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外国人が絶賛した日本の子育て~わたしはこれほどこどもをかわいがる人々を見たことがない~ その2

 「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。」(高梨健吉訳『日本奥地紀行』)

 次の言葉もイザベラ・バードによる。
 「父も母も、自分の子に誇りをもっている。見て非常におもしろいのは、毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀の下に集まって腰を下ろしているが、みな自分の腕の中に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしていることである。その様子から判断すると、この朝の集会では、子どものことが主要な話題となっているらしい。夜になり、家を閉めてから、引き戸をかくしている縄や籐の長い暖簾の間から見えるのは、一家団欒の中にかこまれてマロ(ふんどし)だけしかつけてない父親が、その醜いが優しい顔をおとなしそうな赤ん坊の上に寄せている姿である。母親は、しばしば肩から着物を落とした姿で、着物をつけていない二人の子どもを両腕に抱いている。いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。」 (高梨健吉訳『日本奥地紀行』)

 バードの観察した1878年と比べると、現代の日本の父親たちの姿はまるで別人のようだ。特にバードの出身地のイギリスと比較すると、育児における父親の立場が逆転していることがわかる。一日当たりの父親の家事・育児時間は、イギリスの2時間46分に比べ、日本は1時間7分と半分以下の数値である。なぜこのような逆転現象が生じてしまったのだろうか。それは日本社会の近代化によるものだといえる。日本社会が本格的に近代化を達成し、「日本人」という国民意識が一般化するのは、日清戦争、日露戦争という二つの対外戦争の勝利によるところが大きい。その二つの対外戦争によって国民意識が高まっていくのと同時に、軍人という武力集団が社会の男性モデルを形成していくことになる。 

 この二つの対外戦争の勝利という戦間期に、日本における家父長制度を確立させる明治民法が明治31(1898)年に公布される。明治民法によって財産や祖先祭祀の継承権が父系嫡男優先に定められることになる。つまり、日本社会が男性支配原理の強い社会へと変貌を遂げていくのである。欧米は男性支配原理を強化することによって近代化をなし遂げていた。たとその結果、日本社会の男性像が大きく変化していくことになる。バードの観察した父親たちの姿は日本社会から急速に影をひそめていって、社会的父の役割は、戦争に行くことと労働者になって家計を支えることに限定されていったものと考えられる。

 イザベラ・バードが大絶賛した日本の子育てが、いまや大変なことになっている。厚生労働省が平成2年から統計を取っている日本全国の児童虐待相談対応件数(実際に児童虐待だと認定された数値)は、この少子化にも関わらず、恐ろしいほどの勢いで激増し、令和4年度の児童虐待数は全国で22万件にもなっている。33年間の統計で児童虐待が300倍になっている。日本が150年も経たないうちに児童虐待大国になってしまっていることを、もしもイザベラ・バードが知ったらなんと言うだろうか。

33年でなんと200倍に!

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