても、みんな本気で書いているのか、こんなものを集めて何になる、と冷めている。

主人公は、自分にも他人にも興味を持てない。しかし主人公は、他の子達が楽しく流行りの話題で盛り上がっているのを見ながら、自分にも夢中になれるような、自分だけの特別で素敵な何かが欲しい、と考える。

高校生になり、主人公は珍しく、陽気な級友達に誘われて、裏山での肝試しに参加するが、置いていかれて迷子になる。後悔する中、主人公は廃墟と化した屋敷を見付ける。そこで珍しく好奇心の沸いた主人公は屋敷に入り込み、そこにあった棺の中に眠る吸血鬼を見付け、彼を自分の特別と決める。

回想を終えた主人公は、自分は中身が空っぽだから、自分の外側に特別な価値を置いている、と花園に語る。そして、あなたがした余計なことで、その価値が壊れるかも知れない、と詰め寄る。

花園は主人公に詫びながらも、主人公の身を案じる。主人公は、悪いと思うなら血をちょうだい、そうすれば危険なことをしなくて済む、と花園に要求する。花園は承諾する。

主人公は吸血鬼に会う。吸血鬼は、自分が渡した指輪を主人公が指に嵌めたままであることに気付いて、それについて問う。主人公は、これは金銭より価値があるので売れない、と答える。

それから主人公は吸血鬼に二つの血を差し出す。先ずは、中年男性から抜き取った、いつもの偽の血。次に、花園から抜き取った、本物の血。

吸血鬼は本物の血を飲んだ瞬間、沸き立ち、感動する。そして主人公の頭部に手を伸ばす。撫でて誉めてもらえる、と思う主人公だが、今まで主人公に騙されていたことを知って怒った吸血鬼は、主人公の頭部を鷲掴みにする。

主人公は言い訳をするが、床に叩き付けられる。本物の血によって本来の力を取り戻した吸血鬼は、これまではおまえを利用するしかなかったが、もう用無しだ、と主人公を見限る。

主人公は吸血鬼に、これまでたくさんあなたのために働いてきたのに、わたしはあなたの特別ではないのか、と問う。吸血鬼は、勝手な思い込みだ、人間の特別にもなれないくせに吸血鬼の特別になれるわけがない、と切り捨てる。

吸血鬼は主人公が指に嵌める指輪を見やり、指輪程度で満たされた気になろうとする主人公の空っぽさを指摘する。主人公は、そんなことは分かっていたはずだ、と言いながらも、格好悪く悔し涙を流す。

その時、主人公が床に落とした携帯端末が着信し、十字架の絵を含む「白ばら十字団」のスタンプが大量に映し出される。それを見た吸血鬼は苦しみ出す。

その隙を見計らって花園が現れ、手を取って主人公を屋敷から連れ出し、裏山を抜け、街まで逃げおおせる。その間、主人公は何かの感情を堪えている。それは悔しさではないだろう。

息を整えた花園は、あの大量のスタンプは自分がやった、と告げ、あの吸血鬼があなたが言っていた特別な価値か、と問う。主人公は、うん、でも違ったみたい、と答える。

そして、自分を特別にしてくれるものなんてなかった、これからも一人で空っぽの自分を抱えて生きていく、と語る。それは吸血鬼と縁を切る決意でもある。

その主人公に花園は、他人の顔色を窺うばかりだった自分に勇気をくれたのはあなただ、と語り、あなたが空っぽの人間であるはずがない、と訴える。

その言葉を否定しようとする主人公に、わたしの言葉が信じられないなら、信じてくれるまで近くにいたいから友達になってほしい、と花園は勇気を出して伝える。

それに対して主人公は、友達は、なろう、と言ってなるものではないのではないか、と言い、吸血鬼から渡された指輪を指から外し、これを売ったお金でパフェでも食べながら話そう、と答えて花園の申し出を承諾する。

