見出し画像

術後の様子…「混乱と葛藤と敗北感」

術後…目を覚ましたのは、22時あたりだったのだろうか、完全に意識は戻っていたのだが、記憶には残っていなかったみたい。ただ知らず知らずに部屋に戻っていた。身体からは無数に管が出ており、どれも痛々しく見えた記憶だけが残っている。俺が意識を戻ったのを確認すると、家族が安心した表情を見せた。奥方から「先生からいただいた、除去した癌の部分の画像」だって…と見せられた記憶がわずかに残っていた。

予想を遥かに超えるほど「主役の癌細胞」がデカく、切除した後に抜き出せなく更に切り込みを増やして切除したことを聞いた。腹膜にも感染しており右脇のリンパにも感染。動脈に向かうリンパ節にも感染。こちらは、ごっそりとリンパ節を切除。不幸中の幸いであったのは、腰の神経密集部に「癒着がしていなかった」為に、後遺症として右半身麻痺の可能性は大きく減った。結局、大腸部分と小腸部分で20㎝~25㎝程の切除。その手術に、9時間を要したと聞いた。

家族も安心して帰った後、傷口は痛み身動きも一人でできず、朝まで一睡もできなかった。日付の変わった6/11朝4:30、俺は物凄くイライラしていたのとホッとしたのと混乱していた。手術は終わったわけだが、全身に痛みが凄すぎて、何も動けない、動くと痛い、だから怖くて動けない…なにも一人でできないが、そばに誰もいない。通常コロナでなければ、誰か身内がそばに居れた。しかし、この状況の中誰もそばにいないから、一々ナースコールをして呼ばなくてはいけない。しかもこの状況の中、看護師が二人部屋に来て、「運動」と言って、何としても自分の足で立たせようとする。合併症防止と阻止のためにこの運動は絶対である。しかし、その時の俺はそれがいかに難しいのかを知っていた。とてもじゃないけど、一人で立てるはずもない。本当に孤独との戦いである。ただ…この運動は絶対なわけだが、その後失意のどん底に俺が陥った時に「ふと気づいた法則」で、この最悪の窮地を簡単に脱出できた。この法則は、癌だけではなく「ありとあらゆる外科手術後の合併症防止運動の時」に必ず起こりえる「最悪の精神状態」で使えるかと思います。なので最後に書いておきますね…

さて術後、6月11日、6月12日この二日は俺にとって大きな山場で峠でした。寝ていても、寝返り打っても。呼吸をしていても、常に唸ってばっかりであった。それが48時間続いた…精神的に崩壊、「ここまで苦しむなら、もう8階から飛び降りた方がまし」であるとまで思うほど。死んでは何にもならんことぐらい馬鹿でも分かる。でも、それほど寝れない苦しみ、自由に動けない苦しみ、痛みに襲われる辛さに苦しさに締め付けられた。人生で最もつらい2日間だったような気もした。元々眠剤など飲んだこともない俺が、寝れないことを理由に眠剤を渡された。俺も正常なら簡単に気づいたことであっただろうが、「錯乱状態」と俺に薬を渡した「看護士が能力に欠けていた」この二つが重なったことが原因でさらに窮地に追い込まれてしまったことをお話しします。元々胃腸が弱かった…そこに向けて小腸と大腸の摘出で腸管麻痺状態、そこへ胃の中からっぽで、横に寝た状態で水で薬を流し込めばどういう事が起きる可能性があるか…「そんな事、バカでも分かる…」

「胃酸過多」

眠剤、抗生物質、痛み止めなど強力な薬を空腹時に飲んだら、誰でも胃をやられる。当然、起きた症状は「逆流」+「胃痙攣」である。

術後の傷にその衝撃がまともに伝わり、更に精神が崩壊したのは言うまでもない。俺のフラストレーション、期限の悪さはピークを越えた。誰も頼れない…もしもあの時、自由に身動きがとれる状態であれば「快楽の開放と安堵」を求め、病棟の上から飛び降りていたほどの精神状態で、これは冗談でもなんでもないリアルなほどの苦しみであった。

