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DMM英会話あるある5 「先生を国籍で選ぶ」←これって差別ですかね?


私は現在、スタンダードプランを受講している。
ネイティブコースと比べて先生の国籍は限られてくるが、それでも、予約をする時に「国で先生を選ぶ」ということがある。
評価が同じくらいだったら、先生の国籍を見て、どの先生の授業を受けるのかを決めるのだ。

これは決して、国籍差別をしているのではないのである。

と思ったが、人を国籍で選ぶ時点で差別と言われれば差別な気もする。その人と喋りもしないで、「この国の人はきっとこんな感じだろう」と特徴を決めつけてA国は選ぶけどB国は選ばないみたいな判断をするのは、とりわけ選ばれない国の人からしたら差別と感じるかもしれない。

しかし、どうしても国によって特徴は出るのだ!
能力や性格は個人個人で千差万別だということはわかるが、それでも「全体的な傾向」というのはたしかにあるのだ。
血液型と同じようなものだと思う。あるいは「男は大体こうで女は大体こう」みたいなテーマも同じだと思う。
ABO型・男女かかわらず個人の特徴なんてバラバラに決まっているが、それでも人として何十年も生きていれば、普通に何十年も人と関わっていれば「個別の事例では無数の例外があることはわかっているが、『全体的な傾向』はどうしてもある」ということは感じると思う。言うと怒られる世の中なのでみんな言うのを控えているだけだ。

例えばインド人に1番多い血液型はB型で、日本人に1番多い血液型はA型なんていうのは見事に国民性を表した、「血液型は性格と関係ある説」を裏付けるすごく説得力あるデータだと感じる。
これがもし逆で、「インド人はA型が最多、日本人はB型が最多」だったら、私は「私が間違っておりました。血液型が性格と関係あるなんて、大ウソの思い込みでした(涙)」とそれまでのポリシーを捨てて謝罪したと思う。

その点で、500回以上レッスンを受けて来た身としては、「オンライン英会話を受ける時に、好ましい先生の国籍とそうでない先生の国籍」が、おおまかに自分の中で定まっているのだ。あくまで「私が授業を受ける時に私が好ましいと思う先生の国籍」であるが。

そこで、私はどういう理由でどういう国籍の先生を選びがちなのかということを書いてみるので、それは国籍差別であるのか、レッスン料を払って受講する立場では許される選択であるのか、判定してみて欲しい。

いきなりズバリ書くが、私は、アフリカの先生は避ける傾向がある。
これは、アフリカ全体である。ケニアの先生、ジンバブエの先生、マラウィの先生、マダガスカルの先生、ナミビアの先生、ガーナの先生などなど。
………………。
国ですらなく、大陸で人を判断するという、自分で書いていてもやばい感じがする選別だ。

なぜか。
その理由は。
だって、アフリカの先生は、ネット環境が悪い確率が高めなのである!!
これは先生個人の責任ではないし、先生の能力も関係していない話だ。
しかし、地域全体として社会インフラが(他の国・地域と比べたら)整っていないがちという傾向がアフリカにはあるのだ。いないがち。整っていながち。

授業の時に先生の音声に雑音が入ったり、声が飛び飛びになったり、先生の姿がいきなり時間停止したように静止画になり、やがて接続が切れ、そして接続中→失敗 接続中→失敗 接続中→失敗 と何度も繰り返した後にようやくつながって「Sorry! Internet connection is very bad」と謝られたり。
あるいは双方の声が届くまでに衛星中継のような妙な時間差があったり。

ちなみに先生の音声と動画が突然ピタッと止まると、こっちもなぜか同じように固まるんだよね。現実の動きが。
それまで楽しく喋ってても、あちらの動画が停止すると「あっ……」て意表を突かれて、こっちもしばらく体が動かなくなる。それこそ時間停止したように。時間停止できる濃厚オヤジがいたずらウォッチを作動させたかのように。

もちろん正常に授業が進む場合の方が多く、不具合が出るのは「時々」なのだが、その時々が発生する確率が私の経験上では他地域と比べて、アフリカ大陸にいる先生は多いのだ。
だから、同じくらいの評価点数でアフリカの先生と他地域の先生がいたら、アフリカ以外の先生を私は選んでしまう。

