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「で、ハルマゲドンはいつくるの?」 クリスマスを祝ってみたかった 宗教2世日記①

「サッカーボールと、フォートナイトのVバックスをください。それと……」
子どもたちからサンタへの手紙には、クリスマスに欲しいものがフィンランド語で書かれていた。サンタさんはフィンランド人だから、わざわざ翻訳アプリを使って写して書いたのだそうだ。

うーん……英語ならまだしもフィンランド語なんて一個もわからない。こりゃあ1文字ずつ入力して日本語に翻訳しなおすしかないっぽい。

2個も3個もずうずうしいなあと思いつつ、フィンランド語で書くというホスピタリティには感心した。さすが私の子。用意しようじゃない。

毎年子どもたちには、私の実母からも”サンタから”としてプレゼントが届く。しかし、母から「今年は何をプレゼントしようか?」とLINEがくるたびに、ありがたく思いつつも胸がざわざわする。

本当は、私も子どもの頃にクリスマスがしたかった。

もしかしたら母は、私にクリスマスを味わわせてくれなかった罪滅しを、今してくれているのかもしれない。

私は子どものころクリスマスを祝ったことがなかった。なぜなら、母が「エホバの証人」という宗教の信者だったからだ。

私は「元・宗教2世」だ。

ニュースなどで度々取り上げられているとおり、今では虐待となりうる「愛のムチ」や、輸血の拒否、あらゆる禁止事項などによってゴリゴリのトラウマになっており、私の人格形成にも多大な影響を及ぼしまくっていると思われる。

こんなコラムを書いてしまっては「斉藤ナミってあの宗教2世の人でしょ」という最悪のレッテルが貼られること間違いナシなので今すぐやめたいところだ。
だが、何年経っても事あるごとに顔を出し、私を揺り戻し、苦しめるあの辛い記憶……。
ここらでしかと向き合って、棚卸しして、前へ進みたいと決意した。決して、連載コラムにしてたくさん原稿料を頂いちゃおう、げっへっへ、なんて浅ましい気持ちはない。断じてない。

「エホバの証人」ってクリスチャンじゃないの? なんでクリスマスでけへんの? と思われそうだが、エホバの証人は聖書を経典にしているものの、イエスキリストの父である「エホバ」という神を信じる宗教なので、クリスチャンではあるがキリスト教とは違うのだ。

エホバこそが唯一の神なので、他の神を讃えてはならないし、神が望まないことをしてはならない。

そのため、クリスマスだけでなくお正月もお盆も自分の誕生日も祝えない。全てのイベントやお祭りがほぼだめ。格闘技、ギャンブル、深酒、タバコ、ゲームなどもだめ。ロックやメタルも聴けない。自由に恋愛もできない。

結婚前のセックスはもちろん、マスターベーションも、そもそも性に関心をもつこと自体も禁止だ。そんなこと私には無理だ。頭ん中は昔も今も「モテたい」しかないのに。

つまり楽しいことは、ほぼぜーんぶできない。しんどすぎる。

世の中の楽しいこと、快楽、贅沢などの誘惑は、全て悪魔であるサタンの仕業なのだ。そして、それらに惑わされず神のみを信じ、従い続けることで、この世の終末「ハルマゲドン」の後、信者のみが救われ、病気も死もない「楽園」で永遠に幸せに暮らすことができるというSF映画みたいな教えが「エホバの証人」の教えだ。どうだい、きっついだろう?

