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下級国民は格差社会を変革できない(パラサイト 半地下の家族 感想)

見ました。見ましたよ~。アカデミー賞前に見てよかった(なおこの記事を上げるのはアカデミー賞後という…)。今仕事中に書いているんですが(…)、現時点で脚本賞を受賞しており、これはもしかしてもしかして!?と思っています。
→もしかして作品賞でした。監督賞まで!すごいわ~

ところで私は上級国民、下級国民という言い方が格差を無条件に受容し、解決を放棄した言葉に聞こえて嫌いなのですが、とはいえあまりにこの言い方がぴったりくるのでこれを使います。
現代日本には「階級」はないはずなのに、純然たる格差は、既に「階級」のごとき不動のものになっているということを表すのにこれほど端的な表現もないかなって思いますね…。

<あらすじ>
半地下に住む貧しいキム家。大学浪人生で無職のギウは、友人から紹介されて超お金持ちのパク家に家庭教師として入り込むことに成功。続いて美術教師として妹、お抱えの運転手として父、家政婦として母、前任を策略で追い出しながら家族は次々とパク家に入り込み、一家総出で超お金持ち一家にパラサイトしていく。しかし、パク家が息子の誕生日パーティーで外泊したある嵐の夜、パク家に怪しい来訪者が現れる。

以下ネタバレ含む。

無職貧困、ピザのケースはまともに成型できないおかあちゃんがいきなりスーパー家政婦になってたり、出まかせの妹が難しい性格のパク家の息子を完全に手なづけてたりと、おいおい、実はちゃんと働こうと思えばスーパースキルの持ち主たちなんでねえの?というつっこみはあるのですが、そうやってうまく金持ちに取り込めたところで、出てくるキーワードが「臭い」です。
どうやっても上級国民と下級国民の飛び越えられない境界線がこの染みついた「臭い」
この臭いを妻に説明するのに、パク氏が一生懸命たとえて話すんですが、「布巾の煮しめたような臭い」は秀逸でしたね…。
これをうっかり可哀想な状況で聞いてしまったキム父、それまではタクシー運転手を彷彿させるような、明るく根本的には悪い人でない性格だったのに、目のハイライトが消え、死んだ顔になってしまうの辛かった…。ここで、自分たちはどうあっても本質的に上級国民とは違う存在なのだと理解してしまったのでしょう。

同じ格差社会を描く「ジョーカー」との明確な差異だと思うのですが、ジョーカーは最後に下級国民たちが上級国民への憎悪や鬱憤から連帯し、究極の悪意が生まれたのを見る映画でした。まさに永遠のヴィランである「ジョーカー」の誕生に相応しいストーリーでした。
これには映画らしいカタルシスとファンタジーがあった訳ですが、パラサイトにはない。下級国民で連帯するどころか、さらなる「地下」住人と血みどろの争いをします。

彼らは、下級国民同士連帯して上級国民に痛い目見せてやろうという「ジョーカー」にはなれない。お互いとにかく足を引っ張り合う訳ですね。これが長いものに巻かれろ的なアジア圏らしい考え方の所為なのか(民衆革命で王権を倒したヨーロッパとは異なるという)、それとも民衆とはこういうもの(何か権威のあるものには盲目的に従うという)のなのかの、どちらかは分からないのですが、とにかく非常に共感してしまいました。
キム父も突発的な暴力の発露によってパク氏を殺してしまいますが、殺そうと自覚的に銃を撃つジョーカーとは違います。キム父は発作的に人を殺し、本人が語るようにそれはぼんやりと夢のような出来事です。いかに我々が上級国民という価値観に対して無自覚で無力かという諦念が見て取れます。

ギウも、キム父を助ける為にあの家に住む=上級国民になるという解決方法しか思いついていません。ギウが夢想したラストの光景が、希望ではなくあまりに絶望的なのは、その絶対的な階級の間にある「臭い」を超えることが現状の社会システムではほとんど不可能だと我々が理解しているから。
そして本来はその格差こそ是正していかなければならないのに、結局、その上級国民と下級国民という価値観から抜け出せない姿に、現代の「階級社会」があまりに根深いものであるのが見て取れる訳です。

現代の我々はもはやジョーカーすら生み出せない状態なのかもしれません。

#映画 #パラサイト

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