見出し画像

「で、ハルマゲドンはいつくるの?」 恥ずかしくて辛かった学校生活 宗教2世日記②

長男がもうすぐ小学校を卒業する。春からは中学生だ。

幸運なことに子どもたちはとてもいい友だちや先生に恵まれ、毎日楽しそうに登校している。帰宅後や休日は、友だちと公園に遊びに行ったり、部活で試合に負けて悔しそうにしていたり、子ども時代を存分に楽しんでいる様子だ。

陰キャでコミュ障なおどろおどろしい私から生まれてきたとは思えないほど明るい性格で、捻くれることもなく真っ直ぐ生きてくれていて、とても嬉しい。そして、羨ましい。

子どもたちが通っている小学校は、私が子どもの頃、2年半通ったことのある母校のうちの一つだ。

2年半と短いのは、我が家が引越しで転校を繰り返していたからだ。父親の仕事の転勤が多かったわけではなく、借金取りから逃げる、もしくは家賃が払えなくて大家さんに追い出される、という貧乏な方面の理由だ。

私は子ども時代を宗教2世というスーパー大当たりだけではなく、貧乏というダブルの大当たりの中を生きてきたのだ。ひきが強すぎる。

というわけで県内を2,3年おきにあちこちに逃げ、転校をしまくっていた学校のうちの一つであり、1年〜3年生の途中まで通っていた学校が、現在私の子どもが通っている小学校だ。

たった2年半の記憶でも、入学式、運動会、授業参観など、学校へ行く機会があるたびに、辛かった学校生活をいろいろと思いだす。

まずは、さまざまな学校行事に欠かせない国旗掲揚や国歌斉唱だ。これらができない。エホバの証人は偶像崇拝が禁止のため、日本国を讃えることになるそれらは拒否しなければならない。

国歌斉唱なんてのは1人くらい歌っていなくてもそんなにバレやしないので目立たないのだが、国旗掲揚は「まわれ、右! 国旗掲揚!」なんてパターンの場合、何百人といる生徒が一斉に回れ右をする中、1人だけ前を向いたままという非常に目立つ抵抗を見せないとならない。

これが本当に恥ずかしかった。前の子が「回れ右」してこちらを向くので、私と目が合う形になるわけだ。「え、なんでこいつ回れ右しねえの?」と、キョトンと見つめられるが、そんなもん説明もしづらいし、したところで余計に「なにいってんのこいつ?」となるに決まっている。
今すぐ消えたい気持ちのまま、ずっと下を向き、時間が経過するのをひたすら待った。

私は小学校生活のうち、どれだけ下を向いて歯を食いしばっただろう。

「親も見てないんだからこっそりやればいいじゃない」と思われるかもしれない。でも、それができないのだ。

あの頃の私にとって母親の言うことは絶対で、母の”絶対”である神は、私にとっても絶対だった。「神を悲しませていけない」は「母を悲しませてはいけない」であり、呪いのように体中に染み付いていた。

神を裏切ることは母を裏切ること。エホバの証人の禁止事項は、たとえ誰も見ていなくても本当に「してはならない」のだ。

神はどこにいても私を見ている。嘘をついても見抜かれる。これをしたら、神は悲しむ。母が悲しむ。ハルマゲドンで滅ぼされる。

完全にそう思っていたので、どれだけ恥ずかしく屈辱的でも、それに耐えて拒否しなければならなかった。

先生に告げる時は「宗教で禁止されているから」「親に言われているから」ではなく「自分が神を悲しませたくないから」という自発的な申し出でなければならなかった。それも、神が見ているから。

大人になった今でも、神社で参拝するとき、お墓や仏壇で焼香するときなどは、神に見られていると思って緊張してしまう。間違えたりつっかえたりすると「ごめんなさい間違えました! 今のは正しくは……」と頭の中でペコペコ謝罪して訂正せずにはいられない。

給食の前にみんなで一斉にする「いただきます」も、してはダメ。1人で目をつぶり、顔の前で手を組み、神に感謝の祈りを捧げなければならなかった。日本の公立小学校の中では、相当珍しい風景だと思う。

「天にまします我らの神よ……」
「まします」ってなんなんだ? ”祈り”の意味もろくにわかっていないまま、祈りは幼い私の生活に浸透していた。

たまに「あいつがムカつく、懲らしめてください」「あれが欲しい、ください」「明日は雨にしてください」などと、神をドラえもん扱いすることもあった。

ちなみに目をつぶって神に祈るときはいつも、キリストの父だからか、髭がモジャモジャのロン毛でギリシャ神話に出てくるみたいな欧米風のイケおじを頭に思い浮かベていた。名前からして「エホバ」で日本風の顔はなさそうだし。

また、柔道剣道などの武道も禁じられているため、体育の授業でも参加ができない。騎馬戦など競争競技の運動会プログラムも、男女混合のダンスも、部活もできない。本当にありとあらゆる禁止が学校生活のそこかしこにあった。

クリスマスも、誕生日も、祝日も、イベント事は何もかも祝えない。エホバの証人でない子どもも「ほぼサタン」なので、学校外で遊ぶこともほとんど禁止されていた。

火曜と木曜と日曜は、「王国会館」という集会所や、信者の家などで行われる会合に出なきゃならなかったし、それ以外の時間も、地域の一般家庭の家に突撃訪問&勧誘活動をしなきゃならなかった。

友だちなんてそもそもいなかったから、遊びに誘われることなんて皆無だったけど。ふん。

ただでさえ転校生というハンデがあるのに、その上、貧乏でいつも誰かにもらった古くてダサいお下がりの服を着ていて、肌の色が黒くて、ひどい天然パーマで、いろんなことを「神が悲しむのでできない」と拒み、給食の前に1人でブツブツ祈ってるキモい女と、誰が友だちになりたいと思う?

