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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

タイザン5作、漫画「タコピーの原罪」を読む

第1話(第1巻) 2016年のきみへ

しずかはタコピーという存在を受け入れるが、タコピーが持つ力が自分を救う、とは信じていない。タコピーは始まりの時間を写真に記録する。やがてしずかはチャッピーを失う。そのことについてしずかは、友達と喧嘩した、と表現する。タコピーは「友達」と和解するための道具を差し出す。しずかは、タコピーの知らない間に、その道具で首を吊って死ぬ。タコピーはその死を取り消すために、始まりの時間に戻り、しずかの傍にいることを決意する。

第2話(第1巻) タコピーの冒険

タコピーは、何度も時間を戻ってやり直しながら、しずかが自死を願った原因と思われるものを取り除いていく。そして、そこに常にまりなが関わっていることに気付き、しずかとまりなは喧嘩している、と結論する。タコピーはしずかに変身し、しずかに代わってまりなに会い、和解しようとするが、まりなの暴力の凄まじさを身を以て知り、挫折する。タコピーはしずかの未来を変えようとしているが、その代償をしずかに引き受けさせ、自分では引き受けていないことに悩む。しかし、しずかはタコピーが傍にいてくれることを評価する。

第3話(第1巻) まりなキングダム

まりなはチャッピーを散歩させるしずかを付け狙い、チャッピーを挑発して手を噛ませ、チャッピーをしずかから奪う。タコピーは時間を戻り、しずかの行動を変えて、まりなとの遭遇を避けようとするが、チャッピーを奪う目的で動くまりなを、時間を何回やり直しても避けられない。タコピーはチャッピーを失うことを阻止できないが、「ぼくを信じて」としずかに訴え、しずかが首を吊ることは阻止する。チャッピーが奪われた翌日、まりなはしずかを待ち伏せ、チャッピーの話をしよう、と森へ誘う。しずかは怒りを秘めながら、それに応じる

第4話(第1巻) タコピーの救済

まりなは、チャッピーがいなくなって本当に何もかも失った現実を、しずかに突き付け、罵倒と暴力で激しく痛め付ける。タコピーはしずかを助けるために、時間を戻ろうとするが、それではいつまでも何も変えられない、と考え直し、時間を戻る道具でまりなを殴って殺す。道具は壊れ、それで時間を戻ることはもうできなくなる。しずかはまりなを殺せたタコピーの力を信じるようになり、二人は互いに手を取り合って、まりなの死体を置いて去ろうとする。

第5話(第1巻) 東くんの介在

しずか達を気にした東は、しずか達の後を追い、そこでタコピーを目撃し、まりなの死体を発見する。まりな殺害を重く考えていなさそうな二人に、東は常識的な説諭をし、自首を促すが、しずかは知識のある東を頼り、助けを求める。東は一転して、しずかの擁護に付き、タコピーの力を利用して、まりなの死体を隠し、タコピーをまりなに変身させて、事態の隠蔽を図る。タコピーは、一連の対処の是非を問うが、しずかに丸め込まれる。

第6話(第1巻) 東くんの冒険

しずかは、東京へチャッピーを探しに行きたい、と言い出す。東はそれを叶えるための計画と準備を始める。そこへ東の兄が通り掛かる。兄が去った後、東は兄への敵意を露にする。しずかは東に、兄の大切な指輪を盗むように唆す。東はタコピーと共に、指輪を盗むために兄の部屋に忍び込むが、失敗する。東はそのことでしずかに見捨てられるかも知れない、と内心怯えるが、しずかは失敗した東を笑って受け入れる。それから、しずかとタコピーと東は楽しい時間を過ごすようになる。

第7話(第1巻) タコピーの告解

タコピーは、自分がなぜハッピー星に戻れないのか、思い出せない。離婚の話をする、まりなの両親だが、まりなの父は、まりなに化けたタコピーに、離婚したら自分と住むように誘う。離婚後の父の住所が東京であり、しずか達と東京行きを考えているタコピーは、その誘いに乗る。まりなに化けたタコピーの数々の不審な態度を通じて、まりなの母は、まりながもういなくなってしまったことに気付く。まりなの母の振る舞いに、タコピーはまりなを殺したことを悔い、まりなの死を願ったしずかと話し合うことを、決意する。

第8話(第2巻) しずかキングダム

まりなの死体が見付かり怯える東に、タコピーは、これまでのことを全て正直に話そう、と促す。心が動きかけた東に、しずかは東京行きを予定通りに行うように、釘を刺す。東京行きの計画と、警察の捜査からしずかを護ることに没頭し、東は試験で悪い点数を取り、母から見放される。その絶望の中で傍にいてくれるしずかに、東は取り縋る。しずかはそれに付け込み、まりなを殺した道具を東に差し出し、東京行きを予定通りに行うために、東に身代わりになるように要求する。

第9話(第2巻) 大丈夫

優秀過ぎる兄に追い付けない東は、母の期待に応えられず、母に認められたい思いを募らせていた。東はしずかが母に似ていることに気付き、母の代わりに認めてもらおうと、しずかに近付くが、相手にされなかった。しかし、まりな殺害の始末に困ったしずかは東に助けを求め、母としずかを重ねる東は、善悪の判断を捨てて、しずかの求めに応えた。しずかは、東が身代わりになって少年院に入ったとしても、ずっと待つ、と言って、東を母に代わって抱き締める。

第10話(第2巻) 東くんの救済

まりなを殺した道具を抱え、しずかの身代わりになる決意をした東。その様子を心配した兄は、東に話したいことを話すように伝える。何でも手に入れられる兄と違って自分には何もない。母にも見放された自分には、もうしずかしかいない。そう言う東に兄は、おれがいる、と伝える。東は兄に、まりな殺害事件への関与を明かす。一方、タコピーはしずかに対しても、全て正直に話そう、と促すが、しずかの東京行きの意思は揺るがない。

第11話(第2巻) 日本縦断しずかツアー

しずかとタコピーは東京の父のところに辿り着くが、父は見知らぬ娘達と暮らしており、チャッピーもいなかった。父から去ったしずかは、娘達がチャッピーを食べてしまった、と言い出し、タコピーに「人間をつかまえて胃の中を調べる道具」を要求する。すっかり変わってしまったしずかに、タコピーは、もう帰ろう、と請う。しずかは冷たい目をして、タコピーへの失望を口にする。その冷たい目を見たタコピーは、忘れていた記憶を思い出す。そのタコピーに向かって、しずかは背後から石を振り下ろす。

第12話(第2巻) 2022年のきみへ

まりなはタコピーという存在を受け入れるが、タコピーが持つ力を鬱陶しがる。まりなは心を病んだ母の世話をするが、母はまりなの些細な不手際を、そんなことだから異性が寄り付かない、と激しく責める。まりなはタコピーに、頬の傷の由来を話す。幸せなお母さんになりたい、という、まりなの願いを聞き、タコピーはまりなを東と引き合わせる。恋人が出来たことで、まりなと母の仲は上向く。まりなはタコピーが傍にいてくれたことを評価する。首吊りが失敗し、生き延びたしずかが、まりなと東の前に現れる。

第13話(第2巻) タコピーの原罪

東は、ぼくにはしずかしかいない、と言って、まりなから去る。東との食事を非常に楽しみにしていた母は、東に去られた、まりなに激しく怒り、傷付けようとする。まりなは抵抗の末に母を殺してしまう。しずかを殺していれば何もかも上手くいっていたはずだ、という、まりなの言葉を聞き、タコピーは時間を戻ってしずかを殺すために、ハッピー星に帰る。ハッピーママは、掟を破った、としてタコピーの記憶を消そうとするが、タコピーはハッピーママに逆らって、強引に時間を戻る。それらのことを思い出したタコピーは、悪であるしずかを殺さなければ、と考えるが、まりなや、まりなを殺した自分は、悪ではないのか、と迷う。

第14話(第2巻) 直樹くんの介在

タコピーは東に事情を話し、一緒にしずかを探しにいこう、と言うが、東は、もうしずかとは会えないこと、タコピーと会うのもこれで最後であること、今は家族を優先したいことを、タコピーに伝える。タコピーは東に、ぼくが悪い子だからもう会いたいくないのか、ぼくが悪い子であるしずかに会いたいのはなぜか、と訊く。東は、誰にでもいい面と悪い面があり、悪い面があっても会いたいのは友達だからだ、と答える。東は、まりなを殺した、時間を戻る道具をタコピーに返す。そして、しずかへの態度は間違いだった、と自身を省み、時間を戻ったなら、ぼくに兄と喧嘩してみろと伝えてくれ、と託してタコピーと別れる。タコピーは辛抱強く待ち続け、冷たい目をしたしずかと再会する。

