「君たちはどう生きるか」、初日のレイトショーで見てきた。労働で目が疲れまくっているので映画のデカいスクリーンがつらかった。動きを追うのがしんどい。残念ながら新調したメガネの受け取りは明日だ。宮崎駿御年82歳の作った映画を見るのに視力に苦しめられるのはなんとも情けない。すでに私のどう生きるかが、危ぶまれている。 なんら事前情報がなかったので、始まって数分で時代設定がわかったときは、自分の趣味に合うもので安堵した。「戦争が始まって四年」は、満州事変でも日中戦争でもなく太平洋
江戸時代というものは、現代日本では概ね肯定的に捉えられているらしい。近年ではかえって行き過ぎて、江戸時代=ユートピア論みたいな見方まであって、批判されたりしている。少し前には「江戸しぐさ」みたいなものもあったし、最近ではオリンピックの閉会式だか開会式だかでほんのり江戸っぽいモチーフが使われたこともあった。 江戸しぐさの真偽やオリンピックの演出がどう決まったのかはひとまず措くとして、これらを眺めたときに気にかかるのは、そのイメージの陳腐さだ。そこには何かうっすらとした、
新しい朝だ 差し込む日は淡くもうエピローグみたいな朝だ これからは羊を飼って暮らしたい 羊を追うと人でなくなる 海に向けぽっかりドアが開いていてここは船だと耳打ちをする 何一つらしいことなどできなくて潮の香りのする船が出る 白い息隠して降り込める雨の滴あなたに落ちていきたい 劇的な出会いだパック詰めの鯛 バンドを組むには一人足りない 晴れていてできることでもしたくない 洗濯物が少し揺れてる 隣人がエッフェル塔をババーンと建てる 眺める書斎3000円 残ってた
それらは重なり合うが、接触しない パレットにわけられた絵の具が混ぜ合わないように 水分を失って溶け合わない、そう考えると 「ここに引いた線からこっちには越えてこないで」という 子どもの遊戯には信憑性がある あらかじめ区画された罫線に名前を書き入れていく いつか互いに電話帳を失えば優しくなれる 街灯が夕方 二、三回またたいて それから紳士的に沈黙している とどまらず歩いていったことを数日たって悔やめば 夜に輝く街灯は健気だ そうして飲み込んだ態度が いつか私を点滅させるのだろ
低音が響いている 毛布の外 暗い部屋のどこかで 絶えずうめき続け 耳に踏み入る持続音がある あらゆる電源を切ってきたから 水の音だろう 水は、流れるときに声を上げる 行き場のない一方向を流れるとき 水は低くうめき続ける このうめき声に 私は追いやられてきた 眠ろうとするときも 耳の中でうめく 絶えず目を開かせる 灯りのない部屋で 目に映るものを見つけさせる
歩道橋に 浮かんでいる泡があり それを見ていた、見ている、未だに 泡が呟く音には 膜に反射した海があって 夜になっても止まない 眼下、いくつの自動車が過ぎても 辿り着かない、海に 道は確かに繋がっているのに 無音だ 記憶の中は 橋の上で、下で、 ゆっくりと延びるスロープの手すりで 宙吊りになっている、 鳴っている、音がない 閉まらない忘却の内側で 放置された青錆びた金属 登るだけ、登って、 渡り切って降りることがない 降りていった影に残された 人間がつくる形