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DMM英会話あるある6 先生のミスをうまく見逃してあげることに気を使う(前)


これは本当に気を使う。
こっちは英語の勉強に集中したいのに、なんで生徒の側がこんなことに気を使わなきゃいけないんじゃ~~!!と、つい愚痴を言いたくなるくらい気を使う。愚痴なんて1年に1回も言わない私なのに。

とはいえ、ミスのない人間などいないのである。
とりわけ言語ともなれば、学ぶべき項目が膨大すぎて、先生といえど間違って覚えていることも無数にあって当たり前である。
私も一応日本語が堪能でないとできないはずの仕事をしているが、読めない漢字、誤った解釈をしている四字熟語や慣用句、いくらでもある。
例えば「南国少年パプワくん」を私はずっと「南国少年パプウくん(ぱぷうくん)」と読んでいたし、「のだめカンタービレ」を「のだめカンビターレ(かんびた~れ)」だと何年も思っていた。
言葉って難しいなあ。

この点、語学のボリュームの壮大さというものを感じる。
例えば物理とか歴史の先生が講義でなにか間違った説明をしたら、「あれ、先生なのに間違えちゃうの?」と、こちらは意地悪く思いそうである。
でも英語の先生が単語の綴りや意味を間違っていても、「まあ先生だって全部の英単語を覚えられるわけないしイギリスとアメリカとオーストラリアとアジアとアフリカと南部と北部とそれぞれ言葉の使い方も違ったりするし仕方ないよね」と納得するのではないかと思う。子供はしなさそうだけど、大人だったらすると思う。
物理には「アメリカの公式」と「イギリスの公式」で違いはないだろうし、先生が公式を間違っていたら大変なことになる。
しかし英語は、そもそも全部正しく覚えるのが先生だろうが無理である。
そう考えると、覚えることの数としては語学の方が他の科目より多いはずなのである。100万個以上単語があるし。
ただ逆に考えると、英語は多少ミスっても話は通じるんだから気楽なのに対し、物理は数字ひとつでも間違えたら0点になるという、絶対的な正確さが求められるトピックなわけで、そもそも違う教科を比べるということがナンセンス!!  I am ridiculous!!! I am stupid!!! I would rather die!!!!

まあそんなわけで英語の先生は多少ミスがあるのなんて当たり前であるが、それを受けて、生徒の側にはそれを指摘するべきか聞かなかったことにするかという悩みが生まれるのである。
というか基本的には、指摘しづらい。
だって相手は先生なのだから。
私は昭和生まれであるので(昭和18年生まれ)、まだ先生という人たちがおしなべて世間から尊敬される時代を生きてきたのだ。「先生! いつも息子がお世話になっています! こいつがなにか悪さしたら、遠慮なくぶん殴ってやってくださいよ!」なんて親が言うような空気感の時代だ。子どもとしては、先生は偉い上に怖いので口答えなんてとんでもない。そんな時代。
その感覚が三つ子の魂百までで残っている私は、「先生、今間違えましたよね?」とか、なかなか言えないのである。

しかし一方で、私はもう子供でもない。
無条件で先生に服従していた子ども時代と違い、大人になった私にはそれなりの自我がある。しかも大抵の先生より私は年上である(涙)。
だから、もやもやは抱えることになる。

例えば、「turn a page」。
これはミスと言ってしまうのは失礼な話かもしれないが、あるレッスンで、こんなもやもやがあった。
「turn a page」は、「本のページをめくる」こと。
私は本のページをめくるという表現は「turn a page」とか「turn to the next page」と覚えていて、それを会話の中で使ってみた。
そしたら先生(フィリピンの先生)に、「turn だと『上下に回転させる』とかいう意味にもなっちゃうので、ページをめくる時は flip a page の方がいいよ」と訂正された。

その時は、「なるほどそうなんですね!」と納得してみたが、授業を終えた後に「あれー、ページをめくるは turn a page って勉強したんだけどなあ。間違って覚えたのかなあ」と疑念を持ち、「DMM英会話なんてuKnow?」で検索してみた。
この質問とかこの質問

たしかにflipという答えもあるのだが、数で比べれば圧倒的多数でturnである。
これが物理の法則だったら多数派だから正しいなんてことは言えないと思うが、言葉は、使っている人が多い方が正しいのである。
「全然OK」「全然大丈夫だよ」の表現は、頭の固い人は「『全然』は否定する時に使う言葉だ、そんな使い方は間違っている!!」と言うだろうが、今は多数の人が肯定でも使うという現実があるわけなのでそれでいいのである。人間と一緒に言葉も進化するのだから。
だから「ページをめくる」も多数の人が使っているという一点で turn a page は確実に正しい、むしろ flip a page より turn a page の方が適切であるということになると思う。
よく考えたら、最初に私が turn a page を覚えたのも、同じような経緯を辿った気がするのだ。私は「ページをめくるってなんて言うんだ?」と思った時にDMM英会話なんてuKnow?で調べて、「flip と turn があるけど turn の方がよく使うのか。じゃあ turn でいいや」と記憶した気がする。
それに、先生は「turn だと『上下に回転させる』とかいう意味にもなっちゃうので」って言っていたが、普通ページは上下に回転させるものではないので、本の話題の時に turn a page と言われて「ん? 今のはページをめくるという意味だろうか? それとも上下に回転させるという意味だろうか?」なんて聞き手がこんがらがることはないのではないか。
ipadなら回転する機能はあるけど、読書中にページを上下に回転させる必然性はなくない?