日が落ちて輝き出した街の中を、二人が駆け出していくところで物語は終わる。

吸血鬼は処女の生き血を要求するが、寝惚けていて、血の味が分からない。と言うより、主人公が差し出す血を本物と信じて飲むしかない。

しかし、だとすれば、主人公は中年男性を誘うという危険を冒さずとも、隠れて自分の血を抜き取って、それを美しい処女の血と偽って飲ませてもよかったはずだ。

そうしないのは、中年男性を誘って得た血を持ってくることが、主人公が吸血鬼と関係できる唯一の方法であることを表しているからだ。

主人公は吸血鬼に容姿を否定され、本来なら彼の傍にはいられない。それを、中年男性から得た血を代わりに持ってくることで、彼に許されている。

吸血鬼はその血が偽物だとは知らないが、その血は拒否された主人公の血の代わりだ、ということが重要になる。

主人公がやっている行為は、分かり易く、売春の隠喩だ。売春によって中年男性から得られるのは、金銭だ。主人公が中年男性から得た血は、売春によって得た金銭を表し、それを主人公は、せっせと吸血鬼に貢いでいる。

血とは第一に女性にとっての性的接触の象徴で、主人公はそれを吸血鬼に拒まれた。それで主人公は中年男性と接触して血を得て、それを吸血鬼に捧げる。

それは吸血鬼と中年男性との性的接触を表しているのではなく、主人公が中年男性との性的接触で得た金銭を、吸血鬼が吸い上げていることを表している。血とは第二に、女性の性的接触で得られる価値のことだ。

主人公は第一の意味での血を吸血鬼に拒否され、仕方なく第二の意味での血で吸血鬼に承認される。しかし主人公は、どうにかして第一の意味での血で吸血鬼に承認されたい、と思っている。そこで重要になるのが、花園だ。

花園は友達を求めているが、上手くいかない。そこに主人公が入り込んで、両者を上手く(?)取り持つ。主人公は、花園達のようには、友達というものに価値を感じていないように見える。だから花園にはできない強引さを、花園が友達になりたい相手に発揮できる。

しかし主人公の回想を見れば、主人公はじつは友達というものに憧れている。だが主人公は、憧れているのと同時に冷めてもいる。主人公は自分にも他人にも興味を持てない。というのも主人公は、自分も他人も空っぽではないのか、と感じているからだ。

しかし周囲の女子達は楽しそうに交流できている。自分だけがその輪に上手く入れない。なぜなのか。空っぽなのは本当は自分だけだから、ではないのか。

主人公は、自分の空っぽさは、他人も空っぽなら耐えることができる。そして友達がいないことにも耐えられる。だが、他人が空っぽではないことを否定し切ることが、主人公にはできない。自分以外の女子達は楽しそうに交流できているからだ。

そこで主人公は、自分の空っぽさを、友達がいないことを、埋め合わせてくれる価値を手に入れる必要に迫られる。そのために主人公が見付けたのが吸血鬼だった。

主人公も花園も、自分に自信がない点で似る。また、友達を求めている点でも似る。だが二人の取る行動は大きく違ってくる。

花園は(空っぽかも知れない)女子達にひたすら承認を求めようとしたのに対し、主人公は(空っぽではない、と思える)吸血鬼にひたすら承認を求めようとした。

主人公は自分の憧れの対象を、友達から吸血鬼に摩り替えた。吸血鬼は年上の男性であり、女子から血を吸い上げる、女子達と対立する存在だ。

主人公にとって友達とは同年の同性のことであり、だからこそ、そこに自分と同じ空っぽさを感じずにはいられなかった。そし年上の異性である吸血鬼には、その空っぽさを感じなくて済んだ。年頃も性別も違う相手のことは、よく分からないからだ。

