ツッコミの数だけ思考が生まれる~敵対的読書はいかが?~

 本を読んでいると、たまにとてつもなく共感値の低い文章に遭遇する。
「言いたいことは分かるけれど、それは言い過ぎでは?」「ちょっと主観が入りすぎでは?」「矛盾生じてない?」等々、至る所にツッコミを入れたくなる。そういう本に出会ったときは、少し気が滅入る。
 しかしマイナスな面ばかりでもない。それどころか、大きなプラスに転じる可能性すら秘めている。

 先日Audibleを聴いていたときのことだ。中傷したい訳ではないので書名は伏せるが、ちょっと私には合わない本に出合ってしまった。
 その本は思考について書かれている本だった。最初は面白く聞いていたのだが、アンコンシャスバイアスの話から雲行きが怪しくなっていった。
 アンコンシャスバイアスとは、これまで得た知識や経験を元に、「こういうカテゴリに属する人だからこの人も当て嵌まるだろう」と勝手に判断してしまうことである。要は無意識に引き起こされる偏見のことだ。あくまで無意識なので、知らないうちに人を傷つけてしまう恐れがある。本の流れとしてはアンコンシャスバイアスこそが思考を制限する悪しきものだと書かれていたのだが、少々疑問が残る部分が多かった。いくつか列挙してみようと思う。

 アンコンシャスバイアスの例として、とある有名人の女性が誹謗中傷された例を二つ挙げていた。有名人の勇気ある行動に対し、SNS上では「〇〇の癖に!」「〇〇なら大人しく〇〇だけやっておけよ」と言った言葉が飛び交っていたらしい。
 確かにそういう発言は心無いと思うし、是正されるべきだと思う。しかしこの実例、一人のものは詳細が書かれているのだが、もう一人のものは政治的発言が問題視されたという抽象的なことだけが書いてあり、どういう発言で誹謗中傷を受けるに至ったか、までは詳述されていなかった。
 紙幅の関係で省略せざるを得なかった部分もあるだろうし、どういう内容であれ、人をカテゴライズしての中傷は程度が低いことは事実なので別に良いのだが、この時点で少し気になってはいた。

 その後「普通の会社勤めの人がSNSで多少政治的発言をしたからって炎上しないのに、女性の有名人というだけで炎上してしまうのはおかしい」という旨の記述があった。
 言いたいことは分かるが、対等な条件には思えない。一般人のSNSアカウントと有名人のSNSアカウントでは影響力が桁違いである。一般人と有名人で比較を行いたいのであれば「企業の公式アカウントで政治的発言をしている」状況の方が、影響力の点で釣り合いが取れている。
 こうして比較してみると、企業アカウントが突然政治に首を突っ込んだら間違いなく怪しまれるし、炎上してもおかしくは無いだろう。尤も、発言内容によっては一般人だろうが有名人だろうが関係なく問題になるだろうが。
 そもそも炎上や誹謗中傷というのは「無意識の」偏見による物なのだろうか? 何にでも首を突っ込み叩けるものは叩きたいというどうしようもない人間の心理を考えた場合、カテゴライズして悪口を言うのは「無意識の」偏見ではなく「意識した」偏見発言である。それが傷つくと思い、攻撃という自覚を持って発言している。故にアンコンシャスバイアスの一例として適当かと言われると疑問が残る。
 
