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No.1228 たとえばの君

♪  たとえば君がいるだけで
 心が強くなれるから
 何よりも大切なことを
 気づかせてくれたね~
ご存知、米米CLUBの名曲「君がいるだけで」(1992年)の歌詞です。
 
大学時代に、親しい友人が出来ました。北海道出身のN君、新潟出身のAさん、東京出身のSさん、埼玉出身のM君、神奈川出身のK君、名古屋出身のY君、静岡出身のF君、そして、大分の私です。
 
大学1年の時の同じクラスだったり、途中から仲間になった他クラスの人だったりしましたが、気の置けない間柄になれたのは、研究分野や対象作家・作品こそ違え、まじめに学業に励み、いろんな悩みを語れる人々だったからだろうと思います。
 
その学友の中に、人の話をちゃんと最後まで聴いた後に、
「たとえば?」
と必ず問い直す男がいました。話が抽象論では埒が明かない、具体的で身近な例話をもって、より分かり易く説明せよというわけです。言われてみれば、至極もっともです。私は、そんな彼のことを秘かに「たとえばの君」と呼んでいました。
 
ところが、我々は、感情をも綯い交ぜにして理屈(へ理屈?)ばかり述べるのですから、彼の要求に応えられないことしばしばで、絶句するのがオチです。しかし、それでは相手への説得力に欠けるのだということを、この「たとえばクン」に教えられた気がします。
 
「何よりも大切なことを気づかせてくれた」N君は、今、千葉で教壇に立っています。彼の授業は、きっと具体的で分かりやすいものでしょう。
 
「たましひの たとへば秋の ほたる哉 」
 飯田蛇笏(1885年~1962年)
「芥川龍之介氏の長逝を深悼す」という前書のある句だそうです。
「亡き人の魂魄は、たとえてみれば秋の蛍のように薄く青白い光を曳いて闇の中に消えてゆこうとしている―。」
そんな解釈がほどこされていました。みごとです。
 
見事と言えば、5月3日の朝ドラ「虎に翼」第5週「朝雨は女の腕まくり?」(第25話)は父・直言が連座した「共亜事件」の判決言い渡しの日でしたが、裁判長の読み上げた判決文は、検察のでっち上げの捜査と罪状に対し、
「あたかも水中に月影を掬い上げようとするかのごとし。」
と明快に非難した見事なものでした。朝から胸のすく15分でした。
たとえばく~ん!


※画像は、クリエイター・スズムラさんの、AI画像生成による「月」の1葉です。お礼を申し上げます。