「どうせこの場を乗り越えようが、俺の人生先は見えている。今、この場で死のうが、この苦しみ乗り越えても更にこの先に待っている苦しみを乗り越える精神状態でもないだろう…」

「人間、如何に強くても…こういう状況に陥ることだってある…」

「それをみんなに分かってもらいたい。」

最初に書いたように、なぜ今回ここまで俺が精神状態を追い込まれてしまうきっかけになったのか?あることに気づけいて教えてもらわずに開いた

「扉」

この扉が開いたときに。「この事をみんなに教えてあげたら、俺みたいに不安な思いしなくてもよいのではないか?」と思った。

それが、みんなに伝えたかったこと「その1」です。

外科の手術での入院は、ただの内科の入院とは大きく違い、「術後に大きな痛みを伴う + その痛みに耐えながら合併症防止策の為に身体を絶対に動かさなくてはいけない

この二つに注目してください。

術後、合併症での死亡率が高い。その原因が「機能障害」です。肺炎もその一つですよね。呼吸から肺に細菌が入る。痛いから動かない、動けない…姿勢そのまま=エコノミー症候群=血栓が飛ぶ…

病院は必死になって患者の免疫抵抗力を上げようと、運動を促します。痛くて動けない。その前に痛くて眠れない。特に術後は、麻酔が切れた時点でそこからでも普通になかなか寝れません。プラス、物凄い痛みで寝れません。

そこで出てくるのが「痛み止めの点滴」

ポイントは「痛み止め」と「眠剤の点滴」の併用と使い方です。

術後、問題なければ…直ぐに痛み止めと眠剤を点滴してもらいます。これは、ほとんど使ってくれると思います。そしてその日は「必ず寝る」

これだけです。(笑)

ただ、この痛み止めには使える間隔の時間がそれぞれ決まっています。6時間間隔のもあれば、強力な8時間間隔の者があります。俺の見つけた法則の場合、寝る前に眠剤と併用をさせるのは「8時間間隔の痛み止め」日中は二回「6時間間隔の痛み止め」を活用すると、痛み止めの効いている時間帯が「2回」運動を出来るわけである。夜に寝る習慣を必ずつける。この最初がズレてしまうと、俺みたいな状態になるから要注意。起きたら夜中の何時であろうが「6時間間隔の痛み止め」を点滴してもらう。その天敵が聞いているうちにベットに腰かけて立ち上がり運動する。そしてその点滴を打ち込んで6時間後に又、6時間間隔の痛み止めは打てるんです。

その点滴が効いているうちに又運動をする。

そこからは時間の感覚なしでも「8時間間隔」の点滴を使用できます。

俺が見つけた使用時間の例

1・夜の21時に8時間間隔の痛み止め+眠剤

2・深夜の3時、4時に目が覚めたので6時間間隔の痛み止めの点滴を使用して、点滴が効きだしたら運動「歩行ですね」する。

3・そこから6時間経てば、サイド6時間間隔の点滴が遣える為、大体13時辺りに遣っていました。点滴が効いてきたらリハビリ…

4・また夜の21時に8時間間隔の痛み止め+眠剤を使用で寝れるところまで寝る。目が覚めたら「2」を実行し「3」へ…


これが、俺の切り抜けた法則になります。看護師や医師は、教えてくれません。「身体を動かす」=「回復と生存への近道」なんですが、何も考えてなかったり、知らなかったら「藻掻いているだけです」

そして俺になってしまうだけです…

ここに書いた法則は、今後のご自分のため、誰かの為に頭に入れといてください。


最悪の俺みたいな状態にならなくて、スムーズに乗り越えられると思いますから…

もっと早く気付けばよかったのですが、思いついたのが偶然…でした。

でも、これが俺流の成長なんです。

「自分で乗り越えれたから学べた」


今の自分は、これを1000回2000回と経験し何万と経験して身についた知恵かなと思います。





悩んでおられる業界の関係者の方々…もしもですが、私でよろしければご相談とかお伺いさせていただきます。そこで何か「光」が見えるかもしれません。メッセージ等、お気軽にどうぞ。