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【小説】トロイメライのオルゴール

【月を拾う旅シリーズ:No.2】

 教会の前にある噴水の縁に腰掛け、礼拝が終わるのを待っている。
 ほんのり潮の香りがして、下り坂の奥に海面の煌めき。

 やがて人々が大きな扉から出てきたのを見て、入れ替わるように私は聖堂へ向かった。

「見れば分かる?」
「どうでしょうね」

 胸に抱いた黒いパグに尋ねると、頼りない返事。

 しかし、椅子に座る後姿に「あ、この子だな」と直感が働いた。
 実際、腕に掛けていた月傘がその子供を指し示す動きをしたので、当たりだ。

「少年、キミ一人?」

 気軽に声をかけてしまったが、怪しまれるだろうか。

 こちらを見上げる美しい銀髪の男の子。

「何か御用ですか?」
「キミ、月の落とし物を持ってるでしょ」

 少年は驚いた表情をし、スッと視線を逸らした。

「知りません」

 私にぶつかるようにして、聖堂を出て行ってしまう。

「……これは、後をつけてください、ってこと?」
「そんな訳はないでしょうが、ついていくべきでしょう」

 急ぎ足で追いかける。

 外に出たところで、たたんだ状態の傘を横にして、頭上に掲げる。
 すると傘は上昇し始めた。
 パグがその上に乗り、私は両手でぶら下がる。

 そのままフワフワと空中を移動する。

「これって便利ー! 自動であの子を追いかけてくれるんだね」
「我らが月の力は偉大なのです」

 ずっとぶら下がっているのはキツイので、足を着けられる場所で休み休み進む。
 数分ほど飛んだところで、傘が下降していく。

「おっ、見っけ」

 少年が後ろを気にしながら、路地を走っている。
 その進行方向に頭上から勢いよく回り込むと、風で窓辺のプランターから色とりどりの花びらが舞った。

「待って、少年!」
「うわっ!」

 不意をつかれた少年が尻もちをつく。

「わ、ごめんごめん」

 慌てて手を差し伸べる。

「な、何で追ってくるんだよ!」

 助け起こされながらも威勢がいい。

「だからぁ、月の落とし物。知らない?」

 少年は少しの間逡巡して、観念したように言った。

「……ついてきて」
「ありがと」

 やがて辿り着いたのは、大きな窓のある小さな家だった。
 植え込みの陰から少年が指をさす。

「ほら、あれだよ」

 ちょうど窓の手前の棚の上に、水色の箱が置いてある。

「あれ、何の箱なの?」
「オルゴールだよ」

 さて、どうやって回収したものか。

「でもあれは、爺さんのだから」

 部屋の奥に、ロッキングチェアで眠る老人の姿。
 私は老人と少年を見比べた。不思議だ。

「爺さんは、ウサギのお姫様に返さなくちゃって言ってた」
「ウサギのお姫様?」

 思わず、犬……の形をとっている月の人を見る。

「言っておきますが、月にウサギはいませんよ」

 衝撃。

「ええっ! う、嘘……ショックだぁ」
「そんなにですか」

 私たちのやりとりを傍観していた少年が、質問してくる。

「その犬、何?」
「ああ、この犬はね……喋って動くぬいぐるみ、みたいな?」
「私のことはお気になさらず」

 月の落とし物を探し集める旅の、お目付け役である。
 見た目は黒いパグだが、命の温かさはなく、あくまで仮の姿であるようだ。

「見たところ、あのオルゴールには王国の紋章がデザインされていますので、月の物なのは間違いないんですけどね」
「とにかく、ウサギのお姫様を探して聞いてみるしかないかぁ」

