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ちいさなデザイン事務所の経営に「安定」はありえるか?|お金と人材と新規事業の話【前編】

小学生のときに文集に書いた将来の夢は「建築家」だった。
そして進路を決める高校3年生で志したのは「建築家」と「社長」だった。

大学デビューした青髪のチャラついた未成年が抱く「社長」のイメージは「お金持ちである」程度の浅はかなものであり、その薄っぺらさの露呈を恐れて「お金があればなんでもできる」と猪木のモノマネをしながら友人に社長になると語った日のことは今でもよく覚えている。

この頃の自分の「社長」に対するイメージは、お金を持っていて、いろんなことに精力的にチャレンジをする、日々楽しそうな人。だった。



時間的な自由という概念を知る


月日が流れ、一般的な社会人の素養を得たころには、社長に対するイメージも随分変わっていた。

「お金があればなんでもできる」思想には成金とか傲慢さが含まれているように感じ、外面ばかり整えようとしていた自分は、おおっぴらにそんなことを言わないようになっていた。

また、あたりまえだが「お金がある」状態に至るまでが非常に難しいことに気が付く。

TV番組で富豪の子供がいろんなことに面白おかしくチャレンジしている様子を見て 「チッ、親のスネかじりが!」と悪態をつきつつも、起業へのリスクが低く、スタートダッシュできてうらやましいなと思ったりもした。

20代半ばで独立を意識しはじめたころ、自分があまりに「経営」に対して無知であると知り焦った。
ちいさなデザイン事務所で、日々デザインで頭をいっぱいにして過ごしていたのだから、それも当然のことだった。

無知を自覚してからは、ドラッカーやレイクロック、稲森和夫、松下幸之助 など、経営に関するベーシックな名著を買い漁り、貪るように読んだ。

その中に「金持ち父さん貧乏父さん」があった。
話題になった本なので読んだことがある人もいるのではないでしょうか?

この本で印象に残り、以降の行動に多大な影響をもたらしたのは、お金持ちになる方法を説いた部分よりも「時間的な自由を得る」ということばだった。

ちいさなデザイン事務所の経営者は、ほとんどの場合、デザインの決裁権をもち、かつ自分で実務もこなす、いわゆる「プレイングマネージャー」である。

プレイングマネージャーとは格好良さそうな響きだが、自分がはたらいた時間の分だけ収益を得られるという意味なので、時間的な自由を得ることとは正反対の概念だ。

これを知った時、自分はプレイングマネージャーにならない経営ができるかどうかを考えるようになったが、プレイヤーかマネージャーかを選択するならば、プレイヤーになるほうが魅力的だった。

プレイヤーになってデザインに没頭しながらも、時間的自由があるとはどんな状況なのだろうか?

デザイン事務所の組織化とは

デザインに没頭しつつ時間的な自由を得るためには、以下を達成しなければならないだろう。

①営業やマーケティング・PRを引き受けてくれる人材を雇う。
②デザインおよび案件を進めるための決裁権を与えられる社員を増やす。
③自分が指名される案件を減らす。

これらを突き詰めると「組織化する」ことになる。
個人の名前を冠したデザイン事務所は組織化できるのか?

この問いへの回答は、YES。


日本全国、世界各地で多くの案件を手がけている、デザイナーの個人名を冠したデザイン事務所のほとんどは組織化できている。

事務所名になっているデザイナー本人が、全ての案件に100%の労力で関わることはない。物理的に不可能であるし、それだとプレイングマネージャーと同じことになる。

冠デザイナーの仕事の大半は、コンセプト立案や、デザインの骨格を決めるファーストスケッチ作成、プレゼンテーションで最初にしゃべる、成果物のクオリティチェック、あたりが相場だろう。

自分がやりたいことを担保しつつ、組織化して会社を大きくする。

一般的な会社経営の観点からすると至極あたりまえのことだろうけど、こと「デザイン」がつく業種になると難しくなる。

なぜだろうか?
理由を挙げてみよう。

デザイン事務所を組織化できない理由

1:人に任せられない。自分の目の届く範囲でやりきりたい。


自分の思考をカタチにすることに喜びを覚える人 = デザイナーと考えると当然かもしれない。
自分がつくりたいからこの職業を選んだので、他人にそれを担ってもらう思考にそもそもならない。それゆえ組織化できない。

2:人に任せるための下地がない。


1の人とは違い、権限委譲して会社を大きくしたいができないタイプ。
事務所がつくる成果物のコンセプトが明確でなく、スタッフがひとりでデザインを進めるよりどころがないから、デザインに一本筋が通らない状況。

もしくは、コンセプトは明確であっても、それをカタチに落とし込むためのルールやマニュアルが整備されていない場合。

結果、成果物のクオリティや見た目が「あの事務所が手がけたものだよね」と外側から評価されにくく、差別化あるいは競争力が低くなり組織として伸びにくい。結果組織化できない。

3:組織化が理解できない、あるいは怖い。


そもそも組織化と言われても何をしたらよいのか、方法論がわからない。
もしくは知っていても怖くてできない。

「組織化する」とは多くの人を雇うことであり、その人たちにしっかりと役割を与えて、それを管理する必要がある。
これらの行為をしたくないと感じたり、多くの人が組織内にいることが想像できない。よって組織化ができない。

