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私のそうめん。娘のそうめん。#KUKUMU

日本人ならば、誰もがそれぞれの胸に、そうめんにまつわる原風景を持っているのではないだろうか。

今日は「私のそうめん」の話をしたい。

私にとってのそうめんの原風景は、小学校の夏休み、土曜日の昼さがり。扇風機が忙しく首をまわしているその脇で、テレビが「関西の家庭ならそうあるべきだ」と言わんばかりの顔をして吉本新喜劇を映している。

そんな日の食卓には必ず、そうめんと、ケンタッキーフライドチキンがあった。

「今日のお昼は、そうめんにしとこか」と母が言い、「いいやん。6束ぐらい茹でよ」と父が言う。そこに続けて「せっかくやし、ケンタッキー買ってこよか」と、父がナイスな提案を差し込めば、至高のそうめんタイムのスタートだ。

車でケンタッキーフライドチキンを買いに出かけた父が帰ってくる頃合いを見計らい、母は大きな鍋になみなみと水を張り火にかける。家族4人分6束のそうめんを茹でるのだ。タオルを首に巻いて、汗をぬぐいながら茹でる母。私は食卓にお箸を並べながら、母の様子を注視する。

「もうそろそろかなあ」

母がそうめんの茹で加減をみるために、菜箸でそうめんを2、3本すくいとる。

「今だ!」

 私は心のなかでそう叫ぶと、食卓から台所へ瞬間移動。母とコンロのあいだに滑り込む。

「なあなあ、味見させてよー」

私はこの、冷水でもみ洗いする前の茹でたてのそうめんが大好きだった。菜箸でひょいと差し出されたそうめんにフウフウ息を吹きかけ、人差し指と親指でつまみとる。そしてひと思いにズルっと吸い込む。
口に含んだ瞬間、はっきりとした塩っぽさを感じられるのが、もう、すごく良い。「そうめん本来の食べ方ではない」という背徳感がスパイスになって、もっと! もっと! という気持ちになる。

「塩分多いねんから、洗ってからにしい」

さらにつまみ食いしようとする私を制する母。私を台所の外へと追いやったのち、勢いよくそうめんをザルにあけ、流水でもみ洗いする。

洗い終わったそうめんは、再び鍋の中へ。続けざまに冷凍庫から取り出すのは、キンキンに冷やされたミネラルウォーター。鍋に手早く水を注ぎ入れると、急に冷やされたアルミ鍋はびっくりして汗をかく。そこにとどめを刺すかのように、バリンとねじった製氷皿から直接氷をどっさり投入。まるで山賊料理かのような豪快さに、私の胸は高鳴った。

さて、そうめんの準備は整った。私は安心して、家族4人分のお椀にめんつゆを入れ、ミネラルウォーターで希釈する。3つ歳のはなれた妹は、食卓に薬味を並べる。青ネギの小口切りと七味唐がらし。
 
「このつゆ、まだちょっと濃いんちゃう」
「じゃあ、自分でつくってよ」
「私、つゆにも氷入れとこかな」
 
妹とそんなやりとりをするうちに、ケンタッキーと父が帰宅する。

役者が揃った。

そうめんの大鍋と、フライドチキンを盛り合わせたお皿をどんとテーブルの真ん中に。扇風機はフル稼働。テレビのチャンネルも、ちゃんと吉本新喜劇に合わせて。これで最高の食卓の完成だ。
 
「今日の新喜劇の座長だれやろ」
「辻本ちゃう?」
「山田花子、出るかな」

家族4人。父と母、妹、私。たわいないことをおしゃべりしながら、ゾゾゾとそうめんをすすり、フライドチキンにかぶりつく昼下がり。我が家のランチタイムを特別なものにしてくれたチキンに敬意を払い、私は小骨に張り付いた一片のお肉までていねいに食べつくす。首がまわる扇風機が時折フワっと風を送ってくれて、それがさらに心地良い気分にしてくれた。
 