しかし、だ。花園は女子達の顔色を窺っていたが、主人公は吸血鬼の顔色を窺っていた。結局、主人公は相手を変えて花園と同じことをしているだけだ。

主人公は、吸血鬼に承認される美しさを持たないが、女子達への顔色を窺うことがなく、彼女らの承認に縛られない強さを持つ。その強さを主人公は、花園が承認されることに使った。

一方、花園は女子達に承認される強さを持たないが、吸血鬼に承認される美しさを持つと同時に、吸血鬼の顔色を窺うことはなく、その承認に縛られない強さを持つ。その強さで、花園は吸血鬼を退け、主人公を救い出した。

主人公は花園を女子達と結び付け、その花園と親しくなった。なら主人公は、花園を介して女子達と親しくなれる状況を手に入れている。

一方で、花園と親しくなることは、売春を通報され、吸血鬼との繋がりを危うくする。しかし吸血鬼の承認を得られる美しさを持つ花園を使えば、吸血鬼との繋がりを強化できるかも知れない。

主人公は花園と接近することで、女子達か吸血鬼か、そのどちらかを選び取ることを迫られる。そして主人公は吸血鬼を選ぶ。だが主人公は吸血鬼に拒絶される。

吸血鬼は本当の血を捧げられた途端、嘘の血を捧げ続けてきたことを理由に、主人公を捨てる。この時、主人公は寧ろ嘘の血を捧げ続けてきたことを評価されると思っていた。

吸血鬼は騙されていたことに怒って主人公を捨てるのであり、それは妥当とも思えるが、重要なのは、主人公が嘘の関係を本当の関係に変えようとして、それを吸血鬼に拒絶されたことだ。

物語の設定上、吸血鬼が、本当の血を捧げられること、本当の関係になることを望んでいるようになっているが、象徴的意味の水準では、吸血鬼は嘘の関係が続くことを望んでいたことになる。逆に言えば吸血鬼は、本当の関係になることなど望んでいなかった。

本当の関係になることを望んでいたのは、主人公だけだった。そして、吸血鬼もそう望んでいる、と主人公は思い込んでいた。主人公にとっては、本当の関係になるための、嘘の関係だった。

しかし吸血鬼にとって、主人公とは嘘の関係でい続けることしか頭になかった。なぜなら年長の男性である吸血鬼にとって主人公は、こちらに勝手に惚れている、年下の女性、という都合のいい道具でしかなかったからだ。

主人公は本当の関係への思いを拒絶され、馬鹿にされ、悔し涙を流す。

主人公は誰よりも本当の関係を欲しがっていた。でも不器用で意地っ張りな主人公は、同年の同性とは上手く馴染めず、彼女らとの関係を諦めて、代わりに年上の異性に縋った。年上の異性なら受け止めてくれると期待した。

だがよりにもよって、その相手から、主人公は本当の関係への欲求を拒絶され、嘲笑われてしまったのだ。とても格好悪い。意地っ張りな主人公にとっては、尚更だろう。

そこへ花園が駆け付け、吸血鬼に対抗し、主人公の手を取って屋敷から連れ出してくれる。少し前に、自分の身を案じてくれたことを逆恨みし、恫喝紛いに血を要求したはずの自分を、なぜ花園は、危険を省みずに助けてくれるのか。

その理由を主人公は、言葉ではなく、花園が繋いでくれている手の温もりから感じたことだろう。それは主人公がずっと望んでいたものの手触りでもある。

友達が困っていたら助けてあげたい。なぜなら自分も、困っている時に、友達に助けてもらったから。

仲間外れにされた時、花園は主人公に近付いた。それは別に最初から主人公に好意を持っていたからではなかっただろう。同じく目の前にいた一人ぼっちの人であれば誰でもよかったはずだ。

そうして主人公と知り合った花園は、離れようとする主人公に思わず泣き付き、そこで主人公は花園が可愛いことに気付き、その時は血が目的ではあったにしても、主人公は花園と関係を結びたい、と思えた。

