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【5月5日】端午の節句に欠かせない「鯉のぼり」を知る🎏

5月の爽やかな薫風くんぷうになびく「鯉のぼり🎏」
現在、小野照崎神社境内でも元気に泳いでいます😊

5月5日は「こどもの日」🎏
端午たんご節句せっく」でもあるこの日は、子供の健やかな成長への感謝と今後の幸せを神様にお祈りをして、お祝いをする日です😊

当社では、この5月5日こどもの日🎏 10-15時半まで、夢絵師がこども達の夢を描く『こども夢びらき』を境内にて開催します🎵


◆「夢開き」とは? ~描く力で夢の後押しを~

当社御祭神の小野篁卿おののたかむらきょうは、芸術・芸能・仕事の神様。
狩野かのう派をもって博学広才はくがくこうさいにして人の及ぶところではない。その絵は神に至る。」本朝画史ほんちょうがし)と言わしめた絵画の神様。
また境内には「技芸上達ぎげいじょうたつ」の御神徳がある織姫おりひめ神社も鎮座しております。

そんな神様のお力をいただき、「描く力で夢の後押しを」とはじまったのが当社の「夢開き」です。

当社境内にて、プロのイラストレーターが
①子供の夢を聞いて
②似顔絵付で叶った姿を描き
③記念にお渡しいたします

絵師がお子様の願い事を伺って、似顔絵付きのイラストを描きます。

具体的な夢の達成へのイメージを深めてお参りをいただくことで、実現の後押しをお手伝いする取り組みです😊

『こども夢びらき』は、大人の方も現地で受付を行います
この機会に、是非皆さまでご参加ください🙂


◆5月5日の「こどもの日」・「端午たんごの節句」!

大型連休中の5月5日は「こどもの日」🎏

この日は江戸時代に幕府が公的な祝日として制定した五節句ごせっくのひとつ、「端午の節句」の日でもあります。

この日は「子供の健やかな成長をお祝いする日」ですが、特に男の子のいる家では鯉のぼりや五月人形などを飾り、ちまきや柏餅などでお祝いをします。

現在は新緑が溢れ、四季の中でも過ごしやすく爽やかな5月ですが、かつては1年で最もまわしい月(悪月)とされていた歴史があります。

というのも、現在の5月末~6月末にあたる旧暦5月は、ちょうど入梅にゅうばいの頃と重なります。

旧暦五月の入梅の頃は、伝染病や毒虫の害が起こりやすい「要注意の月」だったのです。

五月さつき晴れ」という言葉がありますが、新暦の爽やかな五月の空ではなく、もともとは旧暦の梅雨の晴れ間を表す言葉です。


◆「端午の節句」「ひなまつり」ふたつの子供の成長を祈念する節句

体調を崩しやすい「悪月」であったこの季節、人々は菖蒲しょうぶやヨモギで邪気を払い、厄を除こうとしました。

剣のような葉の形と強い根の香りが邪気を払うとされた菖蒲しょうぶは、邪気から身を守るためのもの。さらに“しょうぶ”という音が「勝負(しょうぶ)」「尚武(しょうぶ)」に通じることから、武家社会では特に大きな意味を持つようになりました。

現在でも菖蒲は家の屋根や軒下に差したり、お酒に浸して菖蒲酒にして飲んだり、お風呂に入れて「菖蒲湯」にして浸かるなどして用いられます。

雛まつりも雛人形に厄を移して流す“祓え”の概念から生まれたものでしたが、この日に飾られる五月人形も同じように、もともとは厄を人形に託して流すことから誕生したものです。

貴族中心の社会から武家中心へと移り変わった江戸時代には、前述の尚武しょうぶ」の節句としての意味合いが強くなり、次第に跡継ぎとなる男児の成長と、一族の繁栄を祈念するものになっていきました。

このような変遷により端午の節句では、戦場で身体を護る武具であり武士たる精神の象徴でもある「よろい」や「かぶと」を飾る風習が生まれ、女児の桃の節句に対する→「男児の菖蒲の節句」という側面が補完されていきました。


このようにして、かつては入梅の頃、悪月の始めに行った祓えの節句が、「男児の成長を一家を挙げて祝い願って、未来に想いを馳せる節目の日」と移り変わっていったのです😊


◆「登竜門を」潜り抜けて鯉は飛竜に成る

5月の澄んだ空をダイナミックに泳ぐ鯉のぼり。
力強く青空を泳ぐ鯉のぼりには、男の子が「様々な困難に打ち勝ち、立派に大成するように」という願いが込められています。

鯉のぼりも端午の節句には欠かせないアイテムですが、実は定着したのは江戸時代も中期を過ぎてから。
現在は色とりどりの鯉のぼりが見られますが、江戸の鯉のぼりは黒い真鯉まごいだけでした。時代を経るごとに、次第に緋鯉ひごい(赤)、子鯉(青)と追加されていったという変遷があるのです。

鯉のぼりは江戸の町民の間で生まれ、武家でも取り入れられるようになり、全国に広がっていったという経緯を持つ節句飾りですが、この鯉のぼりを飾る風習は「登龍門とうりゅうもん伝説」に由来します。

この「登龍門伝説」と、鯉の強い生命力や繁殖力が相まって、鯉のぼりは“子孫繁栄と立身出世を願う最強の節句飾り”として端午の節句に欠かせないものとなっていきました。


◆登龍門と「天神様」

そしてこの「登龍門」との浅からぬご縁があるのが当社御配神ごはいしんの菅原道真公。

板絵菅公像 佐脇嵩之筆 江戸時代 所蔵:太宰府天満宮

学問の神様として信仰の深い道真公は、33歳の若さで学者として最高の位であった文章博士もんじょうはかせになられ、類まれなる才覚で藤原家全盛の中、右大臣にまで登り詰めました。

天神信仰の原点の地、桃山時代に建造された太宰府天満宮の御本殿には、道真公のご生涯を登龍門伝説に重ねて、鯉の背に乗り登龍門へ向かう姿が彫刻されています。

普段は雲に乗っている道真公が、「端午の節句」特別御朱印では鯉に乗っているのには、実はこんな理由があったんですね…😊

太宰府天満宮にご参拝の際には、本殿向かって右上にある登龍門の彫刻にも注目してみて下さい⛩

画像提供:太宰府天満宮


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