私はいじめられる対象にもならなかった。誰も、私に近寄らなかった。

本当は私もたくさん友だちが欲しかったし、誰かの誕生日を祝ったり、みんなに祝われたりもしてみたかった。

子どもの頃の私の願いはいつだって「普通の子どもになりたい」だった。
いつも神にそう祈っていたけれど、どれだけ祈っても叶わなかった。

ハルマゲドンを生き延びるため。神と母に許されるためだ。と、心に蓋をして生きるしかなかった。

少しずつ、神と母の望み通りに生きるのが上手くなり、自分の気持ちを無視することが普通になっていった。

学校の友だちには、好かれることはなくとも「かわいそう」と思われないように努めた。「かわいそう」ではなく「面白い」と思われよう、どうせ一人ぼっちなら「ただものじゃない」と思われよう、と努力した。

自虐ネタで笑わせ、話を盛って、話を作って、どんどん自分とはかけ離れていった。痛々しいと思われているか、目論見が全部すけて見えているのか、どんなに頑張っても望み通りの「たくさんの友だちが欲しい」は、大人になった今でも叶っていない。

誰と居ても作った自分でしか接することができず、誰と居ても疲れるようになり、エホバもサタンもいない「自分」が生きられる本の世界に逃げるようになった。

図書館の本や、登下校の道に落ちていた汚いエロ本や漫画を、近所の林の中に作った秘密基地で読むのが、子どもの頃の私の救いの時間だった。秘密基地はダンボールや、捨てられていた粗大ゴミで作った。

雨が降って腐って壊れたり、虫が湧いたりすると、また新しく作った。

どこへ行っても数年で転校だったし、転校自体もだんだん回数を重ねるごとに得意になっていった。

図書室の本を友だちと考えるようにしたし、ミステリアスな転校(美)少女は注目されるという点を利用して承認欲求を満たしもした。
転校すると設定キャラのリセットができる点は、意外と有効だった。

高学年にもなると、自分と神に言い訳ができるようにもなっていった。

食前の祈りは「かみ、いま心の中で呟いてますよ! 感謝してますよ!」と頭の中で言ったり、国旗掲揚は「かみ〜、これはね、空を見てるだけですよおー!」とごまかしたり、ゴマすりまくるダメ社員みたいな言い訳を唱えてやり過ごしていった。

家は相変わらず貧乏ではあったけれど、自分でお小遣いを稼ぐすべを見つけることもできたし、本や、映画の世界に逃げることで、苦痛からも随分と解放された。

小学校を卒業する頃になると、ハルマゲドンの恐怖は完全には捨てきれないものの、少しずつ、もしかしたら私の世界も母や神が全てではないかもしれないな、と思い始めていった。

「それはどうかな? 神様が悲しまれるんじゃないかな? にっこり」

今でも子どもたちの小学校の運動場に設置されている国旗掲揚台を見るたび、母の言葉といびつな笑顔、そして自分の心臓がギュッとするのを下を向いて堪えていた時間を思い出す。

恥ずかしく辛い思いを我慢してでも母に愛されたいし、褒められたいし、認められたいという一心で生きていた。世界の全てが、母に見捨てられるかもしれない恐怖と、ハルマゲドンの恐怖で真っ暗だった。

神を悲しませると母から愛されない。
そんな歪んだ考えで送った子ども時代は私にどデカい闇を作って通せんぼしたけれど、その後、私は幸運にもそこから這い出すことができた。
そして今、自分の子どもたちのおかげで、あの頃味わえなかった普通の子どもの生き方で、もう一度、世界を生き直せている。

世界は私が思っていたよりずっと広くて、ずっと明るいし、ハルマゲドンはいまだにこない。

たまに、道端に落ちているエロ本を見かけると、拾って持って帰りたい気持ちがうずうずと湧いてくるけれど、子どもたちに「汚いよ! バイキンだらけだよ!」と、止められるので諦めている。大人だなあ、子どもたち。

秘密基地も「そんなのやだよ。wifiもないし、汚そう。家がいい」だそうだ。なんだよ、秘密基地楽しいのに。

「もうすぐ卒業だねー」なんて長男に話しかけながら、子どもたちの学校の校歌を口ずさんでみた。
これがまた、しっかり歌えるのだ。

驚くことに私は、あの頃歌えなかったあの校歌のメロディと歌詞を、今でもなんとなく覚えていて、口ずさむことができる。「そんなに歌いたかったんか、私」と入学式に1人ワナワナしたものだ。

あれから6年か……。

私は来月の長男の卒業式にも、がっつり校歌を歌うつもりだ。保護者なのに。

おしまい
(「1番しんどかった愛のムチ」へつづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?