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田中正義という男


波瀾万丈の天才

私が知る限り、この言葉が1番端的に田中正義を表していると思う。

田中正義の大学の後輩である海老原一佳(元日本ハムファイターズ育成)を応援していた私は、名前は知っており気になってはいたものの、直接見たことは一度もなかった。
何故見に行かなかったのか。

1番の障害になったのが
「岩槻川通公園野球場」でのリーグ戦開催である。


当時は開幕戦を除き、ほぼ全ての試合をこの球場で行っていた。行ってみようかと思って調べた公式HPには、車での行き方、駅からタクシーでの行き方しか記載がなかった。

そんなことある?歩きでくることは想定されてないのか?
という立地にあり、タクシーを呼べるほどの裕福さを持ち合わせていない一般大学生はさすがに諦めるより他なかった。

そんな中、世間を驚かせた大学代表vsNPB選抜の試合が開催された。
大学3年生の田中正義が、プロ相手に7者連続三振を含む計8奪三振を奪ったのだ。
凄い選手だ……やっぱり見にいきたい。
リーグ戦が無理ならオープン選手に行こう!

そう思った矢先に第二の障害が現れる。

「創価大野球部、オープン戦日程非公開」

うん、詰みです。

創価大のグラウンドも決して行きやすいところにあるわけではない。
JR八王子駅からバスで30分ほど揺られ、降りてからも階段を上がり、やたら長い歩道橋を越え、さらに体育系施設がずらっと並んだ通りの横にある坂を降りたところにある。
八王子の山を最大限活用した立地になっており、野球部の坂道ダッシュに役立ちそうな坂がグラウンド横にある。

オープン戦の日程が分からない以上、賭けでグランドまで見に行くほかないのか?
そう思っていたが、一つ閃いてしまった。

「相手校なら日程出してるのでは??」

そう思い六大学、東都を含め関東甲信越にある大学の野球部ホームページを片っ端から調べた。
あぁ、ヲタクの執念って恐ろしい。。

そんなこんなでついにオープン戦の日程を見つけた私は、勇んでグラウンドに足を運んだ。

何度か見に行く中、2015年8月11日、ついに田中正義がマウンドに立っているのを観戦した。
想像より、テレビで見るより、何倍も何十倍も凄かった。ストレートの球威、変化球の精度、どれも一級品だった。
完全にファンになった私は、この後何度も足を運ぶことになる。

そして、オープン戦の日程を公開しない創価大が珍しく1試合の日程を公開した。

「2015年8月21日 vs日本ハム二軍」

大学野球部とプロの二軍が戦うのは珍しくない。
六大学とかもよく試合を組んでいた。
ただ、田中正義がまたプロを相手に投げるとなれば話は別。何としても観に行かねば!

いつも観戦する時はどこからか日程を仕入れたおじさん2〜3人と私くらいのものだったが、対戦を公表した上にこんな楽しみなカードとなれば絶対に混む。
そう思い、試合開始よりかなり前に到着してなんとか最前列を確保した。
(この日はパイプ椅子が準備されてた。流石。)

ふとネット裏を見ると見たことある人がいた。
当時日ハムの監督をしていた栗山英樹だった。
あれ、今ペナントレース中じゃなかったっけ?と思ったが、それだけ田中正義が気になってたということだろう。

今まで凄いと思っていた田中正義は、その凄いをさらに更新してきた。


その日のピッチングは本当に圧巻だった。
凄いのレベルをどんどん更新してくる。

試合後は、囲み取材が行われていた。
アマチュアの、しかもオープン戦にあれだけの報道陣が集まっているのは初めて見た。

その後の秋季リーグでもフル活躍。
6勝0敗、防御率0.00。ノーヒットノーランも達成。
最高殊勲選手、最優秀投手、最多勝利、最優秀防御率、ベストナイン。
投手として取れるタイトルを総なめにした。
シーズン通して防御率0.00。さすがに意味が分からない。三振の数も1人だけレベルが違う。

各球団の評判も上々。「12球団が1位指名もあり得る?」なんていうスポーツ紙もあった。

そして迎えた大学4年の春。田中正義はキャプテンになっていた。オープン戦に来るスカウト、報道陣に丁寧に頭を下げてるのを見ていたらキャプテンになるのも必然かなと思っていた。

そうして迎えたリーグの2カード目。当然先発は田中正義だった。
速報を見ていると2回で降板。頭の中がハテナでいっぱいになった。
その日の記事には爪が割れて降板と書かれていた。無理せずに降板したのか、そう思った翌週に「田中正義 今春登板絶望」と新たな記事が出た。

爪が割れてそんなにかかる?と不思議だったが、後に裸のアスリートという番組の密着取材を見ると当時の話があった。
試合の前に中指の爪を負傷していたが、エースでありキャプテンでもある責任感から登板を直訴していた。しかし爪の痛みを堪えながらの投球で右肩に炎症を起こしていた、ということがわかった。

田中正義は真面目な人だと思う。良くも悪くも。
その実直さゆえに登板を回避せず、結果として肩を痛めてしまった。

秋に圧倒的な差で優勝した創価大学だったが、田中正義の離脱が影響し優勝を逃した。
(この春は流通経済大の生田目翼(現日本ハム)も戦線離脱し、共栄大が初優勝を果たしていた)

怪我をした田中正義は秋には復帰するのでは?と言われていたが、それよりも速い夏のオープン戦で復活を遂げた。

「怪我をするたびに強くなってる」

そう密着取材で話していた田中正義は、その言葉の通り強くなってマウンドに戻ってきた。
相当努力したんだと思う。
田中正義はストイックな人でもある。

秋季リーグもしっかり復帰し、池田隆英(現日本ハム)とともに二本柱で優勝を勝ち取った。

そしてその秋のドラフトで5球団競合の末ソフトバンクが交渉権を獲得した。

1年目は3月の時点で開幕絶望。
その時に工藤監督が中継ぎで一軍に活路を見出だすと言っていて「は?どう考えても先発だろ?」と思っていたが、今考えると工藤監督の先見の明は凄かったんだと思う。

9月ごろにようやく復帰し2年目には開幕一軍に入り込む。しかし3年目からはなかなか上に上がれない。2軍の試合も出ておらずリハビリ組にも名前がない行方不明状態が続いた。
2022年も開幕一軍当確と言われるが右肩の違和感で復帰の目処がつかない。

あれだけの才能を持って、ストイックさを持って、それでも尚上がってこれない。
真面目な田中正義のことだから人一倍頑張らなきゃという思って無理をしてるんじゃないか、人に優しい田中正義のことだからメンタルが持たないんじゃないのか、そう勝手に色々考えてしまうし考えないとやってられないくらい悔しかった。

そして2023年の1月。
人的補償で日本ハムへ移籍することとなった。

これが田中正義にとってどうなるかは分からなかったが、高校大学と共に同じ野球部だった池田隆英、同級生で新大学リーグのライバルだった生田目翼がいる日ハムはきっとすぐに馴染めるだろうなと思っていた。

新庄監督に「笑顔で投げなさい」と言われたらしい田中正義は、吹っ切れたように快投を続けた。これだよこれ!私が初めて見た田中正義は!
球の重そうなストレートに混ぜ込む一級品の変化球。打てるわけがないと絶望に追い込まれるこの圧倒的なピッチング。

今では守護神を任され、「正義執行」という何ともカッコ良い二つ名もあるらしい。


田中正義という男は、怪我に苛まされる波瀾万丈な野球人生を歩んでいる。
それでも怪我をするたびに強くなって、その才能を存分に発揮している。
これからも怪我に気をつけて、その圧倒的なピッチングを続けてください。

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