互いにどちらも、切っ掛けは相手を少し利用するような感じだが、そうであっても関係を続ける内に、やがて相手を助けるようなことがあり、そして自分も相手を助けたいと思うようになっていく。

友達は、なろう、と言ってなるものではない。関係を続ける内に、いつの間にか、なっているものなのだ。その関係の始まりは、多少不純であってもいい。大切なのは、相手と過ごす、それからの時間と、その中で互いに正直になっていけること。弱い部分を見せ合えること。

主人公も花園も、少し衝突したりしながら、互いの弱さを見せ合った。互いに弱いことを知ったから、助け合える。その関係こそが友達と呼べるものだろう。

主人公に友達ができなかったのは、自分が空っぽであることを知られるのが怖かったからだ。主人公は空っぽな自分自身を軽蔑して見ていたし、その視線は他人にも向く。空っぽな自分も空っぽな他人も好きになれない。

主人公は空っぽを恥じるばかりで、空っぽを恥じる自分をよく見ようとはしなかった。空っぽであることが恐い。それは弱いことだから。しかし本当の弱さとは、空っぽが恐いのを隠してしまうことのほうだ。

花園は自分が空っぽであることを恐れなかった。意地を張らない。そのこと自体は、女子達と繋がることに、役には立たない。それどころか、女子達から舐められる原因になった。

一方で主人公は、意地を張るからこそ女子達と対等に渡り合える。花園は意地を張らないことが、主人公は意地を張りっぱなしなところが、強みであり、弱みだった。

主人公と花園に必要だったのは、自分の弱みに付け込んでくる、吸血鬼でも女子達でもない、自分の強みと弱みを補い合える、互いとの関係だった。

主人公と花園は、相反する気質を持ち、それが原因で友達ができず、その気質を補うことで友達を得たことから、二人はどちらも望ましい状態から離れた場合の両極を象徴している。

言わば二人は、孤立に陥った少女の二通りの結論と失敗を表している。仲良くなりたい女子達に無闇に近付いて傷付けられるか、女子達と仲良くなりたい、という気持ちを隠して強がり、年上の異性に近付いて傷付けられるか。

どちらも孤立した自分を不安に思っての拙速な行動に違いなく、またどちらも孤立の不安を他人に埋め合わせてもらおうとして傷付けられている。

確かに孤立は他人の存在によってしか埋め合わされないかも知れないが、孤立の不安であれば、それは自分の心の問題だ。二人は自分の心の問題を他人に委ねてしまい、手痛い目に遭っている。

二人が孤立に陥った少女の両極を象徴するなら、二人は互いが互いに、孤立への不安に苛む自己を写した鏡像だ、と言える。

二人が、他人ではなく、互いを見合った時に、問題は解決した。自分の心の問題を解決すべきは自分自身であって他人ではないし、その解決を他人に委ねても傷付くだけだ。そして、その解決を自分でできるようになって、ようやく本当の友達と出会って孤立を抜け出せる準備が整う。

吸血鬼から受け取った指輪は、孤立の不安のために格好悪く傷付いた経験の象徴であり、二人はそれを持ち帰って売り飛ばし、その代価で二人は本当の友達としての関係の始まりを祝う。

だとすれば、指輪の象徴する、孤立の不安に苛み格好悪く傷付いた経験こそが、少女が自分自身を見詰め、自分自身と和解し、成長するために必要なことだったのだ。

主人公は吸血鬼に縛られていたようで、吸血鬼は、主人公が血を運んできてくれなくては力を取り戻せない点で、主人公に縛られていた、と言える。この時、吸血鬼に価値はなく、その吸血鬼に対することで、主人公は価値ある存在になれる。空っぽではなくなる。

主人公は価値あるものを見付けたのではなく、自分以上に価値のないものを見付け、それを縛って飼うことで自分の価値を吊り上げていた。

主人公は自分で自分を侮って言うが、その主人公に頼らねばならない吸血鬼は、それ以下ということになる。主人公は自身を侮ることを通して、それ以上に吸血鬼を侮っていたのだ。

