見出し画像

魔法の大丈夫 白石夫婦

昔、白石夫妻という、ご夫婦で入居されていた方がいらっしゃった。
奥さんをチヨさん、旦那さんをトシオさんといった。

トシオさんは地蔵のように寡黙だったが、素直で、物分かりもよく、手のかからない方だった。
チヨさんの方は、これがなかなか大変な方で、とにかくすっごくネガティブで、一言でいってしまえばメンヘラであった。夜な夜な


「ああああー、怖い。怖いの。ねえ!ねえねえ!そこにいる人、ねえ怖いの!」


とベッドで言い出すことが多々あった。事務作業していた自分が心配して、駆け寄っていって

「どうしました? なにが怖いのですか?」

と訊くとチヨさんは。


「分からないっ!!怖いの!!」


とヘイポーさんみたいなことを叫んだ。

そのままチヨさんは涙を浮かべてわらわらと手を差し出すので、自分はその手をがっしり握って

「何も怖くないですよ!僕がいますから!安心してください。にっこり(笑顔)」

なんて男らしい感じでやるのだが、彼女はその顔をしばらく見つめると


「…………こ、怖いっ!怖い!」


と再び絶叫した。
とびきりの笑顔を否定されたようで凹んでいる自分に、さらに怖い、助けて系の台詞を畳みかけて連呼する。そのうち

「なんださっきからー?!どうしたぁー?」

「うるさいわねぇ!眠れないもう!!」

なんて他の利用者さんまで続々と目を覚ましてきて、深夜の介護施設はトイ・ストーリーのようなことになり
「ごめんなさい、何でもないっす!ほらほら寝てください」
とか言いまわっていると背後から


「怖いっー!助けてっつ!!」


なんてまたチヨさんが叫ぶので、ダメだこりゃ、つってCMにいってほしい気分になった。


その間、旦那様のトシオさんはどうしてるかというと
一切それに気がつくことなく、すやすや寝息を立てているのが常だった。寝息まで静かな方だった。

――朝になるとチヨさんは昨日のヒステリック系から一転、ダウナー系になっている。

ベッドから起きてもらってトシオさんの車椅子の隣に、チヨさんの車椅子を仲良く並べる。自分が朝食の準備なんかをしてると、チヨさんがトシオさんにひそひそ話しているのがいつも聞こえてきた。

「ねえ、不安なの。昨日の夜も怖くてね、ぜんぜん眠れなくてね。すごく怖いの。毎日が本当に不安なの。もうこの先どうなるのか怖くて不安でね。とにかく怖いの、」

と似たような文言を小声でつらつらおっしゃる。
すべてを聞き終わって、無口のトシオさんがなんて言うのだろう?と聞き耳を立てていると


「……だーいじょーぶ」


と一言いった。


………。

なんというざっくりしたフォローだろうか。


だがこれが不思議なもので
昨晩どれだけ自分が慰めても収まることがなかったチヨさんが、なんか、

すん

とした乙女な顔になり、


「………大丈夫かしらぁ……?」


と確認するようにもう一度トシオさんに返す。すると念を押すようにトシオさんは言った。


「だーいじょーぶ」


声のトーン。大きさ。間の取り方。さきほどと寸分も変わりもない。
そう言われるとチヨさんは
「…………んん……」
と少しだけ唸って、それきり大人しくなってしまう。

なんかすげえ。

と自分は思った。


お二人はけっこう長いこと施設にいらっしゃったのだが、

このやり取りを何度見たことか分からない。

驚くのがどれだけ思い返してみても、チヨさんに対するトシオさんの返しは必ず

「だーいじょーぶ」

のみの一点突破。
一日中ご夫婦で隣通しでいるが、これ以外の会話をついぞ見たことない。
というか、なんならトシオさんが「大丈夫」以外の言葉を発しているのを訊いたことがない。
それほど無口な人であった。
チヨさんがワーーーと訴える。トシオさんが「だーいじょーぶ」と言う。
という定型化された会話は、施設ではすっかり馴染みの光景だった。
この光景を見続けるうちに自分は


これは夫婦の会話の究極系なんじゃないか?


