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苦労して行ったけどすぐ飽きた関東/町田康

【第40話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 弘化二年夏、次郞長たちは高萩の亀屋という宿屋に一泊した。翌朝、宿の女中が、
「二階のお客さん、おはようございます」
 と言いながら部屋に入って来て驚いた。流石にもう着物を着ているだろうと思った四人の男が相変わらず裸でいたからである。驚いて敷居のところで固まっている女中を見て、慌ててなにか言いかけた虎三を次郞長は制し、そして、
「もうこうなったら隠したってしょうがない。ねぇやん、正直に話そう。俺たちは駿河の者で、高萩は万次郎さんの縁を頼みに、ここ高萩にやってきた。ところがその道中、ちょっとした事があって、面目ねぇ、こんな恰好になっちまった。そこで、ねぇやん、折り入って頼みがあるんだが、この儘じゃ、万次郎親分にお目に掛かることができねぇ、なんで、すまねぇが、ねぇやん、なんでもいいから俺たちに着物を貸して呉れねぇか。その着物を着て、万次郎親分のところへ行きさぇすれば、後のことはみんな親分がいいようにしてくださるはずだから、すまねぇ、この通りだ、どうか着物を貸してくんねぇ」
 と言って頭を下げた。それを聞いた女中は、ポカンとした顔をして、
「そうですか。わかりました。少々、お待ちください」
 と言って階下へ降りていく。その後ろ影を見送って直吉が言った。
「随分と正直に打ち明けたものだな」
「まあな。人間はやはり正直が一番なんだよ。正直に語れば真心は伝わるものだよ」
 次郞長はそう言って鼻をおごめかせた。
 一方その頃、帳場では。
「なんだって? 二階の裸ん坊が万次郎親分の知り合いだから着物を貸せ、って言ったって?」
「ええ、そう仰いました」
「そりゃ、騙りに決まってる。おい、誰か。親分のところへ行って知らせて来なさい」
「へい、なんと知らせましょう」
「姐さんの知り合いを名乗って着物を騙しとろうって輩が家に泊まってます。捕まえに来てください、とな」
「承知いたしました」
 ということで若い者が万次郎方に報せに走る。
 これを聞いた万次郎方では、「なにい? 姐さんの知り合いを名乗った騙りだとお? ふてぇ野郎だ。すぐに行ってぶちのめさねばなんめぇよ。さ、誰が行く?」という話になり、
「あっしが参りやしょう」
 と名乗りを上げたのが、数ヶ月前に駿河からやってきて万次郎方に草鞋を脱ぎ、そのまま厄介になっている清五郎という客分であった。
「わっしがここン家に草鞋を脱いでもう三月にもなる。その間、たいして働きもしねぇわっしに姐さんは随分とよくしてくださる。その姐さんの名前を騙る野郎をおいら、どうしても許せねぇ。どうかわっしに行かせておくんなせぇ」
「そんじゃ、清五郎さん、行ってきてください」
「ありがとうござんす」
 というので右手に棒、左手に銭一貫をぶら下げて亀屋に乗り込んできた。
「あ、清五郎さん、ご苦労さんです」
「うん、そいつらはどこにいる。二階の、わかった。うん、危ないからおまえさん方は階下にいてくんねぇ」
 番頭にそう言うと清五郎は二階へ上がって、
「こらぁ、乞食、どこにいる。よくも姐さんの顔に泥を塗って呉れたな、畜生ども。銭が欲しいなら恵んでやる。その代わり、この棒を食らわしてやるから覚悟しろっ」
 と喝叫、次郞長たちのいる座敷に踏ン込んできた。
「おい次郎、棒を食らわすってやがるぜ。真心はどこ行っちまったんだい」
「おっかしいな。真心があれば大丈夫なはずなんだが。兎に角、話し合いで解決しよう。暴力はいけない」
「ふざけるなっ」
「げらげらげらげら」
 と次郞長たちは笑ったが、
「なにがおかしいっ」
 とますます腹を立て、今まさに殴りかからんと、手前にいた次郞長の脳天に狙いを定めて棒を振りあげた清五郎であったが、
「ん?」
 と言って首を傾げ、その次の瞬間、棒を下ろし、
「兄弟じゃねぇか」
 と言った。それとほぼ同時に次郞長も、
「清五郎」
 と言い、二人は抱き合って踊った。そう、ふたりは五分の盃を交わした、飲み分けの兄弟分であったのである。
「兄弟、ところで、おめぇともあろう者が、その恰好はいったいどういう訳でぇ」
「それが恥ずかしい話なんだが……」
 と次郞長、小田原での一件を清五郎に事細かに話した。すべてを聞いた清五郎は言った。
「そら、兄弟、ちっとも恥ずかしい話じゃねぇぜ」
「そうか」
「そらそうだ。他人の女房を売り飛ばすのはよくねぇから、ってんでてめぇが裸で道中する。それでこそ男、男の愛だよ。さ、さ、兎に角、万次郎親分のところへ行こう。俺ももう長いこと厄介になっているんだが、気持ちのいいところだよ」
「ありがてぇ。じゃあ万事、よろしく頼むで」
 という訳で、次郞長だち、亀屋で服を借りて万次郎宅に向かい、万次郎にも面会、
「ああ、清水の次郎長か。噂には聞いていた。噂通りいい男だな。ああ、何日でもゆっくりしていってくんねぇ」
 と言ってもらい、客分として待遇された。
 尾張でそうであったように次郞長はここでも頭角を現し、半年しないうちにすっかりいい顔になった。

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