第15話(第2巻) しずかちゃん

タコピーはしずかを説得しようと一方的に常識的な説諭をするが、しずかの怒りを買い、踏み付けられる。そして今度はしずかが、一方的にタコピーに問いをぶつけ続け、常識や世間こそが自分を苦しめてきた、とその思いを吐き出す。タコピーは、しずかの問いには答えられない。そのことを正直に話す。そして、しずかのことを分からなかったこと、それがしずかを一人にしてしまっていたことを、謝る。二人は和解し、互いに手を取り合って、町をさ迷う。タコピーはしずかに、幸せだ、と伝えた後、しずかの幸せのために、自らを犠牲にして時間を戻る。

第16話(第2巻) 2016年のきみたちへ

タコピーは、しずか達とは違う次元から、しずか達を見守る。しずかとまりなは相変わらずの仲だが、東だけは兄との喧嘩ができるように変化していて、友達も出来たために、しずかと関わらなくなった。しずかとまりなは夜の公園で衝突するが、落書きとなったタコピーを見て、互いに泣き、和解する。タコピーは、しずか達が大人になれるように願いながら、しずか達と別れる。まりなとしずかは親密になり、高校生になる。二人は、タコピーと過ごした時間を、思い出すことはない。

第1巻

タコピーはしずかの自殺を阻止するために奔走し、まりなの恐ろしさを知る。しずかの自殺は阻止できたが、代わりにタコピーはまりなを殺害することになり、東がそれを隠蔽する。しずかと東の要請でタコピーはまりなに成り代わるが、その惨さに気付いて、自分達のしていることについて、しずかと話さなければならない、と思うようになる。

第2巻

しずかを護るために、まりなの死体を隠したことで、東はしずかの言いなりになっていくが、兄の助けで、しずかから離れる。タコピーはしずかと決裂し、忘れていた、まりなと過ごした時間を思い出し、しずかを殺そうと考えるが、しずかと過ごした時間がそれを思い止まらせる。兄と和解した東は、タコピーと別れる。タコピーはしずかと和解し、しずか達と別れる。東はしずかと関わらないようになり、東は兄と、しずかはまりなと、それぞれ親密になり、誰も死ぬことはなくなる。

作品全体

しずかを護ろうとして、まりなを殺して隠すことになり、東もタコピーも泥沼に嵌まり込んでいく。しずかも狂っていく。しずかを傷付けるまりなを、殺すのではなく、しずかの親友に転換することで、しずかは護られる。そのために、東もタコピーも、しずかから撤退するが、それには東が兄と和解する必要があった。


しずかは、宇宙人と称する異形の生物が目の前で空を飛んで見せても、その力に関心を示さない。その力は、しずかが背負う現実の問題を解決するのに、何の役にも立たないことを予感しているからだ。しずかは空を飛べても笑えない。

そもそもタコピーの道具は、人間が使うには不安定だ。しかし、この人間とは、しずか達のような現実を背負った人間、と言ったほうが正確だ。タコピーとしずか達は、根本的に存在の質が違う。

もしタコピーがドラえもんのような世界に舞い降りたのであれば、その世界の人々は、タコピーのハッピー道具を問題なく使えただろう。そこでは可笑しなことは起きても、悲惨なことは起きない。

タコピーは、人の死が起こらない、あるいは人が年齢を重ねない世界(いわゆるサザエさん時空)に属している。しずか達は、人の死が起こる、あるいは人が年齢を重ねる世界に属している。

タコピーとしずか達は、互いに違う世界に属する者同士なのだ。

それでもタコピーはしずかに道具を使ってもらいたがり、それがしずかの死を招く。本当ならしずかの首吊りは、ロープが切れて失敗するはずだった。決して切れない魔法のリボンは、それを成功させてしまう。

ここでタコピーは図らずも、しずかを殺しておくべきだった、という、まりなの言葉を成就させている。そして、それはタコピー自身の意思で取り消される。しずかは死ぬべきではない、とタコピーは感じた。では代わりに誰が死ぬべきか。

タコピーのしずかへの異様な執着は、そのまま、しずかを傷付けるまりなへの殺害動機に変わる。タコピーは、まりなを捨ててしずかを選んだ。まるで東のように。

タコピーはしずかの笑顔を願った。そのために、更に願うことがあった。

森の中で、しずかがまりなに激しく傷付けられているのを前に、タコピーは時間を戻ろうとして、思い直す。このまま隠れて見ているだけでは駄目だ、と。

タコピーが今までしてきたのは、お花ピンで姿を隠しながら、しずかを見守り、不味いことが起きたら、時間を戻ってしずかの行動やしずかの身の回りを変え、不味いことが起こる未来を回避することだ。しかし、それには限界がある。

ノートを隠されたり、給食を食べられなかったり、といった些細なことを埋め合わせても、まりなの悪意を変えない限り、しずかはいずれ自死に引き摺り込まれる。

タコピーは、しずかを多少変えることはできても、まりなを変えることはできない。なぜならタコピーは、しずかの傍に隠れ、しずかの補助としてしか動けないからだ。それがタコピーとその魔法の限界だ。

しずかは両親が離婚しないように星に願った。その願いは叶わず、しずかは魔法を信じなくなった。しずかが求める魔法とは、両親の心を、他人を、悲しい現実を変える力だ。

しずかの悲しい現実を変えるには、隠れてしずかを補助し、しずか自身が現実を変えるのを期待する、というのではいけない。しずかは無力だからだ。無力なしずかを補助しても、しずかは現実を変える力を持てない。

タコピーは、死の起こらない世界から、死の起こる世界に迷い込んできた。しかし、その存在は未だ、死の起こらない世界の質を引き摺っている。だからタコピーは、姿を隠さなければならず、しずかやまりなを直接変えることができない。

タコピーはしずかの笑顔のために、しずかの悲しい現実に自分も関わるために、その現実に姿を現し、しずか達と同質の存在になることを願った。その試みの一つが、しずかへの変身だ。

しかしそれは挫折する。タコピーはまりなの暴力に耐えることができなかった。そこでタコピーは、暴力に耐える側から、暴力を振るう側になった。

タコピーにとってまりなは、死の起こる世界へ自身が順応することを阻む者であるのと同時に、しずかの悲しい現実を構成する者の一人だ。

タコピーはまりなを殺害することで、死の起こる世界に順応し、しずか達と同質の存在になると共に、しずかの悲しい現実を変化させた。しずかはタコピーの魔法を信じるようになり、二人は手を取り合う。

この時、重要なのは、タコピーの存在の質が変わったのと同時に、死の起こる世界に於ける、タコピーの魔法の質が決定したことだ。それには、暴力に耐える質と暴力を振るう質と、二つの可能性があった。タコピーは後者を選んだ。

まりな殺害を機に、しずかは変わっていく。暴力に耐える者から暴力を振るう者へ。なぜなら、しずかの悲しい現実にタコピーが直接関わるようになったからだ。

まりな殺害以前、タコピーの存在を知るのは、しずか一人だけだった。タコピーはしずか以外に姿を隠していたからだ。まりな殺害を経て、タコピーは姿を隠さず、森を出ようとする。

そこに東が現れ、タコピーの存在を知り、まりなの死体を隠し、タコピーをまりなの姿に変えさせる。それによってタコピーは、外見までもが、しずか達と同質になり、死の起こる世界を違和なく堂々と歩けるようになる。

東はしずかを護るために、まりなの死体を隠した。それはいい(よくない)。タコピーをまりなの姿に変えさせたのは、何のためか。

それも、しずかを護るためではあるが、それだけか。と言うのも、東はしずかと偽まりなとに囲まれながら、誰にも言えなかったであろう、兄への複雑な感情を吐露したり、三人で楽しい時間を過ごしたりするからだ。

そして、まりなの死体が露見したことを知った瞬間に、その楽しい時間は成立しなくなり、東はタコピーに変身を解くよう指示する。東が開放的になれた時間は、偽まりなの成立と結び付いている。

