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やんちゃ→研究熱心→配慮の人。「投げる伝道師」ダルビッシュ投手。日米200勝達成までの成長物語。技術的にも、精神的にも成長した軌跡は、若者たちへのエールとなる

「投げる伝道師」と呼びたくなる人だ。パドレスのダルビッシュ有投手(37)が日米200勝を達成した。自分のマスターした変化球を惜しみなく後輩たちに伝えていく姿は、高校時代の印象からは真逆のように思える。それはダルビッシュ投手が孤高なピッチャーから伝道師へと成長した軌跡と思われる。

19日(日本時間20日)に行われたブレーブス戦で、ダルビッシュ投手が7回無失点に抑えて、今季4勝目を手にした。日本で93勝、米国で107勝。日米通算200勝の快挙を達成した。

日米200勝は2005年の野茂英雄さん、2016年の黒田博樹さんに次ぐ3人目。日本のプロ野球で200勝を達成した24人を含めて、すべて先発で白星を手にしたのはダルビッシュ投手が初めてとなる。

高校時代のダルビッシュ投手は孤独な印象が漂っていた。2003年の夏の甲子園決勝。東北高校(宮城)の2年生エースだったダルビッシュ投手。「東北勢初の日本一へあと一つ」。当時から有名だった好投手に悲願が託された。

常総学院(茨城)が束になって襲い掛かる。ダルビッシュ投手は四回に長打攻勢で逆転され、東北勢の悲願達成とはならなかった。「孤独」なダルビッシュ投手。「集団」の常総打線。コントラストの激しく映った試合だった。

ダルビッシュ投手は2004年、日本ハムからドラフト1位指名を受けて入団。当時は「練習嫌い」というレッテルが張られていた。2005年には未成年にもかかわらず、パチンコ店で喫煙する姿が報じられ、「やんちゃ」な印象が漂った。

しかし、ダルビッシュ投手は実は研究熱心。プロ入り後は変化球をたくさん習得し、それを自ら完全監修した本で世に出すなど、周囲に広めることも惜しまなかった。

ダルビッシュ投手は技術的な面だけでなく、精神的にも配慮する人になった。昨年のワールドベースボールクラシックに向けた合宿。チームになじめない投手を、ピッチャー陣全体の食事会を開くことで、侍ジャパンに溶け込ませた。

やんちゃ→研究熱心→配慮の人。ダルビッシュ投手が200勝を挙げるまでに、技術的にも精神的にも成長した様子がうかがえる。

日米200勝を達成した試合。前日の試合が雨で中止となったことによるスライド登板だった。本人も「出力的におかしかった」というほど直球は走っていなかった。球速は150キロ前後で今一つ。それを補ったのが、自ら磨き続けた変化球だった。

スライド登板では投球でもメンタル面でも修正が必要となる。厳しいコンディションとなる試合で、ダルビッシュ投手が日米200勝を挙げた意義は大きい。この試合にはダルビッシュ投手の技術的にも精神的にも成長した軌跡が刻み込まれた。

「投げる伝道師」ダルビッシュ投手。これからも野球ファンに活躍する姿を見せてほしい。ダルビッシュ投手の一球一球、そして成長してきた軌跡は、未来を受け継ぐ若者たちへの力強いエールにもなる。

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