生活保護世帯から東大で博士号を取るまで⑤

別世界の人たち

東大に入ってから出会った人たちの多くは、まるで別世界の人のようでした。
彼ら彼女らの恵まれ方は、私からすれば、到底同じ国に生まれ育ったとは思えないような水準でした。

でも残念ながら、彼ら彼女らは想像していたほど優秀ではありませんでした。
この事実は私をとても落胆させ、怒らせました。
そういう学生たちとの学びは、本当に最悪な経験でした。

高校生の頃、私は自分の置かれている状況を同級生には話しませんでした。
自分も高校生なのに、この人たちはまだ高校生だからこういう話をしてもしょうがないと思っていました。

一方で、18歳になったらもう十分大人なんだから、誰もが他者や社会の抱える問題に関心を持つべきだと考えていました。
でも、そう考えていたのはどうやら私だけだったようです。

東大の人たちはもう少し志がある人たちだと思っていましたが、結局自分のことしか考えていないような人にしか出会いませんでした。
こういう人たちとの学生生活はやはり最悪な経験でした。

進学選択に向けて

進学選択(3年からの専門の学部を選ぶ制度)で数学科に進学するため、私は文科と理科の必修を同時に履修する必要がありました。
文科の授業の難易度は試験も含め大したことはありませんでしたが、それでもかなりの時間を取られました。
授業料免除や奨学金のためそれなりの成績を取る必要があるのも大変でした。

理科の授業は難易度も含めて問題でした。
高校理系範囲の数学はなんとか高校在学中に終わらせていましたから数学の授業はなんとかなります。
しかし物理や化学に関してはほとんど勉強してこなかったので、かなりの苦戦を強いられました。

理科の必修には大抵、数人は科学オリンピック経験者がいました。
そういう学生は持て囃されていましたが、私は貶されていました。
(「文系に数学ができるわけないだろう!」とか。)

私も数学オリンピックに出たかったのです。
しかし、そのための参考書は受験参考書とは比べ物にならないほど高額で、買えませんでした。
無理をして買ったとしても、そもそもそれを勉強する時間もありませんでした。

結局、その時持て囃されていた人たちの内アカデミアに残れたのはごく一部だと思います。
つまり、大して凄くはなかったということです。
でも当時は、そういう人たちと自分との見かけ上の「差」が凄まじいストレスでした。

私はそういう苦しみに耐えることができました。
これは私の唯一の才能であるように思います。

結果、無事に文科から数学科に進学することができました。
これを達成したのは私が最初でした。
随分前から制度上は可能だったのですが、実際には不可能だと思われていたようです。

この時にはもう、人から無理だと言われたことも案外可能だということをよくわかっていました。

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