偽まりなの成立は、まりなの死とその死の隠蔽とに結び付いている。まりなが生きていても、まりなが死んだだけでも、偽まりなは成立しない。

東が開放的な時間を得るためには、偽まりなが必要だった。だとすれば東は、開放的な時間を望むなら、まりなには死んでもらわなければならない。そして、その死を隠蔽しなければならない。

しずか、タコピー、そして東。まりなの死を願う者として、三人は森の中で一致していた。

東が得た開放的な時間と、偽まりなはどう繋がっているのか。偽まりなは、外見がまりなで、中身がタコピーだ。それが単なるタコピーでは、いけなかったのか。

三人で集まっている時、タコピーは偽まりなだったり、タコピーのままだったりする。それは、人目がありそうか、なさそうかの違いだろう。東の開放的な時間は、しずかとタコピーさえいれば成立していることが判る。

なら、偽まりなは必要ないのではないか、と思える。しかし、東はタコピーと別れる時、三人で遊んだことで初めて学校が楽しみに思えた、と言っている。

東には、学校を一緒に楽しく過ごせる友達がいない、という問題がある。タコピーを必要としているのは、しずかよりも、まりなよりも、東だ、と言える。

東がタコピーと学校で楽しい時間を過ごすには、タコピーにしずか達と同質の外見になってもらわなければならない。しかし、タコピーの変身は単独で行えない。そこには複製元が必要となる。

そして複製変身したタコピーが自由に行動するには、複製元に残ってもらっては困る。世間に知られず死んだまりなは、タコピーの現実化ないし人間化に好都合だった。

東は、偽まりなを必要としていた、と言うより、タコピーの人間化を必要としていて、それに同級生の隠れた死が好都合であり、そこにまりなの死が転がり込み、偽まりなが成立した、と言える。

さて、東の開放的な時間の成立には、タコピーの他にしずかが必要だ。ただし、このしずかには条件が付く。

まりなが生きている時、しずかに相手にされないにも拘らず、東はしずかの周囲をうろつく。しかし、まりな殺害を知った直後、あれだけ気に掛けていたはずのしずかに対して東は、自首しろ、と冷たい。この違いは何か。

東がしずかを気に掛けていたのは、第一に、しずかが母に似た美しさを持っていたからだ。そして第二に、しずかがまりなに激しい迫害を受けていたからだ。そのしずかは弱者であり、暴力に耐える女だった。

東はしずかに母を重ね、しずかを救って母の代わりに認めてもらおうと考えていた。ところが、しずかは宇宙人と連んでまりなを殺害した。この突飛な展開に、しずかは東にとって、一旦は母と重ならなくなる。

しかし、しずかは、少年院には行きたくないから、まりな殺害を隠したい、と言い出す。暴力に耐える者は、少年院行きにも耐えるはずだ。しずかはそれを拒否する姿勢を見せる。

しずかはタコピーとの結託によって、もうこの時は暴力に耐える側ではなく、暴力を振るう側になり始めている。それを目の当たりにして、再び東はしずかに、以前にも増して、夢中になる。

ここで東の隠れた性的嗜好が露になる。それは、高校生時代の東が、しずかを迫害していた、まりなと付き合い、暗く冷たい目をした、しずかが帰ってくるや、まりなを捨てて、しずかに付いていったこととも通じる。

そのしずかは、首吊りの失敗を経て、暴力を振るう側として甦った、しずかだ。東は暴力を振るう女に滅法弱い。

それは母との力関係の再演だろう。ただ、東の母は東に身体的暴力を振るっている様子はない。だから正確には、東は(他人を)支配する女に弱い。

東はしずかに、死体隠しや東京行きの計画について、あれこれ指示を出し、まるでしずかを支配しているように見えるが、最初だけだ。

兄の指輪を盗むように唆されたり、自首を考えているところに釘を刺されたり、果ては、身代わりになるように要求されたり。そもそも、死体隠しも東京行きも、しずかの要求だ。

しずかが東に指示や指摘をされ、むすっとむくれる場面が二度ある。しずかの中に、自分こそが支配者だ、という感覚が芽生えていることが窺える。

東は、弱い母としてのしずかを支配するつもりで、しずかに支配されている。そして、女に支配されている時だけ、東は開放的になれる可能性を得る。支配する女とは母のことであり、母に自分の話を聞いてもらうことが、東の願いだからだ。

なら東の開放的な時間は、しずかさえいれば成立するのではないか。しかし、そうはならない。東にはもう一つ、友達がいない問題がある。東は母の要求に専念したことで、友達を作れなかった。

東は、母も友達も、手に入れられなかった。しずかとタコピーと一緒にいることで、東は、そのどちらも、手に入れられたような気になれた。しかし、その魔法はすぐに解ける。

しずかは、東を愛してくれていたわけではなく、ただ利用していただけだし、タコピーは所詮は虚構の友達だ。仮にまりな殺害がずっと露見しなかったとして、その後、中学、高校と、タコピーはどう年齢を重ねていくつもりか。

何よりも、その虚構の友達を現実に引き止めておくために、東達は現実の人間を殺して隠した。現実に起こしたことの付けは、現実の人間が支払うことになる。

そして、現実の人間を殺して隠すことの惨さを、他ならない、殺され隠された側であるまりなに化けることになった、タコピーが、友達である東に何度も訴えていた。

結局、東は友達の訴えを聞けず、母の要求にかまける。東は母に執着するから、友達を見失う。そして、誰にも話を聞いてもらえなくなる。その失敗を、東は再び演じるかけることになる。

この作品の中心には、東がいる。東は母に話を聞いて欲しかった。それが叶わないなら、せめて話を聞いてくれる友達が欲しかった。しずかもまりなも、似た願いを持った、東に似せられた存在だ。

しずかは母の美しさを、まりなは母の支配力を、それぞれ移植された、母の複製でもある。二人の少女は、東に似せられた母だ、と言える。

東は少女達に、自分と母とを一緒に重ねたい欲望を持っている。そのために、少女達を改造したい欲望を持っている。

この作品は、東の欲望を描き出すためにある。少女達が悲惨な家庭状況に置かれているのは、少女達を改造し易くするためだ。そして少女達は改造される。それを一人批判するのがタコピーだ。

タコピーは、殺され隠されたまりなに化けて、まりなの家庭に入り込む。そこでタコピーは、両親の深刻な会話の間に入って、自身の都合を優先した振る舞いをする。

その後、まりなの母はタコピーを折檻する。しかし、まりなの母は同時に、目の前のまりなが偽者であることも見抜いている。タコピーは、家の中に飾られた、思い出の品の数々を見渡して、まりなの家族が過ごした時間の重さを感じ取る。

そしてタコピーは、まりなを殺してしまったことを悔いる。

まりなの母が、まりなの姿をしたタコピーを折檻し、しかしそのまりなを偽者と断定し、まりなへの謝罪と反省と情愛とを語る。そして訪れる、タコピーの悔悟。この一連の場面は、多くの人が解釈に困るところではないか。

ここで描かれているのは、ある家族の、母と娘の間の、単純には割り切れない関係性だ。愛しいけど憎い。抱き締めたいけど傷付けたい。それは母から娘への気持ちでもあるし、娘から母への気持ちでもある。

この作品は東の欲望に則って、家族と不和の少女を、家族から切り離し、改造する構造を持っている。

改造とは、少女を暴力に耐える側から、暴力を振るう側へと変えること、あるいは少女を殺して隠し、その外見と身分を乗っ取ることを指す。

作品はまるで、粗大ごみ置き場に捨てられた物を勝手に持って帰って好きにするように、少女達を不良家族から切り離して改造しようとする。所有権も情愛も放棄された物だから、どうしようが誰も抗議しないだろう、と。

だが、少女達はごみではない。たとえ、親の側がそうのように少女達と接している、と感じられたとしてもだ。少女達には意思がある。願いがある。親の側にも当然、それらはある。どちらも同じ人間だからだ。

そして人間だからこそ、互いに良い関係を望みながら、どうにも上手くいかなかったりする。それで衝突もする。その果てに、和解するかも知れないし、互いに離れて生きたほうが幸せだ、という答えを出すかも知れない。

まりなは死んでしまった。そうなれば、もう和解も、互いに離れて生きる幸せも、あり得ない。まりなにハッピーは訪れることがない。まりなが欠けた家族にも、まりながいるハッピーは訪れることがない。