 その言葉に、少年が顔を輝かせた。

「本当? 探してくれる?」
「特に急ぐ旅路でもないしね」


***


 海辺の堤防で作戦会議だ。

「それで、手がかりはあるの? 少年」
「少年じゃない。ハルマだ」
「ハルマね。私のことはのんちゃんって呼んで」

「オルゴール、爺さんが子供の頃に、お姫様にもらったんだって」

 えっ。自己紹介をスルーされた。

「……元々は月の物だから、お姫様もどこかで拾ったのかな」
「我々が持ち帰るので、その方にお返しすることはできませんね」

 ハルマは海を眺めて言った。

「ただ、会いたいんだと思う。もう一度だけ」

 うーん、その気持ち、非常によく分かります。本当に。

「どんな格好してたとか、知ってる?」
「頭がウサギで……体は人間と同じ感じで、とっても綺麗なドレスを着てたって」

「それでウサギのお姫様、ね」

「出会ったのは、この浜辺」
「何か、海にウサギって不思議。山とか森の中に住んでそうなのに」

「海を見てみたかった、って。一度も見たことないから」
「なるほど。オルゴールの特別な力でここへやって来たのかも」
「でも、爺さんがオルゴールを鳴らしても、何も起こらなかった」

 もしかして条件とか、あるのかな。

「あのオルゴール、こっそり持ち出せない?」
「爺さん、最近はずっと寝てるから、できる……と思う」

「実際に使って確かめてみようよ」


***


「はい、これ」
「おぉ、凄い! ありがとうハルマ」

 オルゴールを差し出すハルマの頭をポンポンと触る。

「どれくらいの間、気づかれないでいられるかは分からないぞ」
「じゃあ、ハルマはおじいさんを見張っててよ。もし目を覚ましたら、うまくごまかして」
「はあ……しょうがない、分かったよ」

 私と月の人はとりあえず、噴水広場に移動することにした。

 ベンチに座って、オルゴールを観察する。
 正方形の蓋に、紋章が装飾されている。

「月の王国の紋章か。あの日記の表紙にも、あったね確かに」
「王の持ち物には、基本的にしるされることになっています」

 下から覗き込むと、巻きネジを見つけた。

「じゃ、鳴らしてみよっか」

 ゆっくり、ネジを巻けるだけ巻いてみる。
 そして蓋をそっと開けた。

 美しい音色に包まれる。
 あっ、この曲、聞いたことある。ピアノの、有名な……。


***


「……はっ!」

 ここは? あれ、いま何をしていたんだっけ?