 その後もアンコンシャスバイアス=悪、根絶すべきものという体で話が進んでいくのだが、その姿勢にも疑問を抱いてしまう。確かに決めつけること、価値観を押し付けることは正しい行いではない。
 しかしバイアスが有用であることもまた事実だ。先日話題に挙げた「最悪のバイアス」こと確証バイアスも、無駄なエネルギーを浪費しないように出来るという利点がある。他のバイアスも、程度の差こそあれ同様の効果が得られる。
 就職活動において、「学歴フィルター」という概念がある。学力の低い学校というだけで書類の時点で落とされるという話だ。過去に学歴フィルターの話ではないかと思われるメールが流出した事件もあり、巷では学歴で区分けされていると信じられている。
 仮に学歴フィルターが存在するとしよう。怠惰が原因で学歴が低い人と、様々な事情により学歴が低くなってしまった人とを一緒くたにしてふるい落としてしまうという点では、確かに良くないことかもしれない。
 しかし、それまでの人生を計画的に積み上げてきた力のある人という点を確認したいとき、学歴というのは大きな指標になり得る。学力というのは今までの積み重ねが反映される。学力が高い学校であればあるだけ、その積み重ねの堅実さが堅牢に保証される。勿論それだけでは良い人材と判断出来ないので、その後も面接を行いふるいにかける必要があるが。
 仮に全ての垣根を取っ払って平等に面接をするとなると、人事の負担は大変なことになる。それまではふるい落とすことが出来た、学力にも人間性にも問題のある学生の相手までしなければいけないことになる。人間性は良いが学力に難がある学生を発掘出来るメリットもあるにはあるが、果たして労力と釣り合いが取れるのだろうか? それよりは足切りを設定して、より優秀な人材を探し求める方が効率的に思える。
 極端な例かもしれないが、これもバイアスの一例と言えるだろう。「学歴が高い人の方が勤勉だ」というバイアス。諸手を挙げて賛同する訳ではないが、こうして役立てることに疑問は抱かない。
 個人が無意識の偏見に気づき、個人レベルでバイアスを排除、削減しようと意識することは重要だし、意味が無いとは言わない。しかしそれよりも、バイアスに囚われていないか、自分のバイアスを押し付け他人に不快な思いをさせていないか、「それってバイアスじゃない?」と気軽に発言できる環境かどうか、一つ一つを確認し考える作業こそが重要なのではないだろうか?
 もしかしたらそういう論調だったのに私が読み取れていない可能性もある。しかしあまりにもアンコンシャスバイアス=悪という話が続いたので辟易してしまった。バイアスこそが諸悪の根源だというバイアスに取り憑かれてはいないでしょうか。

 その後も「なんだかなあ」と思う部分はあったが、我慢して聞いていた。
 話はアンコンシャスバイアスから男女差別に移り、男女平等と言いながら色んな組織のトップが老齢の男性ばかりという話になった。
 とある組織のトップの人達の写真を実際に見て欲しいと語り掛けるのだが、その後の発言で目玉が飛び出そうなくらい驚いた。

「50歳から70歳のおじさんが、20代の女性が欲しいものが分かると思いますか?(中略)僕はノーだと思います

 ちょっと待て。
 さっき延々とアンコンシャスバイアスの悪影響を語っておいて、おじさんたちが若者の心なんて分からないでしょと軽々しく宣うとは思わなかった。
 著者がそう考えるに至った論拠や道筋が記されていればまだ話は別なのだが……、男ばかりだから女の考えなど分からない、男女差別がはびこっている、というのは、立派なアンコンシャスバイアスでは無いのだろうか?
 そもそも著者自身もどこかのトップのおじさんの一人なのである。男女差別どうのこうのと仰るのであれば、今すぐその立場を退いて若者たちに席を譲って頂いても?


 ……と、物凄い勢いで反発心が生まれてしまったので、その時点でAudibleは閉じた。残念だが、もう聴く気にはならない。
 しかしこの経験が悪い経験かと言われると、そうではない。
 最近の私は無意識にか意識的にか分からないが、自分が納得出来る本ばかり読んでしまっていた。勿論全てにまるっと同意することは無かったが、一冊当たり6~7割くらいは納得ないし共感出来る内容の本が多かった。現実世界で共感を得る機会が少ないので、本を通して理解者と出合えることは嬉しいのだが、そればかりでは新しい発想に出合うことは出来ない。
 そんな中で、久しぶりに大反発出来る本に出合うことが出来た。これは大きな収穫である。反発することで、私は新たな自己の考えを入手することが出来、かつ元々埋もれていた自己の思想をより深め、更なる高みへと到達することが出来るのだから。
 これは考えの合わない人の本でないと起き得ない。非常に不快な気持ちになったが、著者には感謝もしている。私にツッコミを入れさせてくれてありがとう。

 きっと私の記事もツッコミだらけなのだろうなあと思いながら書いている。どうか、ツッコミを入れたくなったのならば、スルーせずにツッコミを入れて欲しい。心の中で唱えて貰ってもいいが、出来ることなら見える形で残して欲しい。
 そうすることで、貴方も私も新たな思考を手に入れることが出来る。互いに更なる成長を迎えることが出来るのだ、これ程喜ばしいことは無い。
 さあ、貴方自身の成長のために、是非ツッコミを。一度と言わず、何度でも。


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