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お洒落系の考察と、V系シーンにおける洋楽コンプレックスからの脱却について

お洒落系とは、2001年に結成したバロックが発端となって、2002年頃からV系シーンにおいて流行したサブジャンル。
90年代V系という言葉が一般化したのも、コテコテ系へのカウンターカルチャーであるお洒落系がゼロ年代のV系シーンの象徴と言えるぐらいのムーブメントを巻き起こしたから、とも捉えることができるだろう。
今回は、お洒落系の特徴を、3つの観点から分析していく。


はじめにカラフルなファッションだ。
それまでのV系は、カジュアル化したバンドを除けば、黒を基調としてダークでゴシックな雰囲気を演出するか、白を基調として神秘性や宗教観を演出するかに分別できていた。
その中に登場したのがバロックで、彼らは暖色系の色味を取り入れ、カラフル化の先駆けになったほか、フロントマンである怜が髭をたくわえ、V系シーンではご法度であったラフなファッションを解禁するなど、賛否両論を巻き起こした。(厳密に言えば、MALICE MIZERのBa.YU~KIら、髭がトレードマークのバンドマンも存在していたが、世界観の一部として捉えられていた側面が大きく、バロックのインパクトを緩和するものではなかった。)

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ファッション面でお洒落系のパブリックイメージを確立したのは、アンティック-珈琲店-だろう。
彼らの登場は2003年とバロックがブレイクを果たした後であり、既にカラフルでポップなバンドは増えていたのだが、2005年にリリースした3枚のシングルに"原宿参部作"と副題を打ったことで、お洒落系=原宿系の定義付けがなされることとなった。
ファッション目線での定義が加わったことで、それまでは同一カテゴリだったお洒落系とコテオサ系が実質的に分離することになったという意味でも、後発だからといって彼らの存在は無視できない。


次に、サウンド面だ。
バロックとともに浸透したのは、カラフルなファッションだけではなく、シャッフルリズムを使ったジャズ風の音楽性だろう。
ツタツタ発狂系の暴れ曲一辺倒だったシーンにおいて、大人びたジャジーテイストがいかにもお洒落に映ったことから、お洒落系と呼ばれるようになった理由のひとつにもなっている。
当時は、どのバンドもひとつはシャッフル曲があるというぐらいの一大ブームであった。

一方で、必ずしもシャッフルリズムがお洒落系の定義というわけではない。
ぐりむ、みるふぃねといったわかりやすくポップなバンドもあれば、アヤビエや少女-ロリヰタ-23区といったメルヘンな世界観を持つバンドも、ホタルやギフトといった昭和歌謡をベースにした哀愁系バンドも、大枠としてはお洒落系に括られていた(時代によって解釈が揺れることは付け加えておく)。
この辺りは、バロックが早々とお洒落系を捨てたことと、御三家の影響力が強かった環境要因があるだろう。

まず、バロックが純粋にお洒落系の音楽を体現しているのは、「東京ストリッパー」のみである。
その前のデモテープ「否定デリカシー」は、前身バンドの音楽性が色濃く残っており、次に出す「スケベボウイ」では、既に新たな路線を見つけようとしている。
そのため、バロックはお洒落系の祖とされながら、バロックの音楽=お洒落系という図式になることはなく、シャッフルリズムだけが大拡散した。

結果として、従来のヘドバン、逆ダイ、旧式手扇子といったシンプルなノリ方では対応しきれなくなったことから、新たなフリが誕生。
目新しいフリの新鮮さが先立って、こちらがお洒落系の象徴としてサウンドと結びつくことになった。
それまでの突き放したようなステージングから、オーディエンスと一緒にフリを楽しむ方向に、音楽性がカスタマイズされていくのである。

また、1999年に現体制となったムック、同じく1999年に結成した蜉蝣、少し遅れて2001年に結成したメリーの御三家が、この時代のシーンにて猛威を振るっていた。
彼らの奏でる音楽は、いずれも90年代コテコテ系のスタンダードからは一線を画すもので、多くのフォロワーを生んだのだが、まだまだサブジャンルが細分化されていなかった時代。
王道ではない異質な音楽を奏でる御三家のフォロワーバンド群は、すべてお洒落系として取り込まれてしまったのだ。
朱に交われば赤くなる、ということでもないのだが、当然、同じ括りの中で新陳代謝を繰り返していけばハイブリッドが生まれることも必然で、それぞれの音楽性を活かしたままノリだけが同じベクトルに向かっていくという流れが出来上がり、非常に音楽的な幅の広いサブジャンルを形成することになったと言えるだろう。
近年、お洒落系は絶滅危惧種だと言われて久しいが、お洒落系特有の音楽性というのはもともと明確に存在しないため、お洒落系と呼ばれていたものが細分化され、それぞれのサブジャンルとして成熟したというほうが適切であると考えている。