ごみのように扱われるのを見て、ならば、と少女達を持ち帰り、改造した、東こそが少女達をごみ扱いしている当の人間だ。死体を埋めて隠し、偽まりなが成立した後日の、死んだまりなに対し「あっち」呼ばわりする東の薄情さを見よ。

タコピーが謝っているのは、まりなを殺したこと、だけではない。家族でない他人が、家族の中の人々の意思や願いを無視して外から手を入れ、家族に回復不可能な変更を加えてしまった。そのことを謝っている。

家族の破壊ではなく再生が、まりなの願いだった。他人には壊れているように見えても、それがまりなの大切なものだった。まりなの生命だけでなく、まりなの大切なものをも、東達は破壊した。

タコピーだけが、なぜそのことを気に掛けるのか。それはタコピーが、虚構に出自を持ち、現実に越境して根を下ろし、その虚構性を以て現実を破壊した張本人だからだ。

虚構の存在だからこそ現実を破壊してしまい、同時に現実に根を下ろした存在だからこそ、虚構としての自分が破壊してしまった現実に対して、自覚的になれるのだ。

しかし、タコピーとは何者なのだろう。タコピーの特徴は何と言っても、どんなこともハッピーに解釈してしまうところだろう。それは当然、タコピーが本来は死の起こらない世界に属していることに由来する。

タコピーのもう一つの特徴は、暴力に対する無限の耐性だ。まりなに殴る蹴るの暴行を受けても、タコピーは一応は痛がったり傷が出来たりするものの、それでまりなを恐れることはなく、離れることもない。

タコピーが理解できるのは虚構的な悪意や暴力で、現実的な悪意や暴力は理解できない。タコピーの属する世界では、現実的な悪意や暴力は起こり得ないからだ。

もし現実的な悪意や暴力が起こり迫ってきても、タコピーの虚構的身体は、それを虚構的な水準にまで減じてしまい、感じ取れない。

タコピーは年齢を重ねないし、傷付かないし、死なない。感じる痛みも、箪笥の角に小指をぶつける程度が限度ではないか。しかし、そんなタコピーだからこそ、全ての物事にハッピーへの繋がりを見出だすことができる。

逆に言えば、タコピーはどんなに悲しいことが起きたとしても、ハッピーの可能性を諦めることがない。絶望しない。悲しい現実を生きるしずか達には、タコピーのその態度は、時に苛立たしく、時に羨ましいかも知れない。

だがタコピーは、自身の持つ、暴力に対する無限の耐性を、タコピー自身の選択によって一時捨てることになる。タコピーは虚構の身体を持ったままでは、しずか達に深く関われないからだ。

しずかの悲しい現実を変えるために、タコピーはしずかに変身し、しずかに代わってまりなと会う。そこでタコピーは、現実的な身体で、現実的な悪意や暴力をそのまま味わう。以降、タコピーはまりなに対して、強い恐怖を抱くことになる。

タコピーは偽しずかになったことで、しずかと共鳴するようになった。それがまりな殺害にも繋がっていく。

そしてその後、タコピーは偽まりなになる。そして、まりなに代わって母からの折檻を受ける。そこでタコピーは、母の恐ろしさをそのまま味わう。

だが直後に、まりなの母に偽物と見抜かれ、まりなへの情愛を見せられた時、タコピーは母の凄さと複雑さを感じると共に、娘の側にもまた、母に対する複雑な情愛があるのだ、と知った。

それを以て、タコピーは東やしずかに、このままでいいのか、と訴えるようになる。

東やしずかは家族への失望から、家族を離脱し、家族を解体しようとしている。タコピーには、現実の家族の良し悪し、母の良し悪しなど、よく分からないだろう。しかし、よく分からないからこそ、無心に見詰め、問うことができる。

タコピーとは何者か。少なくともそれは、虚構という出自を持ち、それを生かして現実に柔軟に潜り込み、解体に向かおうとしているものを、解体に関わることで、それが何かを理解しようと試みる者のように思われる。

タコピーは何者か。それを知るために、作品からタコピーを除去してみよう。

タコピーは最初に、高校生時代のまりなの前に現れている。だから、タコピーがいない場合の、高校生時代までのしずか達については、ある程度は分かる。

しずかはまりなに虐められ、首吊り自殺を試みて失敗し、一旦地元を離れ、暗く冷たい瞳をして帰ってくる。まりなは、しずか虐めで連んでいた女子達とは友達ではなくなっており、父は家を出ていき、怒らせた母に頬に消えない傷を付けられる。

東は優秀な兄に追い付けず、兄が医院を継ぐだろうことを卑屈に語る様子から、兄との関係も悪いままのようだ。当然、母との関係も悪いままだろう。

ここでタコピーがまりなの前に現れ、まりなの話し相手になり、まりなと東を引き合わせ、まりなの母に期待をさせ、しずかが帰ってきて、東はまりなから去り、まりなの母の期待は裏切られ、まりなは母と衝突し、母を殺してしまう。

その後、タコピーはまりなの言葉を受けて、過去に戻るためにハッピー星に帰り、そして小学生時代のしずかの前に現れる。

このように書いてみると、高校生時代のタコピーがしたことは、まりなを東と引き合わせたことくらいで、時間を戻ること以降を除いて、後は特に何もしていないことが分かる。

まりなと東が付き合うことになったのも、しずかが帰ってきたのも、東がしずかを見付けて、まりなと別れるのも、まりなが母と衝突し、母を殺してしまうのも、タコピーは直接関わっていない。

だから、この作品からタコピーを除去することとは、まりなを東と引き合わせないことと同じ、ということになる。まりなと東が引き合わされなかったら、どうなるか。

まりなと東が引き合わされるかどうか、に拘わらず、しずかは帰ってくる。しずかは小学生時代に東を相手にしなかった。もししずかと東が偶然どこかで出会ったとして、しずかは今更、東を相手にするだろうか。

タコピーがいた場合、しずかは東に接近するが、その前にしずかは、まりなが東と並んで歩いているところを通り過ぎている。まりなの様子からは、まりなが東に特別な感情を抱いていることは容易に読み取れただろう。

しずかが帰ってきたのは、まりなに何らかの報復をするためと思われる。だとすれば、しずかはまりなに報復する手段として、東に接近する理由が出来ることになる。

逆に言えば、まりなに特別な感情を抱かれない東に、しずかは接近する理由がない。

タコピーがいない場合、東とまりなが出会っても、単にまりなが死んで終わる。用済みとなった東は、しずかに捨てられるだろう。東としずかが出会っても、まりなと何の関係もない東を、しずかは相手にしない。

結局、タコピーがいなければ、東はしずかとも、まりなとも、関係することができないで終わる。それは、東はタコピーがいることで、ようやくしずかとも、まりなとも、関係することができるようになっている、ということでもある。

タコピーは第一に、東が関係できないはずの、母の複製である少女達と、東を関係させるために存在している。より正確に言うなら、美しさの上に支配力を得て、より母に近付いたしずかと、東を関係させるのがタコピーの役目だ。

そのためにタコピーは、東をまりなと引き合わせ、まりなに東への特別な感情を抱かせ、東をしずかと関係できるようにする。だが、東はしずかと関係できても、短時間の内に、まりなの死を招き、それは終わってしまう。

タコピーは東をしずかと関係させ、かつ長続きさせなければならない。それが第二の役目だ。しかし、東はそのままではしずかに相手にされない。まりなと関係がある間だけ、東はしずかに相手にしてもらえる。

東が関係し続けたいのはしずかで、そのためにまりなと関係し続けるの本末転倒だし、そうしたところで、まりなは死に、しずかとの関係は終わる。

どうするべきか。まりなの死で、東としずかを結び付ければいい。まりなの死を、東としずかの関係の終わりではなく、始まりにすればいい。

そのためには、東としずかをまりなの死に直接関わらせなければならない。まりなに母との衝突で勝手に死んでもらっては困る。タコピーはまりなが自死する前に、その死を管理下に置く必要がある。

だからタコピーは、まりなと母との関係が、まりなの死に結び付くほど危機的になってしまう前まで、まりなが母に頬に傷を付けられてしまう前まで、時間を戻る必要がある。

ついでに言っておくと、まりなは、頬の傷を気にしないでくれる、と東の態度を好意的に解釈しているようだが、東はそもそも、まりなの支配力に母を感じているだけで、傷を含めた容姿のことなどには関心がない。その意味でどうでもよかったはずだ。

