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新型コロナになりました(後編)

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「明日退院できるって」

午後一で夫にLINEでそう知らせたのに、夜になっても既読にならなかった。

何度電話しても、出ない。
病床の私は慌てた。夫は居職なのでそんなに長い間スマホを見ないわけがない。映画でも観に行っているのか。いや、まさかこの状況でさすがにそれはないだろう。

もしかしたら...と最悪の予感がふつふつと頭に浮かぶ。

私はナースコールを押し、看護師に相談した。

「すみません、あの、夫と連絡が取れないんですが」

夫が陰性だったのは私が入院した翌日のことだ。その時はホッとしたが、それから5日経っている。もしかしてその後発症したのか。身動きがとれない分、不安がむくむくと膨れ上がる。

「どなたか共通のお友達に様子を見に行ってもらっては?」
「いやカギがないと」
「ですね」
「あの私、もう元気になったんでちょっとだけ抜け出して見に行ってもいいですか?」
「ダメです!」

ああもう救急車呼んじゃって、ドアぶち壊して中に入ってもらおうか。

都会暮らしの悲しさで、こういうとき、ちゃんとしたコミュニティをつくっておかなかったことが心の底から悔やまれる。
横のつながりをつくること、おそらくこれは現代人がこれから生き延びていくための必須事項になってくるに違いない。

結局、いつもお世話になっている猫シッターさんに連絡をとってみようかと思いつき、その前に念のため、と普段はFAX受信にしか使っていない自宅の固定電話にかけてみた。

夫が出た。

「すみません、自室に携帯を置いたまま、夕食を買いに行ってました」


私が雷を落としたのは言うまでもない。
連絡がついた安心感もあり、私はひとしきりその無頓着ぶりに罵詈雑言を浴びせた後、電話を切った。

---

退院の日の朝は、同室の女性と一緒だった。

3日目に部屋を移動し、入院生活の後半に相部屋となったその女性は、双子の息子を持つ40代のシングルマザーだった。

なんでそれがわかったかというと、このひとが夜な夜な一晩中、ずーーーっとひとりごとを喋り続けていたからである。

心電図につながれ酸素吸入しながら、よくもこれだけ自分語りができるものだと感心するほど彼女は延々とひとりで喋り続けていた。大丈夫、うん、大丈夫、を合いの手のように入れながら、ここまでくるとほとんどお経である。私は布団をかぶってただ祈った。

ああ神様、私はどうして、すぐこういうのを引いちゃうんでしょう。


おかげで退院する頃にはすっかり双子の息子を持つシングルマザーについて語れるようになり、寝不足でフラフラになりながら、私はようやくタクシーに乗って家路に着いた。

自宅のドアを開けた瞬間、目の前をついと小バエが横切った。

「あ」

と思う間もなく、私は直感で悟っていた。

やられた。南無三。

果たしてリビングには、39度の熱を出した夫が横たわっていた。

目の前が真っ白になった。
この事態だけは、何としてでも避けたかったのに。

すぐにPCR検査を受けさせ、陽性判定が出たのが翌日夕方。正直言うと、この2日間のことがほとんど記憶にない。おぼろげに覚えているのは、この日が私の誕生日だったことと、保健所の人に向かって泣きながらそれを訴えていたことだ。

気づくと私はマンションの前に立ち、夫を入院先へ送り出していた。一体、いつ、どうやって保健所と折り合いをつけたのかわからない。とにかく、おそらくどうにかして数多のやりとりの末に受け入れ先が決まったのだろう。

私はそのまま家に入らず、いつしかフラフラと路上を歩き出していた。ずっと伏せっていたせいで、身体が地につかずフワフワする。

そうこうするうちに身に異変が起こった。

「ううううううう、ううううううう」

ビックリした。こういう時、ひとはこんな不思議な泣き声が出るのか。

腹の底から搾りでるような嗚咽とはまさにあれを言うのだろう。立ちくらみを起こして路上にしゃがみ込み、私は自分の中から湧き出た不思議な衝動にただただ素直に驚いていた。

そうか。そうなのか。

なんだかんだ言って結局、私ったらもっと生きたいのだ。
そして誰にも死んでほしくないのだ。
もう本当に、ただそれだけ。

出世なんかしなくたっていい。キラキラしてなくたって構わない。優秀だから、役に立つから生きていていい、なんてバカなことがあってたまるか。

みみずだって、おけらだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ。いや、無理して友達にまでならなくてもいいんだけど。

生きていれば。ただ生きてくれてさえいれば。

そうこうしている間に、携帯にはひっきりなしに着信が入る。

全部、何も知らない人たちからの、絵文字入り「お誕生日おめでとう」メールだ。

今置かれている状況との温度差がすごすぎて声も出ないが、それでも、どこかでそのことを喜んでる自分がいた。

なんでもいい、誰かに声をかけてもらうのが、こんなにうれしいことだったなんて。

今回、死にはぐることで随分と人の本質を垣間見た。

こういう時、何も考えずサッと手を差し伸べてくれる人のなんとありがたかったことか。声をかけてくれる人、心配のメールをくれる人、家の前まで来てくれて、薬や差し入れを置いて帰る人。

医療従事者の人たちにも、もう一生頭が上がらない。真夜中に何度もナースコールで呼ばれ、トイレまでいけなくて漏らしてしまった、どこかの偉い社長さんの下の世話を淡々としている様子をただ震えながら聞いていた。

どれだけすごいんだろう、と思った。

ブレイディみかこさんの言葉を借りれば「他人の靴を履ける」人たちだ。
他人の立場に立ってものごとを考え、それに基づいて行動する。そして見返りを求めない。良くなってくれて良かったです、たった一言、それだけを言って去っていく。

私もそうありたい、と思った。
そしてそれは、きっと努力でどうにかなる数少ないことのひとつだ。

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夫はその後軽快し、今は順調に回復している。
私は自宅療養中で、まだ身体がふらつくし、味覚と嗅覚がないけれど、命さえあればとりあえずオッケー、と今は前向きに考えている。
そのうち元気になりゃまたどうせ欲が出てくるんだろうけど、それはそれで構わない。だって人間、そのようにできているんだから。

だけど今回、死に瀕してしみじみと思ったことがひとつある。

それは、人生はコントロール不可能だということだ。

物事は何ひとつ思い通りになんかならない。
あんなに気をつけていたのに、結局なんにもならなかった。

健康のためなら死んでもいい、とか冗談で言っていたの
に、本当に死に損なってしまって、まったくもって洒落にならない。

そもそも、この歳で親より先に死ぬなんてカッコ悪いにもほどがある。
だいいち、こんな年齢の女が賽の河原の石積みになど参加したら、周りの子供たちが変に気を使ってくるに決まってるじゃないか。

そんな、年齢の問題で気を使われるのは今通ってる演技の学校だけで充分だ。

そんなわけで、今日も私はしぶとく生き汚く生きていきます。


























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