最後に、歌詞について。
”歌われない"歌詞が登場したり、歌詞カードに書いている言葉と歌っている言葉が一致しないなんてギミックが一般化した。
これは、ステージングにおける突き放すスタイルから、全員で盛り上がるスタイルへの移行と切っても切り離せない関係性ではあるのだが、耽美的な言葉を並べて非現実的な世界観を作り上げることから、身近なテーマを取り扱って、共感や共鳴の意識を高めることへ、歌詞の持つ役割が変わっていたことを示す。
言ってしまえば、真意が伝わらなくても勝手にリスナーがあれこれと解釈して世界観を作り上げてくれた90年代の終焉であり、近年のメンヘラ系ブームにも繋がる共感力の時代が到来したのだ。
歌い切るのは不可能だけれど、歌詞カードには背景も含めて全部書いておいたほうがベター。
表現の部分でも、非現実的なシャウトや幻想的な語りは減り、ダミ声で気持ち悪さを演出したり、台詞や寸劇で登場人物が身近に感じられるような工夫が増えた。
お洒落系の定義において、あまり語られることはないが、実は、この歌詞に求められるものの変化こそが、お洒落系におけるブレイクスルーだったと個人的には評価している部分だったりする。


以上がお洒落系を定義づけるものという認識なのだが、90年代コテコテ系を支えてきたリスナーからの評判は、すこぶる悪かった。
ヴィジュアル系は終わった、お洒落系がシーンを駄目にした、そんな声も多く上がっていたのは事実として受け止めざるを得ない。
これには、単に変化を嫌う保守的なリスナーによる、新進気鋭のムーブメントを受け入れないお局的発想による拒否反応だと切り捨てるわけにはいかない、根本的な断絶がある。

ゴシック的な様式美や、キリスト教的な宗教観から、原宿系のファッションへ。
耽美的なメタル、ハードロックから、J-POP的なキャッチーさや昭和レトロ感のある哀愁を求めるサウンドへ。
聖書の日本語訳のような小難しい言葉遣いから、身近な台詞調へ。
要するに、お洒落系とは、ヴィジュアル系から洋楽的なもの(雑な言い方になってしまうが、便宜上そう表現する)を取り除くアプローチと言える。

対して、90年代V系のリスナーは、洋楽的なものを求めてV系を聴いてきたという歴史があった。
L'Arc~en~Cielのポップジャム騒動は有名すぎるし、最近ではSUGIZOがヴィジュアル系と呼ばれることへの嫌悪感があったと語るインタビューが話題になったが、彼らのルーツは洋楽にあり、後から名前がついたヴィジュアル系というジャンルは、"見た目だけの音楽"、"女子供の音楽"という蔑称としての意味合いが強かった。
彼らがそれでもこのシーンを支えてきたのは、鎖国的に発展したJ-POP市場において、唯一洋楽的なものを日本において昇華しようというイデオロギーがあると信じていたからだ。
好きなバンドがSEに使っている洋楽アーティストのCDを買ってみたり、ルーツとなっているバンドを遡って聴いてみたりと、V系こそが国内シーンにおける拠り所だった彼らにとって、若者が内側からそれを壊そうとしているのだから、そりゃ我慢ならないってのも頷ける。

ただし、PIERROTが洋楽ファン中心のフェスに出演した際、Vo.キリトが「僕らがあなたたちの大嫌いな日本のヴィジュアル系バンドです。」と挨拶したことからもわかるとおり、大多数の洋楽ファンからは見向きもされていなかったのも実態で、ジャンルとしてのアイデンティティの形成とともに、肥大化した洋楽コンプレックスは限界も迎えていた。
加えて、V系バブルによって、J-POPの延長線上としてV系を聴き始めた世代が大量に流入したのも、シーンの変化を後押しした。
彼らは、斬新なもの、新しいものをV系の醍醐味として捉えるうえ、J-POPへの愛着も深く、比較的お洒落系への抵抗は少なかったことから、明確な世代交代が起こることになる。
批判が多かったわりには、どうしてお洒落系は天下を取れたのだろう、という裏側には、こんな背景があったのだ。

こうした経緯を振り返ると、より身近なものへと向かうお洒落系のカウンターカルチャーが、日本的なアレンジやアニメとのクロスオーバーによって、海外にも広がる文化になっていったことは皮肉だなと思わないでもない。
上手く出来ているなと思うのは、今度はお洒落系文化へのカウンターとして、ゼロ年代の後半からは硬派なラウド系ブームが到来し、洋楽を求めるリスナー層もなんだかんだで共存していたりすることだ。
とにもかくにも、今流行っていないからといって下に見られがちなお洒落系だけれど、このムーブメントがなければ、おそらく洋楽離れとバブル崩壊のダブルパンチで、シーンはとっくに衰退していただろう。
90年代のレジェンドばかりが取りだたされがちだが、V系氷河期と言われた時代に洋楽コンプレックスを脱却し、クールジャパンの文化の礎になった彼らの挑戦は、正しく伝えてやりたいと思っている。

なお、あまり功労者として名前が挙がることはないのだが、お洒落系が浸透するまでの過渡期において、しゃるろっとの功績を再評価しておきたい。
彼らは音楽的にはコテコテ系のそれとほとんど同じアプローチを用いつつ、世界観だけお洒落系仕様にすることで、多くのコテコテファンにお洒落耐性を植え付けた影の立役者。
お洒落系は苦手だけど、しゃるろっとだけは聴いている、というリスナーが当時はかなり多かったのだ。
パイオニアとしての実績に欠けるため、なかなかV系史の中で語られる機会に恵まれないが、ときおり思い出してほしいバンドである。

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