さて、まりなと東が別れたことを、その話し合いの場にいながら理解できなかったほどに鈍感なタコピーが、母を殺してしまった、まりなの願いを、すんなりと掬い取って、「殺す」の意味も知らないままに時間を戻る準備を進め出したことを、思い出そう。

この時のまりなの願いが本当は何だったかは、不明だ。しかし、タコピーにとってそれは、時間を戻る口実にさえなれば、何でもよかったように思われる。

時間を戻ってやり直す。兄に追い付けず、母も友達も手に入れられず、母に似た少女達とも関係できずに、高校生になってしまった東が、切実に願うのは何よりもそのことではないか。

第一の役目も第二の役目も、タコピーでなくても可能かも知れないが、時間を戻ってやり直す、という、この第三の役目は虚構の存在であるタコピーだからできる。

タコピーとは、情けない過去を生きてきてしまった東が、現在の自分をやり直したくて生み出した、虚構としてのもう一人の自分だ。

この虚構の東とは奇妙な存在で、東であって東でない。東の願望を叶えるように行動するが、東とは独立している。

作中の設定を援用して語るなら、地球は東の領域だ。そしてハッピー星は、東とは独立した、「ドラえもん」的な領域で、そこから来たタコピーは「ドラえもん」的作品に適合した存在だった。それが「地球」に呼ばれたことで、東的タコピーとなった。

東から独立したハッピー星の主、ハッピーママは、東的タコピーを拒絶し、記憶を消去して、生まれたままのハッピー状態に戻そうとする。

東的タコピーは「ドラえもん」的想像力を、泥と血に塗れた、非「ドラえもん」的領域に展開(悪用)しようとしているからだ。

ハッピーママを叩いて退け、強引に時間を戻るタコピーは、「ドラえもん」的制約ないしお約束から逸脱した「ドラえもん」をやろうとしている、作り手と重なる。ハッピー星でのやり取りは、本作の制作の楽屋裏のような場面だ、と言える。

タコピーは東の願望や欲望を背負いながら、小学生時代に行って、その時のしずかと関係を作ろうと奮闘する。それは東としずかの関係ではなく、先ずタコピーとしずかの関係だ。

タコピーは、道具に関心を持ってもらえないものの、しずかに存在を受け入れてもらえている。少しも相手にされない東とは大違いだ。タコピーと東は何が違うのか。

しずかがタコピーの匂いを嗅いで、無臭だ、という場面があるが、これはチャッピーとの比較ではなく、東との比較と理解するべきだ。

東は、タコピーとは違い、しずかにとって不快な「匂い」を纏っていた。だから、しずかは受け入れなかった。そして、しずかの支配下に入った時、その「匂い」が消えて無臭(?)になり、しずかは東を、抱き締めることができるようになった。

ここでもついでに言うと、しずかはチャッピーの匂いを嗅いで「すこし くさいね」と言うが、それはしずかがまりなに、臭い、と言われていることと繋がってくる。

しずかは大好きなチャッピーが汚くて臭いからこそ、まりなから、汚くて臭い、と言われても耐えられる。寄生虫という言葉も、誰かに飼われている、という点では、チャッピーの立場に通じる。

しずかは、おまえはおまえが大好きなものと同じ、と言われているのだ、と思えば傷付きはしない。ただそれも、大好きなチャッピーが傍にいればこそだ。

まりなはしずかを抹殺したいが、直接殺すわけにはいかない。しずかが勝手に死ぬように仕向けるためにも、心理面への攻撃に余念がないが、チャッピーの存在がそれを阻む。だからまりなは、チャッピーをしずかから奪った上で、チャッピーの話をしよう、などとしずかを誘う。

チャッピーに再び会いたければ、チャッピーが行った遠いところへ、おまえも行け、ということだ。

さて、タコピーはしずかと関係を作れた。東との違いは、「匂い」の有無、即ち邪念の有無だ。東には邪念がある。その邪念こそ、しずかへの執着の源であり、しずかから相手にされない原因でもある。

タコピーは、東の邪念の脱臭装置としてある。それだけでなく、タコピー自身が邪念なしの無臭東としてあり、それがしずかとどう関係できるのかを測るための、試験体としてある。

東は母への屈折した感情から、しずかに関心を持ち、しずかに恩を売ろうとしているが、タコピーはしずかに優しくされたことから、しずかに関心を持ち、しずかに恩を返そうとしている。

東の母絡みの邪念は、異性への単純で健全な関心に置き換えられて、タコピーに宿っている。しかし、タコピーとしずかが健全そうな関係を作ろうとも、それは東としずかを結び付けるための準備であり、そこには、まりなの死が組み込まれている。

タコピーは東の悪さに、しばらく付き合わなければならない。

あれだけ能天気に振る舞っていたタコピーだが、まりな殺害後は、本当にこれでいいのか、と物を考えるようになる。それは時間を戻る道具が壊れたことと関係する。

時間を戻る道具であるハッピーカメラは「ドラえもん」的想像力の象徴だ。

まりなはタコピーに、しずかと同じように食料を与えたはずが、タコピーはしずかに出したはずのハッピーカメラを、まりなには出していない。

これはタコピーがハッピー星から脱退する前だからであり、脱退とは、時間を戻る、という「ドラえもん」的想像力を、規範を無視して外部に持ち出すことを意味している。

この時のタコピーは、まだ「ドラえもん」的想像力を行使できない。やっているのは、東をまりなと引き合わせる、あるいは、まりなの話を聞く、という、現実にもできる範囲のことだけだ。

タコピーはしずかに出会った翌日の時間を記録し、そこから、しずかが首を吊るまでの間を、何回もやり直す。

タコピーは、しずかが首を吊る原因らしき悲しいことを見付けて、解決していくが、まりなという根本原因は解決できない。しかし、しずかはタコピーが自分のために何かをしてくれていることに気付いていて、その事実にしずかは救われる。

しずかが首吊りを完遂できた要因は二つある。一つ目は、一人だったこと。二つ目は、決して切れない、ロープ状の道具を手に入れたこと。

タコピーは、二つ目の要因に加担してしまい、それを反省して、もう仲良しリボンをしずかに差し出さない。

しかし、それだけでは首吊りを防ぐことにならない。首を吊る道具は他にいくらでもある。実際にしずかは、失敗に終わるものの、タコピーがいなくても首を吊ってしまった。

重要なのは、しずかを、物理的にも心理的にも、一人にしないことだ。しずかに「最近はちょっと悪くないんだ」と明かされた時点で、タコピーはしずかの心理的な支えになることができている。しずかの首吊りの回避は、ここで約束されている。

しかし、「ドラえもん」的想像力が解決できるのは、ここまでだ。

しずかが虐められていることや、しずかが一人であることは「ドラえもん」的想像力が取り扱える問題の範囲内だが、まりながしずかを自殺に追い込もうとしていることは、その範囲を越える。

「ドラえもん」的想像力は、死や死に繋がる暴力を、取り扱うことができない。いくら時間を戻ってやり直しても、しずかを傷付け殺そうとするまりなは、変えられない。首を吊らなかったとしても、しずかはいずれ、まりなに心を殺される。

しずかに対して、時間を戻ることは有効だった。まりなに対して、時間を戻ることは、破局の遅延にしかならない。しずかとの関係を築いた後、もはやハッピーカメラの、時間を戻る機能は使う意味がない。壊れているのも同じだ。

もしタコピーがまりな殺害後に、カメラが壊れておらず、時間を戻れたとして、どうすることができたか。恐らく、まりなはチャッピーを奪った時と同じ執念で、しずかを傷付けようとする。時間を戻っても戻っても、タコピーはそれを変えられない。

その時、ハッピーカメラの妙な重さだけが意味を持つようになる。「ドラえもん」的想像力はもう役に立たない。かと言って、物語は終わってはくれない。タコピー達は「ドラえもん」的世界ではなく、悲しい現実の世界に生きているからだ。

物語を続けるために、タコピーはハッピーカメラでまりなを殺害する。その死の後始末を通じて、東としずかは関係を始める。タコピーは、東としずかを、すぐには切れない関係にすることができた。

タコピーは「ドラえもん」的想像力を悲しい現実に持ち出して、時間を繰り返し戻り、最後に想像力を捨て、時間を戻れなくなることで、東の願いを叶えた。

それがハッピーカメラとタコピーの役目だったが、それで終わりではない。タコピーには、東の友達になる、という最後の役目がある。それは、東と違う考えや欲望を持って東に付き合い、道を誤りそうな東を正しい道へ引き戻す、ということだ。