以上が、「私のそうめん」だ。

なんてことのない、どこの家庭にでもある、普通の情景。だけど、私にとっては昨日のことのように思い出す、特別なひとときでもある。守られていて、満ち足りていて。不安や不満がひとかけらもないような、平和な空間。
私にとってのそうめんとは、平和の象徴だ。白い鳩なんかよりも、もっともっと平和を表す何かだった。


そうめんの原風景を求めて。

噛みしめていた小学生は、30年ほどの時を経て立派な中年となった。
そして2022年の夏を迎えた今、4歳になる子どもを見てふと思ったのだ。
 
「私のそうめん」を、再現したい。
 
氷水とそうめんがひしめき合う大鍋と、山盛りのケンタッキーフライドチキンが並んだ、しあわせな光景。これを再現したならば、きっと娘も喜ぶに違いない! 

思い立ったが吉日。私はさっそくしあわせな食卓を準備した。

完成!

席についた娘は、何やら真剣な眼差しでそうめんとチキンを見つめている。

私は「どうだ、おいしそうだろう。ワクワクするだろう」と娘の反応を期待しつつ、その様子を見守った。そして、娘は、はっきりと一言、こう宣言したのだ。
 
「むすめちゃん、お肉だけでいい」
 
娘は宣言の通り、チキンだけを食べ、そうめんを一口も食べなかった。

「おいしいよ~、ほーんとうにおいしいのにな~」
 
どう声かけをしても、おいしく食べる様子を見せても、娘は首を横に降るばかり。娘に二言なし。武士のような奴だと思った。やんぬるかな。「私のそうめん」は、娘に通用しなかったのだ。


「私のそうめん」ではなく「娘のそうめん」を。

そうめんに塩対応する娘を前にして、私は釈然としない気持ちを抱えた。

まず不可解である。ラーメン、パスタ、そば、うどん。ありとあらゆる麺類を好む娘が、そうめんだけを嫌う理由が見当たらない。そして、単純にさみしい。日本の夏の風物詩であるそうめんを一緒に楽しめないなんて。そんなの、牛カルビのない焼肉屋のようなものだ。

いやいや、ここで諦めるにはまだ早い。夏はまだ始まったばかり。もっと考えて、粘って、工夫して、娘とそうめんの仲を取り持つのだ。
まずは「私のそうめん」を押し付けるのをやめよう。考えを改め、新しく「娘のそうめん」を探るべく、私はひとつの本を手に取った。


そうめん研究家 ソーメン二郎さんに学ぶ、そうめんの基本。

私が手にした本はコレ。
ソーメン二郎さん監修の『簡単! 極旨! そうめんレシピ』。

ソーメン二郎さんをご存じの方も多いだろう。三輪そうめんの発祥の地、奈良県桜井市にある三輪そうめん製麺所の家系に生まれたソーメン二郎さん。彼は日本で唯一のそうめん研究家であり、「そうめんの復権活動」に挑んでいる孤高の戦士でもある。

ソーメン二郎さんの執筆された著書、ブログなどを見ていると、単なるそうめん愛好家でないことがよくわかる。そうめん職人の方々の高齢化や後継者不足問題を真剣に受け止め、これからもそうめんが人々に愛され続ける存在となるよう、積極的に広報活動している人なのだ。まさに、そうめんへの愛情と使命感を語らせると右に出るものがいない唯一無二の人である。
 
そんなソーメン二郎さんが監修された一冊が『簡単! 極旨! そうめんレシピ』。
 
そうめんの歴史や産地による個性の違い、茹で方の基本、アレンジレシピまで、幅広い知識と知恵がまとめられている。

「娘のそうめん」を見つけるべく、ヒントが欲しくて読み始めた私だったけれど、いつのまにか当初の目的を忘れて熟読してしまった。そして、今までそうめんについて何も知らなかったことに驚かされた。目からうろこが落ちたポイントのいくつかを、ここでご紹介したい。

① そうめんには、約1200年の歴史がある!

