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五十にして四十九年の非を知る

五十歳で、今までの自分の四十九年間の生活が誤りだと悟ること。人生は失敗と後悔だらけなので、そうならないよう反省すべきだということ。(淮南子:えなんじ)

この言葉は、
大夫(官職名)という
栄誉ある地位にあった
衛の『蘧伯玉(きょはくぎょく)』
という人物に
代表されることば。

顧愷之《列女仁智圖》中的蘧伯玉(From Wikimedia Commons)

彼は内省的な性格で知られ、
自分の行動や
決断について日々、
よくよく考えて
過ごしていた。

そのことからも、
よく反省を重ねた人物
例えて使われたことば
としても伝わる。

その中に
「人間の寿命はおよそ七十年、その出処進退については日々後悔の連続で、そのままひと月になりやがては死に至る。だからこそ蘧伯玉は年五十にして四十九年間の非を知った……と反省しているのである」
とある。

要するに、
人間の一生は
およそ70年であり、
人生を旅するにつれ、
後悔は日ごとに蓄積され
最終的に
死を迎えるまで
数カ月に及ぶ
自責の念が形成される

述べられている。

写真素材:中国秘境探索 霧の向こうには

この考察は、
蘧伯玉が50歳の時に、
自分の49年間の
不始末について考えた
内省と呼応しています。

人生の過ちを認識することは
道徳的誠実さのあることを示すが、
それ以外にも、

人生そのものが後悔に満ちていることが多い

という概念を
浮き彫りにしています。

蘧伯玉といえば、
『論語』の「健斉篇」に、
孔子を訪ねた使節の話があり、
師が間違いのない人生を送ろうと
奮闘していることを表現している。

「魯の哀公二年、行年六十にして六十化す(変化した)」

にもかかわらず、
蘧伯玉は2年間にわたって
深く内省し、
自分の60年にわたる行いと
変化について考えた。

この内省を通して、
彼は大きな進歩と成長を示し、
自己の改善と内省に
深く取り組む人物として
今に伝わることとなります。

淮南子(えなんし)とは
ひとことで言うなら、
哲学思想の集大成である。
『淮南子』は10節21章からなり、
主に道教哲学の
影響を受けているが、
儒教、法治主義、
陰陽論の要素も
取り入れており、
多様な哲学書として分類され、
自然の法則、人間の心理、
政治、宇宙の秩序など、
さまざまなトピックが
含まれています。

寄稿者は
劉安、蘇倪、李商、羅貫など。

前漢の武帝時代に
淮南王・劉安(紀元前179年~紀元前122年)
を中心とする
学者たちによって
作られました。

日本では、漢文読みの「ワイナンシ」ではなく、
呉文読みの「エナンジ」と呼ばれることが多い。
あるいは「淮南鴻烈(わいなんこうれつ)」とも呼ばれています。

類語
・五十暮らして四十九年の非を知る

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