タコピーが東としずかに、これで本当にいいのか、と問うたのは、東離れの徴候だ。その時はしずかに丸め込まれてしまうが、まりなに化け、まりなの家庭での出来事を経て、タコピーは東やしずかへの批判心を明確にする。

どんどん暴力を振るう側へ突き進んでいく、しずかを、東は止めるどころか擁護してしまう。もしまりなの死体が露見せず、東京行きに東も同行していたら、東はしずかの猟奇的な提案を了承し、自ら進んで加担し、実行しただろう。

だが一方のタコピーは、しずかに、もう帰ろう、と呼び掛けることができる。

東が真に心奪われたのは、暴力を振るう女としてのしずかだが、タコピーが真に心奪われたのは、パンをくれた、優しい頃のしずかだ。それは言わば「ドラえもん」的想像力の範囲に収まるしずかだ。

タコピーは「ドラえもん」的想像力を喪失した今、自力でそれを取り戻さなくてはならない。それが東の失敗を取り戻すことにもなる。だからタコピーは、悲しい現実の中で、ちゃんと物を考えなければならない。

記憶を取り戻したタコピーは、悪であるしずかを殺さなければ、と思うものの、すぐにまりなや自分の悪にも思い当たり、悪とは何か、と悩む。

そこに東が現れて、タコピーやしずかにはもう会えない、と言って、しずかに託された、壊れたハッピーカメラをタコピーに返す。東は家族を回復し、タコピーもしずかも、もう必要なくなりつつある。

タコピーは東を救うためにいる。東は救われつつあるが、タコピーは東に何をして、どう救ったのだろう。

タコピーが東にしたのは、しずかと結び付けることだけで、直接救ってはいない。東を直接救ったのは、東の兄だ。しかし、タコピーは東の兄と接点はない。一度だけ会ってはいるが、それは偽まりなとしてだ。

なら、タコピーは東と東の兄を、どう結び付けたのか。

東と東の兄は関係が良くなかった。それは専ら東の側の心理的な問題だ。兄はいつでも東を受け入れるつもりでいたが、東はそれを拒否していた。東は母に拒まれ、母に執着していた。母の期待を一身に受ける兄を疎んでいた。

だが東は、それを表出することはなかったのだろう。惨めになるだけだからだ。東は兄に本心を隠して過ごした。兄は何も話さない東に、どうすることもできない。

二人のその関係が変化するのは、東がしずかの身代わりになるために家を出ようとする時だ。そこで東は兄に、今まで言えなかった思いを吐き出す。なぜ東はここで急に本心を言えるようになったのか。

それは東がしずかと結び付き、しずかのために犠牲になろうと決心したからだ。そうすることで東は、母と兄への執着から離れることができた。

東は母に執着する限り、母に期待される兄へも執着することになる。東にとって兄は、母を巡る闘いの勝利者で、自身は敗北者だ。敗北者は沈黙しなければならない。

と言っても、その勝敗は東が勝手に設定したもので、それを知らない兄にとっては、東はただの愛しい弟でしかない。

東は、母ではなく、しずかに期待され、それに応えることで、敗北を退け、自身も兄と同じ勝利者になれる。兄と同格になった、と思えたことで、東にとって兄は、恐れ多い勝利者などではなく、ただの兄になる。

そうして東は、兄に言いたかったことを言えるようになる。そこで、ようやく本心を話してくれた弟を、兄は精一杯に受け止める。東と兄はここで結び付く。

タコピーは、東をしずかと結び付けることで、東と東の兄を結び付けた。そして東は気付くのだ。自分に本当に必要だったのは、しずかでもタコピーでもなく、いつも自分を愛してくれていた、兄との関係だったのだ、と。

東はタコピーにハッピーカメラを返し、物語から退場する。物語を通じて、本当に必要なものに気付けたからだ。そして友達であるタコピーに、後を託す。

この物語は東の願いから始まっているが、この物語を動かしてきたのは、東の願いを引き受けた、タコピーだからだ。

この作品の題名である「タコピーの原罪」の「原罪」とは、タコピーが引き受けた、東の願いのこと、あるいはそれを引き受けたこと自体を指している。

東が救われた今、タコピーは東を救うために犠牲にしてきたものを、「ドラえもん」的想像力を、再び自分の手に取り戻さなければならない。

しずかは、タコピーがいない場合、首吊りとその失敗を経て、暗く冷たい瞳をして蘇る。しずかは心を殺された時、暗く冷たい瞳を宿す。東を呼びに行ったタコピーは、その瞳を恐れて、しずかに近付けなかった。

東京へ行き、父に会い、父の裏切りを受けた後、しずかはやはり暗く冷たい瞳を宿す。しずかはその時、父に心を殺されたのだ。そしてタコピーはやはりその瞳を見て、しずかを恐れ、その後、しずかを殺さなければ、とすら考える。

タコピーは「ドラえもん」的想像力の外に飛び出してしまった、暗く冷たい瞳を持つしずかに、どう向き合えばいいのか分からない。一度はしずかの心理的な支えになれたタコピーは、しずかを再び一人にしてしまう。

だが、悪とは何か、と悩む通り、既にタコピーはまりな殺害を経て、しずかと同じ悪の側、「ドラえもん」的想像力の外に立っている。なら今こそタコピーは、しずかに恐れず近付き、その手を握り、一緒に悪の側から抜け出すことができる。

タコピーは、激しく暴力を浴びせてくる、しずかの手を強く握って放さない。ハッピー握手だ。

タコピーはその虚構の身体で、暴力を受け流してきた。別の言い方をすれば、無視してきてしまった。そのことで、まりなやしずかと繋がれた一方で、置き去りにしたものがある。

タコピーは暴力というものを上手く理解できない。そして、まりなやしずかがタコピーに振るう暴力は、彼女達の、誰にも言えない感情の発露であり、心の叫びだった。

タコピーはまりなの暴力を受け流し続けて、彼女の心の叫びに気付くことができず、その果てに死なせてしまった。タコピーはまりなの、ガラスへの恐怖を聞いてあげてはいたが、理解できてはいなかっただろう。

タコピーは今、しずかの暴力を正面から受け止め、そして応答する。タコピーは、誰にも見付けてもらえなかった、しずかの心を見付ける。

しずかは救われた。しかし、本人も言うように、しずかは既に色々なものを失っている。そしてたとえ時間を戻っても、チャッピーはともかく、父や母の心はもう戻らない。

それは「ドラえもん」的想像力の限界ではなく、この作品の限界だ。父や母の心を、「ドラえもん」的想像力で取り戻せないことはないが、それはこの作品の取り扱う範囲を越えることになる。

東が母への執着から失敗を繰り返し、兄の存在に気付いて立ち直るように、この作品は、取り戻せないものを取り戻そうとすることを諦めた上で、取り戻せないものの代わりに何を手に入れるべきなのか、それを探している。

しずかは救われはしたが、父や母の代わりに何を手に入れるべきなのか、その答えをしずかは、まだ見付けられていない。

しずかは、答えはタコピーだ、と感じているが、タコピーは虚構の存在であり、現実の代わりにはならないし、そうすべきでない。タコピー自身が、そう考えていることに加えて、自分の代わりとして、しずかが何を手に入れるべきか、それにタコピーは気付いている。

タコピーは自身のハッピー力を犠牲にして、壊れたハッピーカメラを動かし、時間を戻る。ハッピー力の説明は作中にはないが、それはここまで「ドラえもん」的想像力と呼んできたのと同じものを指しているはずだ。

そして、それを犠牲にする、という表現は少し正確ではない。タコピーがやろうとしているのは、物語からハッピー力を削除することだ。それは、タコピーのハッピー力と共に展開してきた物語をも、削除してしまうことだ。

タコピーは物語の中で失敗した未来を取り消すのではなく、物語の外に出て、失敗した未来を含む物語そのものを取り消そうとしている。

なぜタコピーにそんなことができるのか。ハッピー星で「ドラえもん」的想像力の行使を巡っての軋轢を垣間見せたように、タコピーは純粋な漫画的存在ではない。

タコピー自身は心を持ち、喜怒哀楽を見せ、時に悩む、漫画内の普通の存在としてある。だが、その存在は演じられたものだ。タコピーは本当は、作品を意のままに創造することも破壊することもできる。

