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冬が忙しい

2022年がもうすぐ終わり!?

 同僚のHさんが職場のカレンダーを見ながら、もう2022年も終わりですね〜なんて言うので、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになってしまった。え?この間歯が折れるほどカチコチに冷やしたアイスを食べながら「クーラーの効いた部屋で食べるアイス最高ー!」とか言っていたのに?もう12月?しかもあと2週間ほどで2023年?脳の処理が追いつかず、軽くパニック状態である。
 歳をとるごとに、年々時の流れを早く感じるようになっている気がする。というか、年々こぼれ落ちる記憶の数が多くなっていっている気がする。お正月にはおせちを食べつつゴロゴロして、節分には豆を撒きつつ豆を食べ、花見をしては団子を食べ、夏が来たといってアイスを食べて、食欲の秋が来たといって蒸した芋を食べた記憶はしっかり残っているのだが、その他の細々とした日々のあれこれ(主に仕事のことなど)は脳の中で無かったことになっている。きっと、私の頭の中にある365個の思い出を収める引き出しのうち、埋まっているのはほんの少しなのだろう。思い出せるのはきっとそのうちの幾つかだけだから、体感として1年は30日ぐらいの感じである。
 残りの日数を指折り数えているHさんを横目で見つつ、兎にも角にも、急いで年末年始の準備をせねばと焦る私である。

年末年始の準備リストアップ

 京都にある私の実家はやたらと行事ごとの多い家だった。母方の家が古くから続く…といった血筋だったので、家を出るまでは、あれを出してはこれをしまい、あれを買ってはこれを作って…と年がら年中やたらと慌ただしい日々を過ごした。そういう環境で育ったせいか、行事ごとが近づくと落ち着かなくなってくる。現在私は東京に住んでいて京都からも実家からも離れているので、別に行事をひとつふたつ行わなかったとしても怒られることはないのだが、いまだに律儀に行事ごとを自らすすんで行なっているのは何なのだろうか。自分でもよくわからない感情だが、とにかく「やらないと気持ち悪い」のである。

 とりあえずケータイのappを立ち上げてToDoを記入していく。

  • 年賀状の発送(作成済み=>12/24までに!)

  • 大掃除用の道具購入

  • 大掃除の実施(2日間に分けて)

  • おせちの材料購入

  • おせち作り

  • 正月用の食器の選定、準備

  • 冬至の準備

  • 鰊の甘露煮の発注

  • 正月用花の発注

  • 丸餅の購入

  • 大福茶、花びら餅の準備

  • 干支のお飾りの購入・設置

  • 鏡餅、ほしつき設置

  • お正月用の着物を出す

  • クローゼットを整理し、不要な洋服は処分

  • パントリーの在庫管理

  • ご挨拶まわり

と、途中まで書いて気分が悪くなってきたが、これらをあと2週間でやらなければならないのである。一人で。仕事の合間を縫って。想像しただけで吐きそうである。いや、やること自体はおそらくどこのご家庭でもやっていることだと思うので、特段我が家だけやることの量が多いというわけではないのだが、問題は「仕事の合間を縫って」の部分である。

 私は20歳前後の学生を対象とした教育機関に勤めているのだけれど(お察し下さい)、この時期は試験期間&年末までに終わらせなければならない会議が激詰め、学生指導、自身の論文執筆、学会大会登録用の要旨作成、挨拶回り、出張、講演…とやること山盛りである。とても家のことなど十分にできる余裕はない。趣味ですらセーブしている状況である。でも…でもである。行事ごとはやらないと何か気持ちが悪い。昔からやってきたことを自分の都合だけでやめてしまっても良いのか?そう思うと罪悪感すら感じる。こうやって毎年、今年こそこの行事はしなくても良いのでは?と思いながらも「いや…でも…なんか気持ち悪いし…」と、ずるずる続けているわけである。

お正月必需品を手に入れろ

 まあ、ずるずるし続けるのは別に良いのだ。苦労するのは私一人だし、段取りをミスったとしても被害を被るのもやっぱり私一人なのだ。ただ、どうしても面倒なことが一つだけある。それが、「材料集め」である。東京という大都会に住み、これだけオンライン通販が全国で用意されている状況で一体何を言っているんだ?と思われるかもしれないが、まーこの材料集めが手間で面倒臭いのである。