しかし主人公は、その関係に満足しない。主人公が本当に求めているのは友達であり、お互いに価値ある、対等な人間関係だからだ。そうして吸血鬼を引き上げようとした途端に、主人公は突き放される。

吸血鬼は主人公を最初から見下していた。しかし主人公は、それ以上に吸血鬼を見下していて、情けを掛けてあげたつもりだった。だが吸血鬼には、見下されているつもりはなかった。

それどころか、吸血鬼のほうもまた、美しくもない主人公を傍に置いてあげることで、情けを掛けているつもりだった。二人は互いに互いを見下し合い、同時にそうして自分の価値の確認をしていた。あなたはわたしなしには生きていけないだろう、と。

主人公と花園が似ていたように、主人公と吸血鬼もまた似ていた。そして、最後に主人公と花園の関係が残り、主人公と吸血鬼の関係は消えた。と言うより、花園との関係が、吸血鬼との関係を打ち負かした。両者の違いは何だったのか。

主人公と花園は共に同年の同性であり、苦悩も似通っていた。だから互いに弱みを見せ合い結び付き、助け合えた。

一方で主人公と吸血鬼は、年齢も性別も違っていた。この二人は本来であれば結び付くことは難しいはずだが、どちらも自分の支配下に入ってくれる弱者を求める点で一致しており、また自ら弱みを抱えている点でも一致していた。

二人は自分が弱いから、自分より弱い誰かを求めていたのだ。そして二人は結び付くが、そこに必要だったのが血のやり取りだった。血とは、要は金とセックスと、その交換の隠喩だ。

主人公は吸血鬼という年上の異性と、金と引き換えに愛情のない(一方通行の)セックスを重ね、友情の欠落を埋め合わせていた。

主人公と吸血鬼は似ていた。しかし、花園と違って、二人には決定的に似ない部分があった。もし全部が似ていれば、主人公と吸血鬼は、何らかの衝突を経ながら花園と同じような、良い関係になれていたかも知れない。

主人公や花園と、吸血鬼が違う部分は、何よりも年齢と性別だが、それは性別の違いよりは、性行為に対する感覚の、ある男女の違いと言ったほうが正確で、それを年齢の違いが拡大している。

本来なら結び付きにくい主人公と吸血鬼は、金とセックスを介して結び付いていた。主人公は金を捧げて、愛情のないセックスを吸血鬼と重ね続けたが、主人公は、いつかそれが愛情のあるセックスになるだろう、と期待していた。

言わば主人公は、実態がどんなものであれ、セックスを重ねれば、そこには愛情という、友情に匹敵する価値を、自分と誰かとの間に積み重ねられる、と信じた。吸血鬼が自分とセックスを重ね続けるのは、金のためだけでなく、僅かにでも自分の女性としての肉体に価値を感じてくれているからだ、と信じた。

しかし吸血鬼にとっては、セックスは金の代価であり、労働に過ぎなかった。労働に愛着が湧くこともあるだろうが、愛着どころか嫌悪が湧くことだってある。主人公とのセックスは、僅かでも愛情が積み重なる行為ですらなく、じわじわと初期からある情を削り減らす行為だったかも知れない。

主人公は吸血鬼に嘘の血を飲ませ続けた。いつかそれが本当の血を飲ませられる関係に繋がる、と信じて。けれどもそれは、吸血鬼の意思を軽んじた、主人公の勝手な希望と思い込みだった。

吸血鬼を軽んじていた主人公はやがて、吸血鬼に軽んじられる側になる。それを主人公は非難できるだろうか。主人公は吸血鬼から愛情を注がれるようになることを期待していたが、主人公は吸血鬼にどれだけ愛情を注いだだろうか。

