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仁和寺前ホテル建設に住民は反対していない件〜「市民」の意見は「住民」のより優先されるべきなのか〜

この記事は以下の3部作の第1部です。

1. 仁和寺前ホテル建設に住民は反対していない件〜「市民」の意見は「住民」のより優先されるべきなのか〜

2. 景観問題としての仁和寺門前ホテル建設〜象徴化・拡張化された受苦圏〜(仁和寺門前ホテル建設問題その2)

3. 世界遺産バッファゾーンの議論における仁和寺門前ホテル建設の位置付け〜京都弁護士会「意見書」の批判的考察〜(仁和寺門前ホテル建設問題その3)※有料箇所あり

静観していたけどだんだん状況が怪しくなってきたので。こんなところに書いても誰にも読んでもらえないとは思うのですが、居ても立っても居られず、書きました。

仁和寺門前にホテルが建設される件については、マスコミやその他の団体が発信している情報に偏りがあり、とても気になっています。以前から京都の「景観問題」は住民置き去りで外野の声が大きく、そうした構造が今回のこのホテル建設の件でも地域コミュニティにとってあまり好ましくない状況を生んでいると私は考えています。

本記事のタイトルに、ホテル建設に「住民は反対していない」と書きました。にもかからず、その上の写真にはでかでかと「建設反対」と書かれたのぼりが仁和寺の前に揚がっています。なぜ?実はこれ、2015年に起きた、仁和寺前の空き地にガソリンスタンドとコンビニが建設されるのに対し、住民の人たちがその安全性や景観、夜間営業などを問題視して起きた反対運動のものなのです(2015年11月著者撮影)。

住民たちの運動の結果、ガソリンスタンドは結局、話は立ち切れになりました。その後、事業者が変わる中で、建設計画もドラッグストアやホテルと変化し、その都度、それに住民は対応してきました。そしてその結果、住民たちは2016年に「仁和寺門前まちづくり協議会」をつくったのでした。

まちづくり協議会は正確には「地域景観づくり協議会」と言って、京都市市街地景観整備条例にもとづく京都独自の、しかし公的な住民組織です。仁和寺門前の他には、たとえば嵐山や祇園新橋、先斗町、清水寺前の一念坂二寧坂などで住民が組織し、建築や屋外広告物の規制に対して、近隣住民の意見を反映させています。

そして新たに起きたホテル建設についても住民が組織したこのまちづくり協議会が、住民生活や、世界遺産バッファーゾーンとしての安全や景観を妨げないものをということで、数年間に渡って事業者と粘り強く交渉し、合意にこぎつけたものです。今回、仁和寺門前の高級ホテル建設に際しては、まちづくり協議会は相当厳しい注文をつけています。

それは、よくまあ業者が受け入れたと思うような細かなものです。たとえば渋滞しないようエントランスの間取りを変えてほしい。仁和寺からの景観を損なわないよう低層にしてほしい。夜間に客室の光が住宅街に漏れないようにしてほしい。レストランは宿泊者しか使えなくしてほしい。などなど。

下手すればホテル営業の利益にも関わる注文なのに、住民の声に向き合う、この間の事業者の真摯な対応姿勢は、本当に敬意を表するに値するものです。

ところが2019年夏に建設計画が新聞記事となってから、建設予定地周辺よりもやや遠くの地域の住民から「聞いていない」という声が上がりました。もちろん、その人たちの声はもっともですし、関係者はその不安を取り除くために丁寧に情報提供を行うべきです。しかしそれに対してある政党が「政治争点化」し、あたかも正当性はその反対住民の人たちにあるかのようにアピールし、ホテルは悪と決めつけるようになってしまいました。

その後、このように政治争点化されて一種のシンボリックな京都の景観保護運動のようにもなってしまった仁和寺前ホテル建設反対の「市民運動」には、多くの外部の団体や個人ーーそこには著名人・有識者もーーが参加するようになり、今に至っています。そこでは意識的にか無意識にかはわかりませんが、結果として地道な努力を重ねてきたホテル建設地周辺の住民の人たちの苦労をまったく無視したかたちになっているというのが私の見方です。

これは私も経験してきたことですが、こういう外部からの(たとえ善意であっても一方的な)介入があると、地域コミュニティには諍いと徒労感、結果として住民の間で断絶が深まる可能性が高いです。

この地域で、結果としてホテル建設が頓挫したらどうなるでしょうか。そこに住んではいない反対派の人たちは「やったぞ」と喜んで終わりになるでしょう。しかしそこに住み続ける住民の人たちにとってはどうでしょうか。ここのホテル建設予定地は私有地ですから、ホテル建設予定が中止になれば、まちづくり協議会はまたそのゆくえについて一から新たな業者などとやりとりをする必要が出てきます。外部から大きな声で「問題」を取り上げていた人たちは、その後の地域の諸々のケアまで責任を取ってくれるわけではないでしょう。

それは地域に住み続ける人の問題だから仕方ない、と言われればそれまでかもしれません。しかし、なぜ外部の人たちが社会運動(あるいは政治運動)をした「成果」の責任・後始末を、それまで草の根で地道に身近な環境整備に取り組んでいた住民の人たちがそれをダメにされてまで、負わなければならないのでしょうか。

地域の問題というのは簡単にYES/NOと言える事ばかりではありません。それでも「住み続ける」ために、多様な意見がある人たちの中で妥協できる点を探り、またどうしても譲れないことは必死に解決策を探っていく作業が時に必要になります。それが住み続ける「覚悟」です。嫌なら引っ越せばいい、などと簡単に外部の者が言えることではないと思います。

