東叡山寛永寺 根本中堂
江戸時代、今の上野公園のほとんどが、寛永寺の境内でした。
江戸一番の面積を持ち、不忍池も、1200本の桜も、もともとは寛永寺境内にあり、江戸庶民の観光地として賑わっていたのです。
寛永寺は寛永2年(1625)年、江戸城の北東にあたる鬼門に、徳川将軍家を守るための祈祷寺として建立されました。
「東叡山(とうえいざん)」とも呼ばれているのは、京都御所の鬼門にある比叡山延暦寺をモデルにしているからです。
江戸時代、寛永寺の本堂「中堂」は、現在の上野公園の噴水広場あたりにありまし