これは仕方なくないですか!?
だって、電波障害なく授業を受けたいじゃないか! お金払っての25分の授業なのだから!!
接続が途切れたらその分延長してくれる先生もいるが、28分経ったらシステム的に強制切断されるので、授業中のタイムロスがあったらその分損することになる。
私がいかに授業中のタイムロスにうるさく、ケチくさい人間かというのは過去の記事でわかってもらえているだろう。そんなろくでなしの私の方針としては、このような選択基準になってしまうのだ。

スタンダードプランで1番多いのはフィリピンの先生で、必然的にフィリピンの先生のレッスンをたくさん受けることになるが、そこで授業中に回線が途切れるということはそんなにない気がする。あるにはあるが、アフリカの先生と比べるとずっとネット環境は良いように感じる。時間停止できる濃厚オヤジはフィリピンには滅多に登場しないのだ。
私はフィリピン旅行の経験はないのだが、他の東南アジアの国々とアフリカ東部を旅していた時の記憶を辿ると、やはりインフラの差は大きかった。
インフラ=infrastructure=電気ガス水道道路など生活の基礎となる設備
アフリカはとにかくだだっ広く人口密度が低いので、砂漠やサバンナに回線を通さなければいけないのだ。頻繁に停電もするし、アジアとはまだインフラの整い方に差があると感じた。
私が行ったのは10年以上も前で、それから相当改善はされているだろうがアジアはアジアでまた発展しているので、「アジアとの差」はゼロにはなっていないはずだ。


ただ、アフリカはフィリピンより日本との物理的な距離があり、物理的な距離があるということはフィリピンと比べて日本との文化の違いも顕著である。
人の姿も文化も食べ物も、距離が離れるほど違いが際立ってくるものだ。
なので、アフリカの先生のレッスンを受けると文化や考え方が日本といろいろ違って面白いというメリットはある。それはすごく勉強になる。

例えばナイジェリアかどこかの先生に、「旅行中の事故」みたいなテーマでレッスンを受けていた。
目の前で交通事故が起きました、あるいは友達が轢かれました、すぐに救急車を呼びましょう! 911に電話をかけて、「ここはxxストリートです。男性が車に跳ねられました。すぐに来てください! 意識はあるようです、血が出ています、どういう応急処置をすれば良いですか?」と英語で伝えましょう。というロールプレイングをした。
先生が救急センターの人、私が通報者の役で、なんとか用件は伝えきりロープレは終了した。
そこで私が雑談として「ナイジェリアに旅行した時も、事故が起きたらこうやって救急車を呼べばいいんですか?」と聞くと、先生は「ナイジェリアでは救急車なんて来ねえ!! 通報してもなにも来ねえ!! 怪我人が出たら周りに居る人間みんなで担いで病院に運ぶんだ!!」と仰っていた。
なるほど。自分の国ではあり得ない状況のロールプレイを、先生はどういう気持ちで演じていたんだろう……。
しかし、そういう現地の人ならではのレポートを聞けるのは、おもしろい。こうやって話のネタにできるし。
そういう点で、英会話を勉強してグローバルに活動しようと思っている生徒としては、たとえ回線状況が悪くともいろんな国の先生と話すことは大切であるとは思う。

ちなみに下の写真は、タンザニアの町で私が撮影したものである。
日本から中古の救急車を輸入しているようだが、それをタンザニアでは救急車としてではなく、乗り合いバスとして使っていた。公共交通機関である。
怪我した時に救急車は来なかったとしてもこの乗り合いバスに乗って病院まで行けば「救急車は来なかったけど救急車で病院には行った」ということにはなる。

乗り合いバスなのにサイレン鳴らせば信号無視し放題という


ネット回線というのは、遠い方が不具合が出やすかったりするのだろうか?
アフリカ以外に、中南米の先生もやや接続に問題が起きがちな気がする。
電波のスピードは光のスピードと考えるとタイムラグなど発生のしようがないが、それを通すケーブルは人工の設備なので、距離が長ければそれだけどこかに不具合があったり干渉を受ける可能性も高くなるのかな。

まあ回線のことばっかり言ったが、正直、アフリカの先生はポレポレの精神というか、「間違いがあっても気にしない。ポレポレ!」みたいなおおらかな授業の進め方である気もして、細かいのが好きな私はあんまり合わない気がするのである。私は、間違いを細かく指摘して欲しいタイプなのだ。
※ポレポレというのは「ゆっくりやろう」みたいな意味のスワヒリ語。ガイドブックには「アフリカのバスは平気で何時間も遅れたりしますが、アフリカではみんな『ポレポレ』の精神で生きているので気にしないのです」みたいに書いてある。実際そんな感じであって、A型の神経質旅人である私はとってもイライラした。