そうめんは、およそ1200年の歴史を有し、平安時代の宇多天皇の時代から宮中に献上されている日本最古の麺です。

1200年。1200年ですよ、あなた。あらゆるものが常に変化し、ほんのしばらくもとどまるものがない無常の世の中で、千代の歴史を紡いできたそうめん。この事実を知るだけでもう、そうめんの前であぐらをかいていた過去の自分を恥じる。正座してひれ伏す。そうめんをあなどるなかれ、である。

② 茹でるときは“すっぱい”梅干しを1個入れる!
「そうめんを茹でるときは、梅干しと一緒に茹でるとよい」。
夏になると、Twitterなどでよく目にするライフハックだ。「ふむふむ、これくらいのことは知っているし、やってもいるぞ」としたり顔で読み進めていると、次の文言に目が留まった。

大きめの鍋に湯を沸かし、すっぱい梅干しを一個入れる。

なんと、沸かした湯に投入する梅干しは、すっぱくないと意味がないのだという。梅干しに含まれる酸が、麺のコシを生み出すらしい。全然知らなかった。分かった気になって「はちみつ梅干し」を使ってきた自分を呪う。今まで無意味に鍋で踊らされてきた幾多のはちみつ梅干しに詫びたい気持ちが湧き出る。

   茹で上がったそうめんは、氷水につけない!
「そうめんといえば氷水。氷水といえばそうめん」。子どものころからそう信じて疑わず生きてきた私だ。「そうめんを氷水につけてはならない」の一言に、大きな衝撃を受けた。

氷水につけると、氷のカルキ臭がそうめんに移ってしまうらしい。子どもの頃にカルキ臭いそうめんを食べ続けたことで、結果、そうめん嫌いになる例も少なくないという。

もしかして、娘はそうめんのカルキ臭を嫌がっていたのかも……。

④ 薬味のバリエーションは無限大。トッピングだって、自由に楽しめばいい。
そうめんの薬味といえば、青ネギと七味唐辛子。これが王道。他に道なしと思い込んでいたものだから、結婚して間もない頃、夫がたたき梅だの、かつお節だの、干しえびだの、すりごまだの、のりだのを、めんつゆに入れて喜んでいるのを見て驚愕した。

ソーメン二郎さんによると、夫が好んで食べている薬味はもちろんのこと、ゆずコショウや生パクチー、すだち、ミョウガなどもいいらしい。

それだけではない。めんつゆに添える薬味以外のトッピングだって自由に楽しめばいいのだ! というのがソーメン二郎さんの主張だ。例えば。トマト、納豆、ツナ、アボカド。それに温泉卵。めかぶやもずくだっていいコンビになるという。

なるほど! と私は膝を打った。「めんつゆにトッピング」。とってもシンプルなアイディアだけど、思い至らなかった。「そうめんといえば、青ネギに七味唐辛子」。このこだわりと思い込みを捨て、娘が気に入りそうなトッピングをしこたま用意すれば、自然と彼女もそうめんがある風景を楽しめるのではないだろうか。

私はソーメン二郎さんの教えを胸に、「娘のそうめん」をつくりはじめた。


「娘のそうめん」を探す旅は続く。

まず、そうめんを茹でる。すっぱ~い梅干しを忘れずに投入。

親戚のおばさん特製の梅干し。指でつまんだだけで唾液が湧き出る。

盛り付け時の氷水は今日をもって卒業。茹でたてを冷水でしっかりもみ洗いして、水をよく切り、そのまま皿に盛り付ける。そして、たんまりと薬味とトッピングを用意。
 
そうして出来上がったのが、この食卓だ。

右下から時計まわりに、オリーブオイル、ゆずこしょう、トマト、きゅうり、めかぶ、ツナ、キムチ、納豆、アボカド、のり、梅干し、お茶漬けのり etc ……

出来上がりとほぼ同時。娘が様子を察してタッタッタッと駆けよってきた。そして食卓を一瞥して一言。
 
「わ~! すごい! おいしそう~!!」
 
よし!!! 私は心の中で歓喜の声をあげ、ガッツポーズを決めた。正直なところ、この食卓を準備するのは少々手間だった。なにせ、そうめんは2分で茹で上がる手軽さが魅力だというのに、トッピングを一皿一皿準備していると、それなりの時間を要してしまったのだ。そんな苦労も娘の笑顔で報われるというもの。
 
娘はじーっとトッピングの皿を見つめている。早く食べたいのかもしれない。
 
「よし、じゃあ、ごはんにしようか」
 
声をかけるやいなや、娘は言った。
 
「むすめちゃん、納豆とめかぶでごはん食べるね!」
 
え――! 今日のそうめんはいつもよりコシがあるうえに、カルキ臭くなく、加えてトッピングも豊富なのだが――!!
 