「ははあ、そういうことですか」
「えっ、どういうこと? 説明して!」

 黒い犬が手鏡を渡してくる。

「鏡、見てみてください」

 受け取った鏡に映っているのは……。

「子供、ていうか私。……子供? はぁ?」
「オルゴールの力で、星の子は子供の姿になってしまいましたね」
「えーっ、じゃあ子供になっちゃうのが特別な力?」

 月の人が私の周りをぐるぐるしながら観察する。

「どうやら本体ではないみたいですね。分身、といったところでしょうか」
「本体はどうなっているんだろう」

「元の場所にあるんでしょう」
「そういえば、ここはどこ?」

 辺りを見回すと、森の中みたいだ。
 森ということは、もしかして。

「子供の姿になって、望むところに行くことができるって感じですかね」
「いま私が望んでいるのは、ウサギのお姫様に会いたい、だもんね」

 私たちは探索を始める。この近くに探し人がいるのかも。
 ん? じゃあ何でおじいさんは……。

「おわぁっ!」

 考え事をしながら歩いていたので、足元に伸びていた木の根につまずいて、盛大に転んでしまう。

「貴方、大丈夫ですか?」

 頭上からかけられた言葉に顔を上げると、声の主は、まさに探し求めているその人だった。


***


 明るい草原に出たところで、お姫様にこれまでのことを説明した。

「それでは、貴方はわたくしに会いたいという方のために、ここへいらっしゃったのですか」
「そうです。その出来事は随分前のことになると思いますが」

 高貴な佇まいに緊張してしまう。

「よく覚えていますよ」

 お姫様は静かに目を閉じた。

「わたくし、どうしても海を近くで見てみたくて」

 それはそれは広大で美しい光景だったと言う。

「あの輝きは今でも鮮明に思い出すことができます。そして、そこで出会った少年のことも」
「そう、その人!」

 おじいさんとの記憶が語られたことに、つい興奮してしまう。

「初めて見る景色に気分が高揚して、わたくし砂に足を取られてしまって。困っていたところを、手を引いて歩いてくださったのです」

 キラキラ光る海を背景に、手を取り歩く少年少女のシルエットを想像する。
 何てロマンチックなんだろう。

「もう一度、会ってくれませんか」

 ポケットにしまっていたオルゴールを取り出して見せる。
 お姫様は、懐かしそうに目を細めた。

「それはあの日、砂浜の君にお礼として置いていったものですね」


***


 ベンチで目を覚ました私は、おじいさんの家に向かった。
 扉をノックすると、ハルマが迎えてくれた。

「どうしたんだ? 爺さん起きちゃうよ」
「おじいさんとお話をしに来たの。大丈夫、大丈夫」

 ハルマを軽くかわし、ロッキングチェアに近寄る。
 跪き、おじいさんの手を取って声をかける。

「おじいさん、起きて」

 静かにゆっくりと、目が開かれる。

「おはよう、ハルマ」
「僕は……、夢を見ていたのかな。子供になって、君と出会ったね」

 部屋の中に少年の姿はもうない。
 少年とこの老人が同じ人物であるということは、初めてオルゴールを見に来たときから分かっていた。
 ハルマ少年自身は不完全な力の影響か、自覚がなかったようだが。

「ウサギのお姫様を見つけたよ」

 老人のハルマは、信じられない、という顔をする。

「本当かい? どうやって」
「オルゴールの力……子供の姿で望む場所に行ける力で。でもね、ネジを完全に巻ききってから使わないと、中途半端な効果になってしまうんだって」

 お姫様に教えてもらったのだ。

「だから、ハルマは少年の姿の分身にはなれたけど、望みを叶えることまではできなかったみたい」
「そうだったのか……」

「それでね、私たち、お姫様に会ってきました」
「彼女は……あの人は、何と?」

 私は口元が緩むのを必死にこらえる。

「それは直接聞いた方がいいかな。さ、出かけよう。支度して!」


***


 明るい月夜の道に、二人と一匹の影。
 私はハルマ老人の手を引いて、ゆっくりと歩いた。

 お姫様と待ち合わせている教会に着く。
 逸る気持ちを抑えて、大きな扉に手をかける。

 ゆっくりと開いた扉の正面、月光に照らされた巨大なステンドグラスの美しさに目を奪われる。
 その下に、尋ね人のシルエット。
 目を見開いたハルマは、わずかに震えながら近づいていく。

「ずっと……ずっと、再び貴女に会うことを夢見ていた!」

 オルゴールの効果で子供の姿になったお姫様が、パッとこちらに振り向いた。

「わかりますか、僕のこと。こんなに年老いてしまったけれど、心残りがあるまま生涯を終えたくはなかった」

 お姫様はハルマの手をその両手で包み、顔を輝かせた。

「やっと、貴方のお名前を教えてもらえますね? 砂浜の君!」
「僕の名は、ハルマ……」

 聖堂の一番後ろの席に座る私の目には、頬を紅潮させて語り合う少年と少女の姿が映っていた。
 オルゴールの奏でる甘い旋律に、うっとりと耳を傾ける。こんな夜にふさわしい。


***


 私と月の人は教会の屋根の上に降り立つ。

「さて、月の落とし物を一つ回収できたわけだけれど」
「こちらへ」

 パグが口を大きく開ける。

 そこへ恐る恐るオルゴールを差し出すと、それはあっという間に飲み込まれてしまった。

「大丈夫? お腹こわさない?」
「この姿はただの器のようなものですので……」

 そういえば、と前から気にしていたことを提案してみる。

「月の人さ、何かあだ名をつけて呼んでもいいかな?」
「星の子がそうしたいのならば」

「その見た目に合った呼び方にしたくて。うーん、どうしようかな……」

 クロ、パグパグ、ツッキー、……どれもピンとこない。
 いい名前ないかな……そうだ!

「ハルマにしよう! ここでの出会いの記念に。勝手に借りちゃうけど」
「確かに、素敵な名ですよね。承知しました」

「よし! ハルマさん、次の国へ行こう!」
「わん」

「犬の鳴き真似、下手だね!」

 思わず大きな声で笑ってしまった。


【続く】

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