なお、スタンダードプランではフィリピンの先生が1番多く、次によく見かけるのは東欧の先生である。
東ヨーロッパ……セルビア、モンテネグロ、ボスニアヘルツェゴビナあたりの先生。

フィリピンの先生と東欧の先生は回線状況の差は感じられないが、その両方の先生が選べる場合には、私は東欧の先生を選ぶ。
なぜなら、東欧の先生は発音がキレイだから。

これは、「全体の傾向」として見れば明確に差があるように思う。
東欧の先生の発音は、素人の私が聞くとネイティブの人の発音に感じられる。東欧の先生の授業はまるで、ネイティブコースを受けているかのごとき感覚なのだ。

一方フィリピンの先生は、「アジアの人が喋る英語」という発音の先生が多いように感じられる。
それはそれで、わかりやすくて良いのだが。フィリピンの先生の英語は、聞き取りやすい。
多分、日本人が喋る英語……つまり我々が英語を勉強して喋るようになる英語の発音が、やはり「アジアの人が喋る英語」なのだ。そして、「自分が発音できる言葉は聞いても理解できる」という法則があるので、自分と似たようなアクセントであるアジアの人の英語は理解しやすいのである。

東欧の先生の英語はネイティブなみに流暢なので、悲しいことに、初心者には難し過ぎる。
アジアふうの英語を喋る我々はアジアふうの英語は聞き取れるが、ネイティブ英語は話せないのでネイティブ英語は聞き取れない。人は喋れない言語は聞き取れないから。
しかし、目指さなければいけないのはどこかと言ったら、当然ネイティブの方なのだ。そうでしょう? まさかパッポン通りとナナプラザでだけ会話が通じればそれでいいなんて思っていないでしょうねそこのおじさん。
東欧の先生は英語が上手過ぎて聞き取りにくいが、しかしそれこそが英語学習者として学ぶべき本来の英語なのである。だから、私は同じくらいの評価だったら、東欧の先生を優先して選ぶようにしている。

ただし、東欧の先生は、静かがちである。
みんな、おとなしいのだ。特に男性。シャイな人が多く感じるし、我々から見てボスニア・ヘルツェゴビナが遠い国であるようにボスニア・ヘルツェゴビナの先生からしたら日本人は遙か遠い存在なので、あまり話が弾まないがちだ。

フィリピンの先生は英語が理解しやすく、陽気に話しかけてくれがち。一方、東欧の先生は英語が流暢で聞き取りが難しく、しかもあんまり話さないがち
だから余計にフィリピンの先生の授業はハードルが低く、東欧の先生のレッスンは覚悟がいるのだが、トレーニングというのはなんでも同じ、「負荷が強い方が成長する」のだ。
それを踏まえると、「英語の上達を最優先したい場合は東欧の先生」で、「楽しい授業を優先したい場合」はフィリピンの先生、という選択基準が成立すると思う。

もちろん全体の傾向に当てはまらない先生はたくさんいる。
セルビアの先生でもめちゃくちゃ陽気でよく喋って、先生の一人語りをひたすら聞かされてレッスンが終わるというようなパターンもある。
俺はあんたの演説を聴くために受講料払ってんじゃねーぞー(泣)! 金返せー(涙)!と、叫びたくなるような。ほとんどなに言ってるかもわからない演説を25分聞かされた時の、時間を損した感。そういうレッスンを受けたら私は悔しくて終了後にさめざめと泣く。
また、フィリピンの先生でもよく沈黙が漂う陰気な人もいるし、欧米帰りだったり外資系企業で長く働いていたりで「発音が完全にネイティブ」という人もいる。そういう先生は私はお気に入りに入れて、優先して受講している。
なので、無数の例外はある。
ただおおまかにくくると、今回書いたような傾向はたしかにあると私は感じているのだ。
これは別に「国籍で人を差別している」というような、モラルに反する選び方ではないと私は思うのだがどうだろうか?


なお、もう少しぶっちゃけると、私は美人の先生がいるとつい選んでしまうという癖もある。
外見が好みの女教師(にょきょうし)さんがいると、国籍も評価も一切目に入らず私は直情的に激マブ先生(げきまぶせんせい)を選択してしまう。

………これは、モラルに反する選び方だと思う。

そんな選び方はしちゃダメよ。スケベこそ最強のモチベーションである!! 3、2、1、ハッスルハッスル!!!

That's it.



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