仁和寺門前の住民たちにとって、ホテルがダメだったら次はどんな業者がどんな建物案を持ってくるかわからないし、その業者が住民の声をきちんと聞いてくれるかもわからない。だったらそれならばというギリギリの判断の中でホテル建設を容認し、そして地域にとってより良いホテルにしてもらえるよう、ずっと交渉を重ねてきたのです。

まとめると、仁和寺門前の地域住民の人たちは、組織化までしてホテル建設について粘り強く業者や行政と交渉してきていて、それは簡単にYESを出したわけではありません。しかし何が何でも「反対」しているわけではありません。地域に住み続ける覚悟を持って、ホテル建設に向き合っているのです。

にも関わらずこの間、マスコミ等での情報があまりに一方的なイメージを伝えているので、残念に思っています。さらには芸能人や有識者も、この反対運動に賛同するようになってきています。問題が大きくなりすぎではないかと危惧しています。

私は自分自身が完全なるこの地域の人たちの代弁者であるとは思っていません。もちろん仁和寺門前地域の中でも様々意見があるかと思います。ただ、この問題に覚悟を持って地道に粘り強く取り組んできた住民の方達がいることを、一人でも多くの方に知っていただきたいと思っています。

読んでいただいて、やっぱり自分はホテル建設反対だ、と思われても構いません。こういう経緯が地域コミュニティにはあるのだ、ということを知っていただくだけでも、反対側の運動に変化が起きるのではないかと期待しています。

また私も研究者なので、この問題についてはきちんと研究として掘り下げたいと考えています。たとえば本記事の副題にも関わるのですが、社会学では「市民運動」と「住民運動」との関わりについての議論があります。この議論枠組みを今回の問題を例にしながら、深めて考察できないものとかと検討しています。それを簡単に書いた文章を以下、facebookに去年の12月に投稿した内容ですが、参考までに、転載します。

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ある地域のエピソード。地域でのホテル建設に対して、住民が組織化して、業者・行政と粘り強く交渉を重ねてきたのに、特定の政党と結びついた地域外の「市民」たちが反対運動を突然開始した。

地域での合意形成のプロセスを無視し、住民へアンケートをとり(どんな方法・文面だったのか不明)反対多数という報告を勝手に市に行なった。住民間の信頼も崩れ大混乱。さらには合意プロセスを無視し、特定の政党が国土交通大臣にまで文書を提出。市も認可には及び腰になっている。

「市民」は「住民」よりもそんなに偉いのか、と思ってしまう。

こうした考え方の参考になる論文を見つけた。道場(2006)は、日本の社会運動史を検討し、1960年代から70年代にかけての社会運動「前史」を、段階論で解釈している人々が存在していたが、それは誤りであると述べる。
(道場親信「1960-70 年代 「市民運動」「住民運動」 の歴史的位置」社会学評論, 2006)

その解釈例の一つとして、道場は、飛鳥田横浜革新市政のブレー ンとして行政の現場を担当した鳴海正泰のものをあげている。鳴海は、住民運動を次のような段階的発展を目指すべきものとして定式化した。

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第1段階:住民の段階。地域エゴによる権利主張型・抵抗権型運動
第2段階:市民の段階。エゴイズムの主体的克服、近代的市民とし ての自己教育・自己規律の創造
第3段階:国民の段階。単なるナショナリズムではなくコスモポリティズムへの止揚(鳴海1972:85)
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(鳴海正泰,1972,『都市変革の思想と方法』れんが書房.)

すなわち、地域エゴによる運動よりも、場の論理にとらわれない「市民」の「主体的な参加」のほうが程度が高く、より公共性・正当性をもっているという考え方であると言えるだろう。

ちなみにこの段階論的発想の前提となる思想を提供しているのが、松下圭一である。松下は自治体政策において、「市民の論理」に基づく政策公準の設定とこれに基づく政治選択の必要性を提起した(松下1971:168)。
(松下圭一, 1971,『都市政策を考える』岩波書店.)

しかし道場は、この住民運動の「エゴ」こそが、公共性を標榜する公権力が「地域」や「個人」から自己決定権を奪うことへの抵抗として、決定的に重要なのではないか、と結論づけているのである。

この提起は、市民運動が必ずしも住民運動よりも正当性を持ち得「ない」という発想を支持するものになり得る。ただし、道場の議論では、住民と市民とが異なる利害・方向性を持つことによる問題までは言及されていない。

冒頭のホテル建設の事例の話に戻ろう。もしもこの反対運動が成功したとして、地域に残るのは何か。住民間の無力感、次に何が建つかわからないままの空き地。次に建つものに対して責任を持つのは、「市民」ではなく「住民」だが、それがより「よい」施設となるかどうかは誰にもわからない。

地域外の、主体的参加によって運動をした「市民」が得た勝利の代償は、その地域に住み続けねばならない住民が払い続けることになる。

住民運動と市民運動の相克。これは日本的な問題なのかどうか。国際学会で報告してみたら面白い議論ができるのではないかと考えている。

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この記事は以下の3部作の第1部です。

1. 仁和寺前ホテル建設に住民は反対していない件〜「市民」の意見は「住民」のより優先されるべきなのか〜

2. 景観問題としての仁和寺門前ホテル建設〜象徴化・拡張化された受苦圏〜(仁和寺門前ホテル建設問題その2)

3. 世界遺産バッファゾーンの議論における仁和寺門前ホテル建設の位置付け〜京都弁護士会「意見書」の批判的考察〜(仁和寺門前ホテル建設問題その3)※有料箇所あり


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