主人公が注ぎ続けたのは金であって、愛情ではない。金を注ぎ続けることで、いつか相手から愛情が返ってくる、と期待していた主人公は、愛情を金で買おうとしていたに等しい。

愛情とは友情の代わりであり、それは主人公の孤立の不安を埋め合わせるものだった。だとすれば、主人公にとって孤立の不安を埋め合わせる可能性を感じさせてくれるものは、何よりも先ず、愛情を買える金、ということになる。

主人公は吸血鬼から受け取った指輪を売らないでいたのは、それが吸血鬼からの愛情だ、と感じたからではなく、それさえあれば愛情でも友情でも買えるはずだ、と感じていたからだ。

主人公は孤立の不安を、愛情も友情も満足に得られないまま、ただ金を稼いで何かに注ぎ込むことで、誤魔化すようになった。主人公はいつしか愛情でも友情でもなく、金の持つ価値を大事に感じ始めてしまった。その下らなさを吸血鬼に指摘され、主人公は泣いたのだ。

吸血鬼は、主人公に騙された中年男性達と同じく、金とセックスの交換を担う人物だ。彼らは金とセックスを取り扱うが、愛情を取り扱うことはない。勿論、友情も、だ。

吸血鬼が主人公に指摘したのは、金と愛情の交換不可能性だ。それは友情との交換不可能性でもある。金をいくら稼いで貯め込んだり注ぎ込んだりしても、それは愛情や友情が豊かであることにはならない。

主人公は吸血鬼の指摘によって、自分は本当は何が欲しかったのか、そして、それが今の自分の手元に少しもないことに、気付かされた。

主人公と花園は、金と交換不可能なものを欲していた。主人公と吸血鬼は、金と交換可能なものを取引きしたかった。主人公だけが、愛情や友情は金と交換できるかも知れない、と思い違った。

花園も吸血鬼も主人公の思い違いに気付き、吸血鬼は主人公との関係を終わらせ、花園はそれを促しつつ、主人公との関係を結び直し、強めた。主人公の求めているものが、花園と一致していて、吸血鬼と不一致であることが明確になったからだ。

この作品は、主人公が、花園と吸血鬼のどちらかを選ぶ物語であり、別の面から言えば、花園が主人公を、吸血鬼と取り合うような物語だ。

花園は既に述べたように、主人公の意地っ張りを解いたような存在だが、吸血鬼は主人公の意地っ張りを突き詰めたような存在だ。また、主人公に対する吸血鬼の冷淡さは、主人公が女子達に向ける視線、そして主人公が自分自身に向ける視線でもある。

吸血鬼は、主人公が自分の身体を使って調達した血=金を貢いでいるうちは関係を維持し、主人公の調達する血が無価値になったら、その関係を終わらせた。価値と共に関係があり、価値の消失と共に関係も消失する。価値=関係だ。

主人公は、自分に価値がないから誰とも関係できない、と悩んでいた。主人公の言う「空っぽ」とは、無価値と無関係が結び付いた状況を言っている。だから主人公は、価値さえあれば関係も得られる、と思ってしまった。

そして主人公は、その価値をどう作ればいいか分からない。しかし一つだけ、作り方が分かり、自分でもすぐ簡単に作れる価値を主人公は知っていた。金だ。

金は用意できる。金で買える関係を、と主人公は望んだ。それを叶えるのが吸血鬼だ。だが金では愛情も友情も買うことはできない。吸血鬼を選ぶこととは、愛情も友情も諦めて、金で買える関係で満足する生き方を選ぶことだ。

金以外に価値も価値の作り方も持たない、と思っている主人公は、その生き方を考えたが、できなかった。やはり欲しいのは、愛情や友情だ。金なんかではないし、金と引き換えに得られるものでもない。

主人公の売春行為を中止させた花園は、その結論を支持している。花園自身も、女子達とお揃いで買った「十字団スタンプ」を使うことに乗れない。金を使ったから友情が成立する、などとは考えない。