私の中でハルマゲドンは、ゴーゴーと燃えさかる火の海で地球の全てが焼け野原になるイメージだ。ちなみに、そのあとに訪れる楽園は、フルーツもりもりの木がいっぱい生えていて、人間たちはみんななぜか裸で「アハハ、ウフフ」と笑いながら追いかけっこでもしているイメージだ。(サムネのイメージ)

そんなオレオレ詐欺なんかよりもよっぽど詐欺っぽい作り話のために、私は日々、世の中の楽しそうなことを全部我慢させられ、ムチで打たれ、お尻や背中や太ももにミミズバレをこさえていた。

禁止されたイベントの中で1番憧れていたのが、クリスマスだ。保育園などにも行っていなかったので、クリスマスについて知ったのは小学1年生だった。

どうやらクリスマスというイベントは、家族みんなで七面鳥やケーキを食べるらしい。「サンタクロース」という真っ赤な服を着て笑いまくっている陽気なおじいさんが、夜にトナカイの引くソリでやってきて、ベッドにプレゼントを置いていってくれるらしい。

なんなんだ、その夢みたいなイベントは!

クリスマスソングや、クリスマスツリーなど、街の中で見かけてなんとなく知っていたものが全部そこで繋がって「そりゃあみんな浮かれるわな!」と一気に納得したのを覚えている。

近所の同級生ダイちゃんの家や、お向かいのアヤちゃんの家にも、冬になると毎年これでもかとイルミネーションが庭先に飾られていた。部屋にはもちろんツリーが飾られていたし、窓に雪の結晶やトナカイなどのイラストが彩られていた年もあった。

学校でも当然、冬休みの前の時期はみんな、クリスマスプレゼントに何をもらうだの、サンタはいるだのいないだのと、全員がうっすら浮かれていた。

楽しそうでワクワクした。でも、なんとなく親に聞かなくてもわかっていた。

うちは、やらないんだろうな……。だめなんだろうな。

物心着く頃にはエホバに加入していた我が家には、楽しいイベントは一度たりとも来たことがなかった。

なんでうちだけやらないんだろう、とも思わなかった。それが当たり前だったから。うちは他の子の家とは何かが違って、いろいろなことができない。

「うちはうち、よそはよそ。今は楽しそうにしているけどね、みーんなハルマゲドンで死んじゃうんだからね? 本当に幸せなのは楽園にいける私たちなのよ。ナミはどっちがいいの? 自分で選びなさい」

母が世界の全てで、母の言うことが絶対だった。

その私の毎日が、小学校に入り、サタンと言われる人たちに触れることによってちょっとずつ変わっていった。

「チキンなんて食べたことあるし。ツリーなんて木じゃん。サンタなんているわけない。窓の雪の絵も、スーパーの飾りつけも、歌もダッサ。あー、かわいそうに。今は浮かれてるけど、みんな死んじゃうんだから」

「ハルマゲドンなんて本当にくるんだろうか? なんでうちだけみんなと違うんだろうか? なんか、おかしい気がする……。」

でも、絶対そんなことは口には出せなかった。

エホバに加え、めちゃくちゃ貧乏というダブルパンチだった我が家からすると、七面鳥やチキン、テリーヌやシチューにケーキなんてものは大ご馳走だったし、そもそも、そんな海外風のメニューは我が家の食卓には並んだこともなかった。

というわけで12月に食べる鶏肉を全部クリスマスのチキンってことにした。一緒一緒。このひじきの煮付けの鶏肉は、ほぼクリスマスだよ。あー、クリスマスの食卓だね!

イルミネーションなんて所詮は電球だろ? うちになくても、よその家にある電球の光だって感動は一緒だよ。なんなら他人の電気代で味わえるなんてお得じゃないか。この辺一帯のイルミネーションは、ほぼうちのイルミネーションだね。
学校の行き帰りに研究しすぎて、近所のイルミネーションや電飾のバリエーションに詳しくなった。

あの家はカラフルだけど統一感がなくてガチャガチャしてるな。
あの家は電球がリズムを刻むタイプのイルミネーションで、「おかえりー」と言ってくれているようでいいねえ。
あの家は白一色だけど、広範囲に満遍なく施されていて、なかなかいいセンスだねえ。
よそ様のイルミネーションを勝手に査定した。

しかし、サンタだけはどうにもならなかった。どう見ても日本人ぽくない容姿だし、寒い夜中に「ホーホーホー」と笑いながらソリに乗ってやってくるおじいさんなんて、どうしたって代替案なんか思いつかなかった。