デザイナーが会社を組織化できない理由は概ねこんなところだろう。
そして僕自身もこれらのうちいくつかが当てはまる。

どれに当てはまるのかと書き始めるとまた脱線してしまうので、ここでは割愛するが、前述した理由のほとんどがあてはまる。
結果として独立して10年経たないくらいの時期に組織化をあきらめてしまった。

しかしこれでは「時間的な自由を得る」ことができない。
どうしたものか。

ここで振り出しにもどって、金持ち父さん貧乏父さんから得た知見を実践することになる。

不労所得という暴力的なまでの甘言に向き合う


「金持ち父さん貧乏父さん」で著者が説くのはただ1点のみ。
「時間的な自由を得る」ことだった。

そのための方法は二つあり、一つは自分のビジネスを持つこと
ただし、ビジネスならなんでも良い訳ではなく、完璧に組織化された会社を経営することだという。

善し悪しは別にして、社長はいまどこでなにやっているのか?と社員が疑問に思っていてもしっかり会社が回る状況をつくれているかどうかが肝になる。

なるほど、この方法は無理だ。
組織化について前述したとおり、それができるならば問題は解決していた。

経理から総務、労務、広報からデザインの仕事まで、おおよそなんでもかんでも自分でやってしまう僕は、時間から自由になっているビジネスオーナーとは到底いえず、どちらかというと一般的なサラリーマンと同じだ。

ただただモーレツに働いて給料が少し良いだけ。
時間はない。されど情熱はある。
昭和か、と自分につっこみたくなる。

二つある方法のうち一つは早々に瓦解したが、この本が最も推奨するのは投資によって不労所得を得る方法だったので、こちらに目を向けてみる。


いやぁ、怪しい。
何か裏があるのではないか。
該当の章を読んだ時にまず感じたことだ。

「できることなら借金はしないほうがいい」
「楽して稼げる仕事はない」
「やりたいことだけできるなんてことはない」

親か先生か、はたまたメディアか、成人するまでにこんな言葉を耳にしたり、直接説かれたりした人は多いのではないか。

僕もその中の一人であり「おいしい話には気をつける」アンテナを張って成長してきた。

そんな人間が「不労所得」読んで字のごとく「はたらかずしてお金を得られます」と言われたところで、にわかには信じられないのは自明だ。

それでも、時間的な自由を得ることにとらわれていた当時の僕は、穴があくほどその章を読み、時に図解したりして、それが嘘でないと腹落ちするに至った。

この本を読んだのは確か25歳のときだったが、その後独立することになったり結婚したりで、すぐに不動産投資を実行できるような心持ちもお金もなかった。

実行したのは今から11年前、34歳になったころだった。
物件取得や客付の話は長くなるし、世の中にはこの手のHow To本は山ほどあるので経緯や方法は割愛するが、結果的に2軒の戸建てを取得し「大家業」を始めた。

大家業を始めるのに費やした時間は思いのほか少なく、またやってみればなんてことないと思えた。

どんなことでも「知らない」うちは怖さや不安がつきものだけど、やってみればなんとやら。昨日の不安は今日にはなくなっていた。

はじめて家賃が振り込まれ、その金額が打刻された通帳を見た時は、見ず知らずの借主さんに対して、手をあわせて「ありがとうございます」と唱えた。

やりたい仕事だけを選択しつづけることは可能か?

不動産投資を実行し、借りている事務所の家賃のいくばくかを、働かずして得られるようになったことには、非常に安心感を覚えた。

これをつづけていけば、家賃どころかスタッフの給料の全部をまかなうことも容易だと思った。しかしながら、それにはブレーキがかかった。

不動産投資は、自分のお金を一円も使わずに、つまり銀行に全額お金を借りて実行することができる。
しかし、実際にはいくつかのハードルがありむずかしく、頭金が必要になる。これを相当用意しなければならない。

このハードルを超える方法は存在し、きちんと勉強すれば実現できなくもない。
しかしながら、そこまでの勉強や実践に対する熱意をどうしてももつことができなかった。

なぜだかはわからない。

でも一つだけ思い当たる節があった。
それはデザインの仕事からどんどん遠ざかってしまいそうな感覚におちいったからだ。

不動産投資をすすめることと、デザイン業をつづけることは両立できるはずだけど、現時点ではどうもそう思えない。

デザイン業に関わり続けたいはずなのに、やめたくなるのではないか、そう思うと進められなくなった。

それでも、あいかわらず時間的な自由を獲得した生活はしたい。
その根幹にあるのは、時間的な自由を獲得したあかつきには、やりたい仕事だけを選択しつづけることが可能になるからだ。

事務所のデザインの「売り」が明確になっておらず、引く手がなければ仕事を選ぼうにも無理なのだが、そうならば興味のあるコンペに挑み続けたっていい。
なにしろお金に不自由していないのだから。
そんな状況を夢みていたが、このままでは難しい。

新規事業をやってみようと考える


デザイン事務所経営では、金持ち父さんが言うところのビジネスオーナーにはなれない。
であれば、別のビジネスを、自分がオーナー的ふるまいができるビジネスをつくるしかないと考えはじめた。

それから数年が経ち、ようやく「これならやってみたい。やれそうだ」と思う企画が降ってきた。これで果たして時間的な自由は得ることができるのか?

いっちょやってみっか!(鳥山明先生 R.I.P)

【後編へつづきます】

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