と思うようになった。

白石夫婦は当時どちらも90歳前後。
結婚しておそらく50年、60年は経っていたろう。
長年一緒にいれば会話も減っていくのだろうが、最期に残ったお二人のこのやり取りから、
自分は若かりし日の白石夫妻を見た。

こっからはすべて想像だけれども……

このチヨさんというお婆さまは、
きっと昔からこんな感じの、思ってることをバー―っと口にするような、なんかそういうタイプの女子だったの思うのである。
マシンガン系の? 話をとにかく聞いてほしい系の? いるよね? そういう子。ずーっと喋ってる子。
おまえ森喜朗かとか責めないほしいのだけど、とにかくそんな感じの女性だったと推測できる。

さてそんなチヨさんの生涯のパートナーとなったトシオさん。

彼は大変に聞き上手な男であった(推測)

デートで待ち合わせ場所に来るやいなや、チヨが青年トシオに言う。

「昨日さー、マジやなことあってさ、ブルー通り越してもうネイビーなんだけどー、なになにちゃんがさー、何様なんですか? みたいなこと言ってきてー、マジなんなのこいつって思ってー、ほらトシオも一回あったことないっけ? なになに君ているじゃん? そのなになに君の地元の友達なんだけど、バイト中休憩よく一緒になってさ、あ、違う違う違うその前にさ、あたしあの子にアイス奢ったんだ一回、なのにマジありえないんだけどさ」

みたいな話を

うん、へえー、それはひどいねー、それは最低だねー 

などの台詞を巧みに使い分ける、THE彼氏トシオ。
そのワードの中に頻繁に登場する言葉。そう。
それこそが

『だーいじょーぶ』

だったのではないだろか。
悩み、不安、ストレスを陳列するチヨさんは、別に具体的な解決策やアドバイスを求めてるわけではない。最後に魔法の一言
「だーいじょーぶ」をくれれば、それが彼女にとっての薬だった(推測)

10年、20年、30年、40年……
長い夫婦生活。
いろんなことがあったろう。喧嘩もしたろう。仲直りもしたろう。
子供が生まれて。成人して結婚して。定年して。孫生まれて(推測)
どれだけ環境が変化しても、何十年とトシオはチヨをなぐさめ続けた。
その内、相槌の言葉は洗練され、どんどん簡略化されていき、トシオのチヨなぐさめ術は

『だーいじょーぶ』

の一撃でしとめる達人の域へ達した。
なんなら話の内容はもう聞いていない。うちのかーちゃんはパーパーパーパーうるせえなぁって思いつつ最後に「大丈夫」と魔法をかければよい。
根拠なんかなくてよい。


―――と、

いうのはすべて自分の妄想であるが、そう思うと、とにかくこの車椅子の老夫婦の
「だーいじょーぶ」
の光景が、とんでもなくすばらしい光景に見えてきた。素敵やん。と思った。


旦那が大丈夫といえば、とにかくもうそれは大丈夫なのだ。


――そんなある時。

チヨさんの方が体を悪くし、病院に運ばれてしまった。


トシオさんは急に一人になった。


めっきりトシオさんの声を聴かなくなってしまった。なんせチヨさんに「だーいじょーぶ」としか言わない方であった。

職員がみな覚悟していたところへ、数週間後に訃報が来た。

ある日、夜勤に入ると交代のスタッフさんにそれを訊かされた。
何度経験してもあれはなんともいえない気分になる。

「………葬儀とかは……?」

「……ああ。それはもう済んでて。トシオさんも車椅子で一応参加したみたいなんだけどさ」

と言って交代のスタッフさんはトシオさんに目をやった。いつもの場所で車椅子で座っているトシオさんの姿が見えた。

「チヨさんの事は………分かってるんですかね……?」

「どうだろうね。たぶん分かってないと思うんだけど」

トシオさんの認知症の程度から察するにそうだと思った。

「まあどうにしろ、トシオさんの前でチヨさんの事は触れないでおいてあげて。皆でそうしようって事になったから。よろしく」

「分かりました」

交代のスタッフの方が帰り、自分はトシオさんに近寄っていって言った。


「トシオさんそろそろ寝ましょうか?」


いつものようにトシオさんはやっぱり無言であったが、小さくコクリと頷いた。

車椅子をベットの方まで押すときに、
心なしかトシオさんの背中ががっくりと寂しそうに見えた。
なんとなく、トシオさんもちゃんと分かってるんじゃないかなぁ、と自分は思った。
こっちの勝手な主観だったかもしれないけども。

それからほどなくして、トシオさんも体調を崩され、自宅療養に入ることになった。

後日

チエさんの後を追うように。――という表現は月並みだけれど、
本当にそんな風にトシオさんも亡くなられたと訊いた。


「だーいじょーぶ」


と天国でもチエさんたくさん言ってあげてください。――という表現は月並みだけれど、本当にそんな風に思った。

素敵な夫婦だった。


               ※登場する方の名前はすべて仮名です。

フォロー歓迎、サポートは狂喜乱舞。公共料金とか払います。