と言うより、花園もまた、金で関係を買ってみて、これは自分の欲しいものではない、と気付いたのではないだろうか。

吸血鬼は無価値を嫌い、それを金で埋め合わせるような生き方を象徴する。花園は無価値は恐いが、それを金で埋め合わせるようなことはしない生き方を象徴する。

主人公は花園を選んだ。花園は主人公を吸血鬼から奪い取った。

主人公にも花園にも友達はいなかった。他人には、二人に価値があるようには見えなかったのかも知れない。しかし、価値がないからといって、それと関係してはいけない決まりもない。

価値があろうがなかろうが、それと関係していいし、それを大事にしていい。価値がない自分だって、先ずは自分で大事にすればいい。他人は自分を大事にしてくれないかも知れないけど、自分が自分を大事にしてあげられるのは、自分次第だ。

なぜなら自分を好きに動かせる自分というものは、自分以外にないからだ。自分は自分を好きにできる。自分は自分を好きになれる。それは自分が自分だからこそできる、自分にしかできないことだ。

それはとても価値があることではないだろうか。価値とは、作るだけでなく、既にある分を見付けたり気付いたりすることでも、手に入れられるものではないだろうか。

花園は、他人にとって自分は価値がない、と思っていたかも知れないが、自分を嫌いになることはなかった。いつか自分を好きになってくれる人に出会えるはずだ、と信じて行動していた。それは、少なくとも自分で自分を大事にできていたからだ。

なら、自分に似た人に出会えれば、その人はきっと自分を大事にしてくれるし、自分もその人を大事にできる。そうして花園は主人公と出会ったが、その時の主人公は自分で自分を大事にできていなかった。

花園は自分が大事だからこそ、主人公に近付き、主人公と関わり、「自分」を大事にして、と求める。「自分」を好きになってもらうためだ。その行動は実を結ぶ。

花園は主人公の意地っ張りに憧れ、主人公は花園の勇気と行動力に感服する。どちらも自分自身では気付けなかった価値ではないか。

価値がない、と思っている自分が、他人にとっても価値がない、とは限らない。そして他人に、価値がある、と思ってもらえて初めて自分でも、価値がある、と思えるようになることもある。自分の持つ価値は、自分だけではよく分からない。

自分に価値があるかどうかなんて、取り敢えず放っておいて、自分以外の誰かの好きなところを見付けて、それを本人に伝えてみたらいい。もしかしたら、それは本人も気付けなかった価値で、ならその時、自分は誰かに価値を届けられたことになる。

そうしたら、自分もその誰かに、何か好きなところを見付けてもらえるかも知れない。互いに互いの価値を見付けて届け合い、互いの持つ価値を照らし合うのが友情ではないか。友達ではないか。

自分という人間の価値は、自分の中だけでなく、他人の中にも積み重ねることができる。自分のことだけを見て、自分は空っぽだ、などと嘆いている場合ではない。

仲間外れにされた花園は、主人公を見付け、美しい処女を探す主人公は、花園を見付けた。そこから二人は、互いの持つ価値を照らし合うことになる。自分の価値をちゃんと知るには、何にしても他人と出会わなければならない。

その時、吸血鬼のような悪い他人に出会ってしまうこともある。そしてそれを唯一関係するべき他人と決めてしまうと、主人公のように、酷い目に遭う。他人と適切に出会えることと、他人と適切に別れられることが重要だろう。

主人公は花園の手によって、吸血鬼と別れることができた。それが、花園の持つ本当の価値に、主人公が気付く切っ掛けだ。花園の価値を知れたのだから、吸血鬼との爛れた関係も価値がないわけではなかった。

どんなにゲロクズでゴミクソな価値でも、ゲロクズでゴミクソだからこそ、より良い価値に気付ける切っ掛けになれる。そう考えれば、本当に空っぽなもの、無価値なものなんて、じつはどこにもないのかも知れない。