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15.【ひとりっ子の私と親の終活】とりあえず87歳母が退院することになりました。

4月5日から緊急入院していた87歳母。今日、外科の先生とお話して、ひとまず退院することになりました。これまでのお話はこちら↓↓

87歳母がすべての家事をしていたので、ひとり残され「箱入り親父」化している86歳父は、認知症がどんどん進行してる感じがあります。今朝、内科の先生に血液検査の結果を教えていただいたら、糖尿病がヤバいレベルになってるということで、お薬をいただき、要介護認定の主治医意見書も書いていただきました。

通える範囲に、かかりつけ医を持っておくことって、本当に大切。

若い頃、健康な頃は、医者なんて、病院なんて、近寄りもしないけど、歳を重ねるほど親しさが増すのが、病院です。ご自身の、または、ご自身の親御さんのお近くで信頼できそうなお医者さんをリストアップしておくことは、後々とっても役立ちますので、今のうちに、アンテナを張っておかれるといいと思います。

さて、87歳母は、驚異の回復力で、黄疸の数値が下がり、5月3日にひとまず退院することが決まりました。とはいえ、5月23日に内視鏡手術(ダヴィンチというロボットで手術)するので、20日には、再入院となります。

母は入院中、10キロ痩せてガリガリになりました。これでは、退院したところで、今までの様に元気にお買い物に行くことは難しく、家事もままならないと思うので、ひとまず86歳父と同様、我が家へ父と二人で晩御飯を食べに来てもらうことを提案。

母は笑顔で頷きましたが、退院してみないことにはどう転がるかわかりません。が、私たち家族4人が実家へ行ってご飯を食べると、片づけ等の負担が母にかかるので、我が家に来てもらう方がいいだろうと判断しました。

行きは、歩きで20分ほど。帰りは車で送ります。

何気ない日常生活が滞りなく送れるって、十分以上に幸せなことです。
日常生活は、生きることそのもの。
だから、
日常生活が送れるということは、当たり前ではありません。

特別なイベントが無くても、ただ毎日を平穏に過ごせるということは、実はとっても恵まれていたんだなぁと実感しています。

「当たり前」ではなく、「有難い」(あることがむずかしい)という思いを、55歳になった今日、改めて感じました。

これまでのお話は、こちらのマガジンで読めます。


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終活って、ひとりでやろうとすると、途中で挫折したりします。趣味:終活って言ってる終活プロデューサー(終活P)の私を頼ってください!多分お役に立てると思います。