タコピーは作品の創造主たる作者の分身だ。しかし、作者の分身と言うなら、しずか達だってそうだ。作中の人物は誰でも作品を創造し破壊する力を秘めている。作中の人物は、作者が物語を表現するための道具の一つでしかないからだ。

しずかはまりなを自力で殺害することだって、父や母を取り戻すことだってできる。なぜしずかがそれをしないか、と言えば、そんなことでは物語が成立しないからだ。

物語を成立させるために、しずか達は力を使わない。使わない、という意識もない。しずか達は漫画の中に成立した世界を淡々と生きるだけだ。タコピーもその世界を生きている者の一人だが、しずか達と違って、その世界にだけ生きてはいない。

タコピーこそは物語を成立させるために、漫画の外の世界にも生きている。そして、その創造と破壊の力を、物語を成立させるために、それが必要になる時まで眠らせながら、しずか達と同じように、漫画の中の世界を生きていた。

漫画の外の世界とは何か。それは一般的に言えば、漫画の読者達の生きる現実だが、この作品の場合は少し事情が違ってくる。この作品が取り扱う物語は特殊で、そのために、漫画の中と読者達の生きる現実との間に、もう一つの世界が成立している。

この作品が取り扱う物語は二つに分けられる。しずかとまりなが敵対し続ける物語と、しずかとまりなが親友になっている物語だ。そして、この二つの物語の関係は一方通行だ。敵対物語からは親友物語に繋がるのだが、親友物語からは敵対物語に繋がらない。

読者は長く敵対物語を読んだ後、最後に親友物語の一部に接続されてそれを読むので、二つの物語は一つであるように思ってしまう。

二つの物語の関係について別の言い方をすれば、親友物語は完成以後の物語で、敵対物語は完成以前の「未」物語だ。そもそも敵対物語を物語と呼べてしまうことが異常事態なのだ。

敵対物語は本来なら(創作過程の)構想と呼ばれるべきもので、通常は読者に認知されるようなものではない。物語ですらない。

しずか、まりな、東を主要な登場人物とすることは決定しているが、三人にどのような関係を与えるか、それによって三人にどのような未来を与えるか、それらが未決定であるのが、敵対物語の元々の姿だ。そこに物語はまだなく、仮の設定だけがある。

その中で作者は、あれこれ三人の関係とその未来を試行錯誤する。その結果として親友物語が完成し、通常であれば読者は、その親友物語だけを読むことになるはずだった。

だが、作者はその試行錯誤それ自体を物語化して、親友物語の前段として、親友物語の一部と合わせて読者に提供した。その結果成立したのが、この作品だ。

敵対物語は、未決定だった三人の関係を決定していく過程としてあり、三人の子供達に必要なものが何なのか、それを探る過程としてある。

そして、その当てのない作業に道筋を付け、構想過程を敵対物語に、敵対物語を親友物語に。「未」物語を物語にするその過程を物語にする。この二重の物語化を担ったのがタコピーだ。

そのタコピーが生きる、漫画の外の世界とは、特権的読者の世界のことだ。

通常の読者は漫画の内容を評価する立場だが、評価はできても変更はできない。漫画は既に完成しているからだ。

一方でタコピーも通常の読者と同じように、漫画の内容を評価する立場だが、通常の読者と違って変更ができる。漫画はまだ完成していないから、と言うより、制作中の漫画を完成させようとする、その現場に居合わせているからだ。

その立場は作者に等しいが、作者とは限らない。編集者だったり、作者が信頼する身近な誰かだったりする。制作中の漫画の内容とその完成に強い影響力を持つのが特権的読者であり、その世界にタコピーは生きている。

タコピーは、制作中の漫画の中を登場人物の一人として生き、物語の完成に必要なものを探りながら仮の物語を築き、それを特権的読者として評価して、失敗しているようなら戻ってやり直す、という、とても忙しいことをしている。

その結果、タコピーは失敗した物語を築きながらも、三人の子供達に必要なものに気付いた。それに基づき設定を最終決定し、仮の物語を削除し、自分自身をも消去する。そして本当の物語が始められる。

仮の物語の中で、仮のしずかと時間を過ごしたタコピーはその別れを惜しむ。それが、破棄されることが予定されていた、仮の関係だったとしても、物語を生きてきた二人にとって、それは本当の関係に相違ない。

仮の物語を本当に生きることができないようなら、特権的読者にはなれないし、漫画など作れはしないだろう。

タコピーはいなくなった。しずかはタコピーと出会わず、まりなもタコピーに出会うことはない。東は母への執着を、しずかやまりなに、ぶつけるのではなく、兄と向き合うことで、解消するようになり、二人の少女とは距離を置く。

しずかとまりなは孤立した子供で、それが様々な悲劇を育んだ。二人には傍にいてくれる誰かが必要だったが、それはタコピーでも東でもなかった。タコピーも東も、しずかとまりなの心を汲み取ることが難しかった。そのために、助けてあげようとしても上手くいかなかった。

では、しずかとまりなの心を汲み取るのは誰が適任か。二人を助けてあげられるのは誰か。

しずかとまりなは、父母との関係が不安定な、似た境遇にある。なら、しずかとまりなは、互いこそが互いの心を汲み取ることができる。これまでそれが叶わなかったのは、しずかもまりなも、本心を誰かに明かすことが下手だったからだ。

その二人の本心を聞き出すことが唯一できたのがタコピーだ。ただ、聞き出したはいいが、上手く理解できなかったり、理解するには遅過ぎたりした。

しずかとまりなが、落書きとなったタコピーを一緒に見ることで結び付いたのは、タコピーが二人の本心を聞き出せたことを象徴する存在だからだ。

しずかに必要だったのは、まりなで、まりなに必要だったのは、しずかだ。互いの本心を知りさえすれば、二人は瞬時に結び付くことができる。敵対者から親友になれる。

読者は敵対物語の後に、そこから生まれた親友物語の一部を見る。ただし恐らくは、それもまだ仮のものだろう。だが仮のものであっても、敵対物語の、即ち物語の構想の物語の、終わりにするには充分だ。

この親友物語は一個の漫画にはなっていないが、もしなるとしたら、一体どんな結末が用意されているだろうか。

それは親友物語を開始にまで導いたタコピーが、何度か予告している。きみをものすごい笑顔にしてみせるっピ。きみ、とはしずかのことだが、しずかが笑顔になれるなら、その親友のまりなも笑顔になれるはずだ。

結末にはきっと二人の、ものすごい笑顔があるはずだ。それをハッピーエンドと呼ばないなら、一体何をハッピーエンドと呼べるだろう。

と綺麗にまとまったようで、何か腑に落ちないものがある。記事ではこれまで、この作品の中心には東の願望がある、と主張してきたはずだが、作品の最後はしずかとまりなの和解で閉じられている。東は一体どこへ?

一応、東はタコピーがいる頃に、自分に本当に必要なものに気付き、それで救われ始めている。そして、タコピーがいなくなった後は、きちんと自分で本当に必要なものを選び取っている。しかしその結果は、しずかやまりなと違って、描かれない。

と言うより、その結果はタコピーがいる頃、つまり敵対物語の中で、失敗からの治癒という形で、その結果を暗示することで済まされている。そうして東は、親友物語にはできるだけ関わらないようになっている。

東の願望の大枠は、母の代わりである、しずかやまりなと、どうにか関係したい、ということであるように思われた。それなら、作品は三人の笑顔で閉じられるべきだ。

しかし、実際はしずかとまりなだけが親友物語に進出し、東は一人、敵対物語、つまり失敗した物語の中に置き去りにされるような形になっている。

東の願望は、本当は、どうにかして二人との関係を断念したい、ということだったのではないか。そう考えるとしかし、なぜ最後に二人を和解させる必要があったのか、という疑問が湧く。

二人との関係を断念することが望みなら、二人が親しくなろうが殺し合おうが、どうでもいい、と言える。そうであれば作品は、しずかとまりなを無視して、東が兄と仲良く喧嘩する場面で閉じられればよかった。

そうなっていないのは、やはり東の関心は、しずかとまりなにあるからだ。二人の少女に関心はあるけど、関係したくない。この何やら複雑な東の願望が、タコピーと、タコピーが奔走する、この作品の臍曲がりな構造を生み出している。