こういうのは、私がスタンダードプランを選択しているから起きる問題なのかもしれない。
多くが非ネイティブの先生なので、非ネイティブの先生だと英語の身につけ方にも個性が出るのだ。
まあしかし、今のはわかりにくい例である。
turn a page だろうが flip a page だろうが、両方とも「ページをめくる」なわけなので、先生が間違っているというわけではない。それに、授業が終わってから気付いたことだし。

でも、もっとはっきりとわかりやすいミスを先生がすることもたびたびあって、はっきりしたミスだとこちらがその場で気付いてしまうために、「あっ、これは先生のミスだけど、指摘したいけど指摘するのもなんか先生の気分を害しそうだし失礼に当たるかな、でも指摘したいけど……でも言いづらい……」と、レッスン中に思い悩まされることになる。

「写真の手前」という表現。
写真に奥行きのある部屋などが写っていて、その「手前の方に写っている人」という意味で、私は「A boy in the front part of the photo」という表現を使った。
それが正しい表現かどうかは置いといて。
私は「in the front part of the photo」と言ったのだ。たしかこれも直前にDMM英会話なんてuKnow?で学んだばかりの表現だったと思う。だからその時はさらっと言えたのだ。今はもう忘れてるので言えない……。
とにかく私は「A boy in the front part of the photo」と言った。

すると先生が、「さっきキミ『写真の手前』を『in front of the photo』って言ってたけど、それだと『パソコンの前にいる(写真が写っているモニターの前の現実世界にいる)』っていう意味になっちゃうよ。だから、写真の手前を言いたいなら in front of じゃなくて『in the front part of the photo』がいいよ」と、訂正してくれたのである。

なるほど。
いや、しかし。
私はそう言ったのだ。
私は確実に「in the front part of the photo」と言った。だって覚えたばかりの表現だったから。先生が訂正した訂正後の表現を訂正される前にしっかり私は使っていたのだ。マジで。
それなのに、「さっき『in front of the photo』って言ってたけど、『in the front part of the photo』の方がいいよ」と、言ってもいない間違いをねつ造されて、無実の罪を着せられ、間違った人間として指導をされているのだ。

いやいや……

そう言ったんですけどね!? 僕ちゃんと in the front part of って言いましたけど!!! 聞いてなかったんですか!? 間違ってるのはあなたの方ですよっ!! 生徒が喋ってるのをもっと集中して聞いてくださいよっっ!!!

と、なみの生徒なら怒ってもおかしくない場面であるが、私は先生という人々に大いなる敬意を抱く昭和の時代を生きて来た人間(ゆうひが丘の総理大臣世代)なので、そういう先生に楯突くような発言はできかねるのである。
どうせ言った言わないは、水掛け論になるしな。「そう言いましたよね!?」「え……そうだったの? ごめん……」となったところで、先生の気分を害するだけで生まれるものはなにもない。
ので、私は「OK. I understand. Thank you.」と、納得した感じでお礼を言っておいた。
先生としては「生徒のミスを訂正して、またひとつ彼の英語力の向上に貢献してあげられた」と達成感があるのだろうが、私はもやもやするだけなのだけど。そう言ったのに……。

でもこういうのは、「スルーすればいい」という問題であり、「どう対応すればいいか困る」ほどのことはない。ただ黙ってやり過ごせばいいだけだから。

ところがここからさらに悩みが大きくなる場面があって、それが「先生がミスって読んだ文章を私がリピートしなければいけない時」である。
リピートする時というのは、教材に出て来る例文をまず先生がお手本として読み、その同じ文章を続いて生徒も音読する、という時だ。これがレッスン中はよくある。
そして、先生がお手本として例文を読む時に、思いっきり間違えることがあるのだ(発音が違うとか細かい話じゃなくてもっと露骨に)。
先生自身がすぐ気付いて読み直してくれればいいのだけど、しばしば自分で一切間違えたことに気付かず、平然と読み切ったりする。
その「先生が例文を間違えて読み切ってしまった時」に、私は先生の間違いを修正してリピートするべきか、間違いをそのままリピートするべきか、大いに悩むことになる。生徒として、「先生にミスを突きつけるか、先生と一緒にミスをして心中するか」の2択の十字架を背負わされることになるのだ。

これも過去の具体例がいろいろあるのだが、後編へ続く。


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