トナカイや空に浮くソリはかなり嘘っぽいし、日本には煙突も暖炉もないけれど、なんでも好きなものをプレゼントしてくれるなんて、そんな夢のような話、もし体験できたとしたらきっと興奮で眠れないだろう。

エホバの証人の子どもが思い描くサンタのイメージは、もはや想像もできないほどの、最高に羨ましい夢の塊だ。

本当は羨ましかった。

一度でいいからサンタさんに何をもらうか考えてみたかった。手紙だって書きたかった。夜中にこっそり忍び足でプレゼントを枕元に用意するサンタのフリをした親の気配を感じてみたかった。クリスマスツリーを飾ってみたかった。うちのイルミネーションを、うちの庭に飾ってみたかった。

しかし、私のもとにはその後もサンタが来ることはなかった。
そして母は、私が中学を卒業した頃にはいつの間にかエホバの証人ではなくなっていた。

大人になり、ようやくクリスマスも誕生日もお正月も好きなだけ祝えるようになった。

夢にまで見たクリスマス! 我慢していた分、やりたかったあれもこれも思いつくまま全部やってみた。たくさんお金を使って、ひかれるほど贅沢に、思う存分やった。

自分がサンタになってみたり(エロいコスプレとかではないガチのおじいさんのサンタも、もちろんエロい方もやった)、お菓子の家を作ってみたり、庭にスピーカーを出して外にクリスマスソングを流してみたり、トナカイを北海道から借りようとしたこともあった(いろいろな理由から流石にやめた)。

ところが、いくら豪華にツリーやイルミネーションを飾っても、チキンを食べても、プレゼントを用意しても、思っていたクリスマスとはなんか違った。

好きなだけ飾っても、あの頃に採点したイルミネーションほど綺麗なものはなかったし、想像していたほどクリスマスのご馳走も美味しくないし、恋人に貰うプレゼントは、夜中にこっそり来てくれるサンタさんからのプレゼントではなかった。

私は子どもの頃にクリスマスをしたかったのだ。あの頃に、父と母と弟とクリスマスを祝いたかった。

大人になった今は、あの時の母がエホバの証人に逃げるしかなかったことを「仕方なかった」と言えるほど簡単に済ますことはできないとはいえ、多少は理解している。

それでも、今になって母が私の子どもたちにクリスマスや誕生日にプレゼントをくれることや、お年玉をくれること、何も知らない子どもたちがそれを喜んでいるのを見ると、たまらなく胸がざわざわする。

私がやってほしかったのに、私にはしてくれなかったのに……

あの時欲しかった母の愛を、自分がいま素直に受け止められないことや、いつまでも昔の想い出を腐らせていることを、毎年いちいち思い出させられてうんざりする。

最近ではとうとう、あんなにも憧れていたクリスマスの準備が面倒臭くなってきている。

嬉しくてドでかいツリーを買ったことが仇になり、今では出すのも片付けるのもめちゃくちゃ面倒臭い。誰だ、あんなの買ったやつ……私だよ!

昔は11月後半には飾り始めていたツリーも、どんどん出すタイミングが遅くなり、今年はとうとう12月20日にどうにかこうにか出した。というか26日に片付けることを考えると、もうそもそも出したくないという誘惑が毎年すごい。

子どもたちが楽しみにサンタさんに手紙を書いている様子や、サンタさんに食べてもらうクッキーをどうしようかと、キラキラした顔で考えている様子を見てなんとか気持ちを沸き立たせ、渋々用意するのだ。

このコラムを書いている1月5日現在。もう正月休みも終わるっていうのに、まだリビングにはツリーが出たままだ。

子どもたちは、ママサンタが用意したサッカーボールと、ババサンタが用意したバドミントンセットを持って公園へ遊びに行っている。

はーあ、いいかげん片付けるとするかな。

おしまい
(「恥ずかしくて辛かった学校生活」へつづく)

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