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生生流転(せいせいるてん)

万物が次々と別の状態に移り変わって、永遠に変化しつづけること。
発祥は中国の古典っぽい→その後、日本で成語の可能性あり。)

 「生生(せいせい)」 は、
創造の原動力、

「絶え間なく流れる存在の泉」

として想像してみてください。
それは、
新しいもの、アイデア、
経験を生み出す
絶え間ないプロセスです。
簡単に言うと、

宇宙を動かし続けるエネルギーであり、
常に新しい刺激的なものを生み出しています。

人生は旅のようなものだという
言葉をよく聞くように、
『易経』では
人生を「易」 と表現します。
生命そのものの
ダイナミックさを強調し、
存在の本質を捉える
美しいことばです。

Andreas SchauによるPixabayからの画像

川が流れるように、
人生は前進し、紆余曲折、
予想外の冒険に満ちた乗り物に
私たちを連れて行ってくれます。

そして最後に、
「流転(るてん)」 は、

人生の流れに流されて、ある場所から別の場所に漂っているような感覚

だと思ってください。

変化を受け入れ、流れに身を任せ、
絶えず変化する存在の流れに身を任せていくことです。

この見出しの言葉には、
「処世」 「易経」 「漂流」 の
エッセンスが絡み合っています。

旅を受け入れ、流れに身を任せ、
「書生」 がもたらす
無限の可能性に
驚嘆することを
忘れないでください。

中国の史書『後漢書』には、
敵に追われた男「張倹」の
驚くべき記述があります。

張倹は命からがら、
見知らぬ人の家に逃げ込んだ。
本当に驚くべきことは、
彼が訪問したどの家でも、
住民が彼の名前と
崇高な行為を称え、
彼に避難所と保護を
提供したことです。

すべては差し迫った
危険を予期していました。

時は流れ、張倹の旅は、
現在の山東省和気郡として知られる
東来に向かった。

Adam DereweckiによるPixabayからの画像

彼が直面した試練や
苦難にもかかわらず、
張倹の物語は、
尊敬、優しさ、連帯という
永続的な価値観の
証となっています。

このような物語は、
人間の力と崇高な行動の
大きな影響力を
思い出させてくれます。

『後漢書』(Wikipedia)

日中文学における 「生生流転」の起源を探る

どちらの言葉も
中国の古典に
由来していますが、
「生生流転」 が
中国の古文にも
現代文にも
登場しないのは
興味深いことです。

その代わり、
後になって登場したようで、
日本では明治以降に
作られた可能性が高いそうです。

この時代は、
日本の近代化と
文化交流の重要な時代であり、
新しい考えや
概念が受け入れられ、
日本語と文化に統合されました。

したがって、「生生流転」は
中国で生まれたものでは
ないかもしれないが、
日本の文学で採用され、
使用されていることは、
言語のダイナミックな性質と、
時間の経過とともに
異なる文化間の
豊かな相互作用を
表しています。

「しょうじょうるてん」とも読み、
岡本かの子さん(1889~1939)の作品に
「生々流転」(1939)という題名の小説があります。


類語
・生生化育(せいせいかいく)


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