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ランニングしている人間とランニングしていない人間

この世には、ランニングしている人間か、ランニングしていない人間か、という判断基準がある。

ランニングしている方の人間は、健康で、生物として強くて、ハツラツとしていて元気で、性格も明るい。

ランニングしていない方の人間はその逆で、不健康で、体力がなくて、性格も暗く、辛いことから逃げがちで、全体的にダメ(偏見含む)。普段、あまり走らないので、もしゾンビの世界になったらきっと真っ先に喰われて死ぬ。

ランニングしている方の人間が全てにおいて上だ。ランニングしていない人間は、生物として上位種であるランニングしている人間に見下されても蔑まれてもしょうがないとまで思っている。

そしてわたしはランニングしていない方の人間だ。
ゾンビはきっとずっと疲れないから、わたしなんかがいくら頑張って走っても無駄だ。どうせ食われるなら、走って疲れたくないので初めから諦めて食われることを選ぶ。

すぐ疲れてしまうので、もう全っ然、走りたくない。

「意味がわからない。なんで走らないといけないのか。数あるスポーツの中からどうしてわざわざこんな辛いランニングを選ぶ必要があるのか。なぜ走り続ける必要があるのか? 車で行けばいい。ほら、辛いなら止まればいいじゃん?」と、たった数メートル走っただけで諦めたい気持ちが湧いてきて、簡単にその心に屈してしまう。

マラソンなんて超苦手だ。小学1年生の、初めてのマラソン大会でのこと。「よーいどん」で猛ダッシュし、断トツ1位で門を飛び出した結果、当然すぐに疲れて死ぬほど辛い思いをしたうえ、最下位でドロドロの状態で帰ってきたことをみんなに大笑いされ、トラウマとなった。頭が悪すぎる。

それ以降、毎年「マラソン」という予定があることで、秋頃からマラソン大会が終わるまでのあいだ、心がずっと憂鬱だった。なんとかマラソンの期間にタイミングよく学校を休めないかと、なるべくお腹を出して寝たり、咳をしている子の近くへ行ってウイルスまんさいであろう空気を積極的に吸ってみたり、頑張って風邪をひく努力をした。

マラソンを体調不良で休むには連絡帳に保護者の申請が必要だったため、母親の筆跡を練習したこともあった。練習に練習を重ね、半年ほどで自由自在に母の筆跡で文章が書けるようになった。一体どこの努力をしているんだ。

ランニング云々の前の話だ。
わたしという人間は本当に卑怯で、怠け者なのだ。怠惰の塊でしかないこのような人間には、ランニングなんて高尚なスポーツができるわけがないのだ。

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しかし、このたびわたしは数年ぶりにランニングをするしかない事態に陥った。

しばらく感染症対策で中止となっていた、息子たちの小学校のマラソンが再開した。

そして衝撃の事実が発覚した。次男が「足が痛い」「お腹が痛い」「なんだか風邪っぽい」そんな理由で、学校のマラソンの朝練習を3日間もサボり続けたのだ。

……こ、これ、わたしのやつじゃん! この子、わたしの怠惰、受け継いじゃってるじゃん!

先日の「卑怯」に引き続き、どうも次男はわたしのDNAを受け継ぎがちらしい。

すまない、次男……! 
卑怯も怠惰も、全部、わたしのせいだよ。あんたはただの天使なのに……!

最悪なことに、この3年間マラソンが小学校からなくなっていたこともあり、わたしは先述の「マラソンに合わせて風邪ひいてた」「母親の筆跡を真似してズル休みしていた」「マラソンなんかやらなくても他のスポーツができるからいいんだ」などを、武勇伝のように子どもたちに語っていたのだった。

母親失格すぎる。そんな恥ずべきことを子どもに話してしまうなんて!

次男に、マラソンおサボりの顛末を尋ねたところ、
「ママだってマラソン嫌いでズル休みしたって言ったじゃん。ママはランニングしていない方の人間だからすぐゾンビに食べられるけどそれでいいんだ、疲れるもん、って言って笑ってたじゃん」

……そうですよね、そうなりますよね。

「いやいや、アレは君たちにウケようと思ってだいぶ盛ったんだよ。本当は苦手だったけどちゃんと走ったよ? 辛いけど、走り終わったら、自分に勝った気持ちがしてすごく清々しいからね!」
めちゃくちゃ嘘をついた。

ここは、嘘をつかないといけないと思った。

ここが彼の人生の分かれ道かもしれない! ここで逃げることを選択して、わたしのような人間になってほしくない! 頼む、ここで路線を変えてくれ! 君はランニングしている方の人間になっていってくれ!

そう焦るあまり、口から勝手に言葉が走り出した。「ママも次男と一緒に毎日走るよ、これから。涼しくなってきたらランニングしようと思ってたんだよね! 本当はわたし、ランニングしている方の人間なんだよね!」

「……そうなの? じゃあ……おれも走る……」

あああああああああああああああああああああああああああ!!!言っちゃったーーーーーーーーーーーー!!!!!

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というわけでそれ以来、わたしは「ランニングしている方の人間である」という息子への嘘を本当にするべく、毎日30分すっかり軽快に走っている。


……わけはなく、ドロドロになりながらとりあえずなんとか続けている。

あいも変わらずランニングはきつくて、数分で心臓がバクバクと暴れまくり、呼吸もまともにできずゼエゼエハアハアしている。
さらに数分も走ると、脇腹をギューっとつねられているようなこの世の終わりみたいな痛みが走り、もう一歩でも歩いたら死ぬ……! という状態になり、ほぼ匍匐ほふく前進で帰宅している。

それでも一応、続けている。
「本当になんでこんな辛いことしてるんだろう?」と、怠惰が顔を出しっぱなしだけれど、そんな自分のクズな部分をこれまで何度も見てきていい加減うんざりしていたし、諦める姿を次男に見せたくないという思いが強かった。

それから、X(旧Twitter)でランニングについてつぶやいてみたところ「最大心拍数から適切な心拍数を計算して、まずはウォーキングからでも十分だから、ちょっとずつ慣らしていくといいですよ」と親切な人に教えてもらえたので、アップルウォッチで心拍を図りながら走ったり歩いたりを繰り返すことで、なんとか30分はもつようになってきた。

毎朝、体を動かすようになって、以前よりお腹もすく気がするし、心も軽やかになっている気までする。

怠惰の塊、もしかして、少しはマシな人間になれている……?

次男は無事、マラソンの練習に出るようになってくれたばかりか、実は長距離はまあまあ得意ということが判明したようで、わたしの心配をよそに「おれマラソン得意かもしれんー!」と、大会本番もなかなかの成績で完走した。

……本当によかった。わたしがアホなばっかりに危うく息子のランニング人生まで台無しにするところだった。

長男はわたしと正反対の夫に似てくれたおかげで、嫌なことから逃げたりするような人間ではない。残る怠惰な人間は、この家にはわたしだけだ。

これはいいきっかけな気がする。

……もっといい人間になりたい。辛いことからも逃げない、ランニングをしている方の人間になりたい!

子どもと生きることで、ダメ人間だったわたしにも、もう一度人生を生き直すチャンスをもらえている感覚がする。

よーし。
もうしばらくこのままランニングを続けて、一旦はランニングをしている人間になってみようと思う。一旦は。

あ、でも、やっぱり一日置きにしておこうかな?

……週に2回くらいでもいいかな?

残念!
明日は雨だから無理だなー、あー、走りたかったのに!


おしまい


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