「武士に二言はない」が信条のように、娘は私の説得に一切の耳を貸さなかった。私は泣く泣く冷凍ごはんを解凍。本気でちょっと泣きそうだった。そんな私の心情などつゆ知らず、ニコニコしながら納豆とめかぶをかき混ぜる娘。
 
「あ、のりも入れたらおいしくなったよ! もっと入れていい?」
「梅干しも一緒に食べたらどうなるかな……」
「トマトも食べる」
「シーチキンはきゅうりと一緒にあとで食べるから残しといてね」
 
娘はごはんをもぐもぐしながら、ひとりごととおしゃべりが止まらない。

ショックのあまり、ブレにブレまくった納豆めかぶごはん

娘はさまざまなトッピングにあれこれ手を伸ばしながら、心から楽しそうな様子だった。出されたメニューをそのまま食べるのではなく、自分で工夫したり選んだりできるのが良かったのだろう。笑みを浮かべながら勢いよく食べ進める娘を見ていると、さっきまでのちょっと泣きそうだった気持ちを忘れて、思わずフフっと笑ってしまった。

思い描いた結果ではなかったけれど、これはこれでよかったのかな。「娘のそうめん」は、またいずれ、娘の気が向いたときに探していけばいい。

一方、夫と私は思う存分そうめんを楽しんだので、その一コマを。

 
ソーメン二郎さんイチオシ! 基本の食べ方・オリーブオイルと天然塩

そうめんの小麦の風味を楽しみたいなら、コレ一択。ソーメン二郎さんのイチオシです。
オリーブオイルとそうめんって、意外なほどよく合う! 「和」の領域におさまらないそうめんの魅力を楽しめました。プリっとしたそうめんのコシやツヤ、小麦の風味をダイレクトに感じられる食べ方。

 
私のNo.1  トマトとバジルのオリーブオイル和え

先ほどの「オリーブオイルと天然塩」にトマトとバジル、コショウを添えていただきます。これは全く違和感のない冷製カッペリーニ。トマトとそうめん、すごーくいい。

 
夫のNo.1  アボカドツナ

ツナのコクがまろやかなアボカドと絶妙にマッチ。めんつゆの味に深みが増します。アボカドもツナも身近な食材だけど、そうめんに合わせるなんて考えもしなかったなあ。

 
予想を大きく上回ったコンビ 納豆めかぶ

「そうめんに納豆かあ。ちょっと匂いが強そうやなあ」。そう思って期待していなかった納豆めかぶのトッピング。これがめんつゆと良くからんで旨いのなんの。納豆の匂いは自然と消えて、旨味だけがマシマシになるという不思議。ちょっとハマりそう。 

***

家族が苦手な食べ物を、おいしく食べてもらえるよう工夫をしたり。少しでも家族に喜んでもらえるよう、反応を想像しながら料理したり。思い返してみたら、こんなこと久しくしていなかったかもしれない。ひょっとしたら娘の離乳食期以来ではないだろうか。いつの間にか日々惰性で行うルーチンと化していた料理に、そうめんとソーメン二郎さんは、ほどよい刺激を与えてくれた。そして「私のそうめん」に、新たなシーンを追加してくれた。心もお腹もまんぷくである。

 「娘のそうめん」を探す私の旅は、まだまだ、これからも続く。

***

文・写真:森川紗名
編集:栗田真希

食べるマガジン『KUKUMU』の今月のテーマは、「夏に食べたい麺」です。4人のライターによるそれぞれの記事をお楽しみください。毎週水曜日の夜に更新予定です。『KUKUMU』について、詳しくは上記のnoteをどうぞ。また、わたしたちのマガジンを将来 zine としてまとめたいと思っています。そのため、上記のnoteよりサポートしていただけるとうれしいです。

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