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小学4年生の足あと

小学4年生の新学期初日。教室の前方の扉から、新しい担任の先生が入ってきた。黒髪のショートカットがよく似合う女性だ。背丈は小柄で威圧的なところがまったくない。名前はY先生といった。わたしはY先生の姿をひと目見るなり、やさしげな雰囲気に安心し、彼女を好きになれそうな予感がした。

Y先生は教壇に立って自己紹介を終えると、1冊の学習帳を皆にくばって、言った。「ノートの表紙に、黒板に書く文字を写してください。できれば太い黒マジックでね」。Y先生は白チョークを手にとり、大きく「足あと」と書いた。「『足あと』ってなんだろう……?」。わたしたちは不思議に思いながらも、指示通り、油性マジックでていねいに書き写す。全員が書き終えたことを確認してY先生は続けた。「このノートに、その日あった出来事や心に残ったことを毎日書いていきましょう。内容はどんなことでも大丈夫。書く量は1行だけでもOK。今日から1年間、4-1のみんなで、それぞれの心の足あとをノートに残していこうね」

その日から、わたしたちは毎朝「足あと」をY先生に提出するようになった。Y先生は赤ペンで誤字を修正したり、感想を書いたりして、その日のうちに返してくれる。まるで交換日記みたいだった。クラスメイトのなかには「足あと」を毛嫌いする子もいたけれど(毎日の宿題がひとつ余計に増えるわけだから気持ちはわかる)、わたしは「足あと」が好きだった。「足あと」に書くネタを探すため、日常に目を凝らす時間が楽しかったからだ。

楽しいだけではなく「足あと」の存在に救われる日もあった。それは悲しみや憂うつで心がいっぱいになったとき。
前髪を切るのに失敗して、学校に行きたくなくなったこと。こっくりさんをやってみたら、ほんとうに10円玉が動いてしまって、とんでもないものに手を出した自分を呪ったこと。体育の時間の跳び箱で思いっきりコケて、みんなに笑われたこと。
できればなかったことにしてしまいたい出来事や感情に出くわすたび、わたしはその詳細をノートに書き出し、外気にさらして乾かした。すると不思議なことに、そこに書かれてあることは、まるで他人がしでかしたことのように思えて、胸がスッとすく感じがする。わたしの「足あと」は、ただの交換日記から、つらい出来事をおもしろい思い出に変える装置へと、だんだんと変容していった。「足あと」という装置を手に入れたわたしは、次々と苦くておもしろい思い出を量産し続け、その様子をY先生はニコニコと見守ってくれた。

それから26年経った今、過去を振り返ってみると、小学校から大学まで12年あった学生生活のなかで、小学4年の思い出だけが鮮やかにかがやいている。ほかの11年にも、もちろん思い出はあるけれど、ピントが合わずぼやけていたり、妙に映像が粗かったりして残念だ。
小学4年生のわたしはたしかに日常を取材していたんだと思う。見たもの、感じたことを、自分のなかに取りこんで、自分の言葉で翻訳し出力しようとしていた。つらい出来事は笑い話になるよう工夫をこらして編集していた。だからこそ、その時間だけが、その足あとだけが、はっきりと心に残っているんだろう。

最近noteを頻繁に更新するようになって、「足あと」とY先生のことをよく思い出している。このnoteも、わたしの足あとになってくれたらいいなと思いながら。

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