東は母に執着するが、この執着自体は決して消し去ることができない。だから東は、母の代わりを求めずにはいられない。そこで二人の少女を、東は求めるが、そうすると東も少女達も破滅する。破滅を避けるためには、兄の存在が必要だった。

なら、兄だけがいればいいのではないか。しかし、そうはならない。兄は、母の代わりにはならないからだ。兄はただ、母からの避難所として機能している。

東は母を必要としているのではなく、母の代わりを必要としている。しずかと同じく、東にとっても母は、もう取り戻すことができないものだ。そして東は、母の代わりを、自分が関わることで母そのものにしてしまうことを、恐れている。

東は、自分が母と関わると、自分も母も破滅させてしまう。そう予感している。東が望むのは、母の代わりがいて、彼女達が母にならず、自分と関係なく、ハッピーに生きていてくれることだ。

母そのものではなく、母の代わりを求め、更にその彼女達との無関係を求める。この母との二重の断絶を、東は望んだ。いや、最初こそ関係を望んでいたが、試行錯誤の末に、彼女達とは無関係であることが望ましい、と東は思い至った。

そう思い至るまでの七転八倒が、しずかとまりなの敵対物語であり、それは東の断念物語でもあった。

東はタコピーとの最後の会話で、人には誰でも良い面と悪い面がある、と言っている。けれど、この作品の登場人物達は誰も悪い面が、少しきつ過ぎではないか。

取り分け、しずかの母は、作中では一つも良い面らしいところが見えない。まあ、それはさて置き、みんな悪い面ばかりが目に付く中で、一人だけ良い面と悪い面の配分が狂ったような人物がいる。東の兄だ。

その悪い面は作中では、ゲームが下手、という、どうでもいいことぐらいしか言及されない。

その一方で、遊びと学業を同時にこなしながらも、健全な視力を維持し、試験は常に満点。成長して、母の支配を離れて自由に生き始めるも成績は落とさず、友達との交流は豊かで、恋人もいる。更には東を、しずかの魔手から奪還することも果たす。

良い面も悪い面もある、という水準ではない。他の登場人物達が、現実的で生々しい何かを抱えさせられている中で、東の兄はタコピーとは別方向に虚構的だ。彼は何者なのか。

東が、母や母の代わりとの関係を断念するには、兄の助力が要った。母と適切な距離を取れるのが、兄だからだ。

この作品は、母に傷付けられる子供達の物語だ、と言える。その中で東の兄だけが、なぜか例外的に母に抗う力を持っている。

東が最後に辿り着く先として特別な力を持たされている、というなら、東の兄が良い面だらけなことも多少は理解できる。しかしそれでは、そこから悪い面が極端に削られていることの説明にはならない。

東の兄が、この作品で果たしている役割は二つある。母からの避難所と、東の劣等感の源だ。初めに東が兄を嫌っていないと、東はさっさと兄へと避難できてしまい、物語が成立しない。優しいお兄ちゃんがいてよかったね、で話は終わってしまう。

東の劣等感を誘うために、東の兄は、東に対して無欠でなくてはならない。その無欠を羨むには、東は欠点だらけでなくてはならない。それらを言い換えれば、東の欠点と、東の兄の美点は、ぴったりと合わさるものでなければならない。それが何を意味するか。

東の兄は作中で重要な役割を果たすが、それに比して、作中であまり彼自身のことが掘り下げられてはいない。だから、これから述べる説は、少し突飛に思えるかも知れない。しかし、掘り下げられていないこと自体が、その説を補強するかも知れない。

東は兄の影のような存在だが、それはまるで、東が兄の悪い面を全て背負っていて、兄のその異様なまでの輝かしさは、東の犠牲の上に成り立っているかのようだ。

ちょっと考えてみよう。もし東がいなかったとして、それでも兄はあんなにも輝かしく生きられたか、母の支配から自由になれたか。母との適切な距離を取る余裕を持てたか。

母の東への圧力は凄まじい。その圧力を兄は、一人では受け止め切れただろうか。東がいたことで、母の、子への圧力は分散し、かつ今一つ優れない東のほうに、その圧力は多く向かう。兄の、母に対する余裕は、そのようにして生じているのではないか。

輝かしい兄の存在は、その影である東の存在なしには成立しない。兄と東は、母に傷付けられる子供として、一つの存在なのだ。そして両者が、光と影を分担することで、ようやく母に抗う力を得ることができる。

兄は東に、おまえの話は何でも聞きたい、おまえはおれの弟だからだ、という場面があるが、これは本当は、おまえはもう一人のおれだからだ、と言うべきではないか。

さて、ここで問題にしたいのが、光と影の主従だ。光あるところに影がある、という言葉を想起すれば、光が主で影が従のように思える。つまり、兄が主で東が従だ。

しかし、この作品の質をよく思い返してみよう。この作品は悲しい現実を基礎にして、話が展開している。悲しい現実とは、即ち影のことだ。この作品では、影こそが主役だ。

それを踏まえれば、悲しい現実を生きる、影である東が主であり、光である兄が従であり、兄のほうこそが東から生まれた「影」なのだ、と言える。

作中で兄のことが掘り下げられないのは、暗い「光」の東のことさえ掘り下げれば、輝かしい「影」も掘り下げられたのと同じになるからだ。

この作品の中心には、東がいる。しずかもまりなもいない、タコピーも兄もいない、たった一人の東がいる。たった一人で母からの圧力に耐える、東がいる。この作品の世界には、究極を言えば、母と東の二人だけしかいない。

だから、この作品にある、悲しい現実とは、母から逃れようのない東の状況のことを表している。東はそれに耐えるために、空想に頼って、様々なものを願った。

母に似た美しさを持ち、しかし母のようには恐ろしくない少女。母に似た恐ろしさを持ち、しかし母のようには美しくない少女。恐ろしさに鈍感で、だからこそ恐ろしさへの感情を受け止めてくれる、能天気な友達。

母からの圧力を受ける自分を影として輝く、自分を母から守ってくれる、光のお兄ちゃん。これらの願いを叶えてくれる、少し(?)不思議な力。漫画の力。

この作品は単純な構造ではない。漫画が出来るまでの漫画のような構造がある。なぜそのような構造を持つかと言えば、東と母の単純な和解は決してない、と作者が予感しているからだ。

母と東がものすごい笑顔になれるハッピーエンドは、不可能だ。

東は、母がいると笑えない。ではどうするか。母を殺すか。母を殺すことで、東はものすごい笑顔になれるのか。いや、なれない。東は母の、ものすごい笑顔も望んでいるからだ。

死んだ者はもう笑うことができない。だから東は、母を殺したくても、母を殺すことはできない。しかし、そのままでいても東は笑えないし、母も笑ってくれない。

ならどうするか。母をものすごい笑顔にするには、東がものすごい笑顔になるには、母を殺さないためには、一体どうすればいいのか。

その問いに、この作品はどんな答えを出したか。東は母を殺さず、それを二人の少女に分解した。そして、その二人の少女に世界の中心を譲り、自分は世界の端っこに退いた。

母が東を抑圧するのは、東が他ならない、自身の子だからだ。母に子がなければ、母は子を抑圧することはなかった。東もまた、母の子でなければ、母に抑圧されることはなかった。東は、母が母にならなければよかった、という結論を出した。

子のない、少女である母なら、それがいても東は笑える。母を少女達に分解した時、東と母の関係性も分解されて、東と母は別々に生きることになる。だが、そうすることでようやく、東と母は笑えるようになる。

しかし、母は母になったからこそ母なのだ。母が母にならないことなど、どうしたって、ありはしない。だが、そのありもしないことをあるようにしてくれるのが、漫画なのだ。だから東は、漫画だから可能な世界を想像した。

その想像を漫画化したのが、この作品、漫画(の物語)が出来るまでのような漫画だ。その中で東はタコピーと共に、母を殺さず、母と自分がものすごい笑顔になれる物語を求めて、何度も母を傷付け、それを取り消すことを繰り返していたのだ。

その試みは正解だったか。それを断定することは難しいが、しかし少なくとも、たとえ間違いだったとしても、それを笑って受け入れてくれるのが漫画のいいところだ。間違いでも失敗でも、面白ければそれでいい。

問題の正解を示すのが漫画だ、というわけではないし、それが漫画の義務でもない。漫画にとって読者を楽しませることが、唯一の義務であり、それを果たしさえすれば後は何でもありだ。その義務を、この作品は充分に果たせたように思われる。