文字の海を、船が漕ぎだしていく。

どうも、僕です。

ずいぶんとこちらの更新が滞ってましたね。

最近は、あまり物を書くことに時間とパワーを割けられないのが、なんとなく情けないと思いながら、怠惰に暮らしを暮らしています。人間そんなもんです。

物理的な時間もさることながら、意識的に時間を割こうという意識も希薄と言うべきでしょうか。魂の抜けた機械人形が、歯車の油が切れて動かなくなるまで、決められた動作を続けているという感覚すらあります。

日常に落とし込まれているといえば、そうとも言えます。表から見ればそれは表だし、裏から見ればそれは裏だし、物事の真理というものは、存外そんなものです。

『筆が走る』という表現があります。

ただ現代人たる我々が、日常的に筆を扱うことは、ある限定的な文脈以外ではそうないでしょう。

僕の場合は、『指が滑る』感覚です。

キーボードをタイプするので、そりゃあ指でしょう。あるキーから、また違うキーへ。感覚的には、滑っている感覚です。書こうと思う骨子と構成をもとに、溢れる水をすくうように、頭の中に湧いては消えていく刹那的瞬間を観測しながら、必死に指を滑らせます。


最近、指が滑らないんです。

湧き上がる水は、だんだんとその勢いを弱め、いまでは水たまりに手を突っ込んでかきだして(書き出して)います。いつか水が出なくなるんじゃないかって、いや、すでに水は枯れているんじゃないかって、不安という闇が背中を冷たく撫でまわします。

魔女のキキが、「魔女は血で飛ぶ」と言いました。何かを書く(活字、記事、ブログ、Twitterなどなんでも)という行為でも、それがひとつ当てはまるのだと思います。「書かねばならない」「いつのまにか書いている」「書き方は書いているから分からない」など。

日常が非日常となって、しばらく経ちますが、「ねばならない」の優先順位の最上階に、「生き残らなければならない」があります。生きるための合理的な選択、行動、意思。それらすべての論理性のなかで、今は生きています。いつの間にか、僕の血は、抜かれてしまったのでしょうか。今は、そんな大きな、主語の大きな、スケールの大きな話にして、現実から逃げて暮らしています。人間、そんなものでした。


こんなテーマを書こうと思ったわけではないですが、ふと、久しぶりに降って来たのがこんなうだつの上がらないテーマだっただけです。情けない限りです。こんなもの、本来なら書く価値のないものです。

物語は、救われてなければ、物語られる価値が無いというのが、僕の持論です。生きているのだから、それだけで救われるというのは、それはすごく正しいですし、物語も無事に完結するのだと思います。では今僕が書いているこれは何なのでしょうか。今書くことに、何の価値があるのでしょうか。

書き残す。

これが今、たった今これを書きながら、指が滑りながら出した、最低限度の現時点の答えになります。記録を残す、地層のひとつにする。語られないが、記録は残る。いつかその記録をもとに何かが語られる。語られないかもしれない。でも、僕が、未来のみんなに何を残せるのかは、まだ何も分からないです。

ぐらいに、今は、そう思っておきます。

ロゴスの檻から月を眺めながら。おやすみなさい。


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