お雑煮の白味噌

 例えば、我が家はお雑煮用の白味噌といえば、八百三さんの白味噌である。

八百三さんの白味噌に丸餅、大根、金時人参、里芋を入れ、鰹節を振りかける。これが最高なのである。

我が家のお雑煮

 八百三さんは柚子味噌が有名だが、実は白味噌もべらぼうに美味しい。ただ、八百三さんはオンライン通販をやっておらず、今も昔も直接お店に行くか、電話での注文のみ。東京にいる以上直接お店にお伺いするのは難しいので電話をすることになるのだが、電話が苦手な私にとって「電話で注文する」というのがハードルを上げている。あー東京にもお店があれば…と自分勝手な我儘を思うこともあるが、こればかりは仕方がない。なので、気合を入れて毎年電話をすることになる。

↑今年も無事にゲットしました。

年越しそばの鰊

 次に、年越しのそば。我が家で年越しそばといえば鰊そばである。あつあつのおそばに大根おろしと小ネギ、そして鰊の甘露煮をそっと乗せる。ただそれだけの手間のかからない簡単料理なのだが、ここでもやはり立ち塞がるのが材料集めの面倒くささである。そばも大根もネギも近くのスーパーで売っている。ただ、鰊の甘露煮が全然売っていないのである。確かにオンライン検索すると鰊の甘露煮はたくさん出てくる。問題は送料である。一袋300円前後の商品に対して送料1000円…。いくらなんでも気軽にポチッとはできない金額である。なので近所のスーパーを巡ることになるのだが、関東の年越しそばではニシンを使わないため、全くお店に置いていない。

そのため、最近は運がいい年はニシンそば、運が悪い年は天ぷらそばにならざるを得ない。

鰊に出会えなかった年の年越しそば
鰊に出会えた年の年越しそば

毎年運に任せなければならない点がすでにストレスである。

大福茶

 京都ではお屠蘇はあまり見かけない(正確には、私の周りではであるが)。お屠蘇の代わりに飲むのは大福茶である。一年の無病息災を願い、元日の朝一番に汲んだ水を沸かしてお茶を淹れ、その中に梅干しと昆布を入れる。それを家族が集まった時にみんなで飲むのである。

我が家のおせちと大福茶(右下)

 京都では年末になると、お茶屋さんがそれぞれの大福茶をお店に並べる。また、スーパーでも普通に売っているので、気軽に手に入れられるが、やはりこれも東京のスーパーではなかなか見られない。そのため、最近ではお茶屋さんのオンラインストアから取り寄せている。ただ、季節物のため、購入のタイミングが悪ければ大福茶なしのお正月を送ることになる。

花びら餅

そういった意味では、花びら餅も早めの購入・予約が必要である。

お正月に食べた花びら餅

 花びら餅は京都ではお正月にたべる季節限定の和菓子である。甘く煮た牛蒡と白味噌餡がお餅で包まれている。これがとても美味しくて、私の一番の楽しみと言ってもいい。しかしこれも季節物であるが故にタイミングを逃すと、お気に入りのお店の花びら餅は食べられない。ちなみに、今年は甘春堂さんのものを注文した。

何でもある東京で京都らしいお正月を迎えること

 京都にいた時に私が東京に抱いていたイメージは、「なんでもある魔法の場所」であった。それが実際住んでみて思うのは、「東京には何でもあって何でもはない」のだなぁということである。
 お正月は生まれ育ったローカル性が強く出るイベントのひとつである。東京にはなんでもあるように見えるけれど、本当にローカルに根差したものを手に入れるのはなかなか難しい。あらかじめ必要なものをリストアップし、予約をし、計画を立てて買わなければならない。なので、生まれ育った文化を再現しようとすればするほど地方出身者の年末年始準備は慌ただしくなるのである。

 と、ここまでつらつら書いてきたが、もしかしなくてもこの記事を書く時間があったら、掃除の一つでも出来たのではないか?

 とりあえず、明日から準備頑張ります。