書き損じツイート2.病みツイという行為そのものの意義について メモ

本論を始める前に:
このnoteは、吐き出す場所も特定の相談相手もおらず、病みツイをすることで心を守っている人を批判するものではありません。
※助けてくれる人はいます。どうしてもダメになる前に相談しましょう。相談相手は1000人に1人まで選べと言います。その人はきっと貴方を見守り、その後も助けになってくれるでしょう。その人に報いるように、幸せを掴み取ればそれでいい。


読み手:
病みツイは人に配慮を求める行為
(無意識下にも有意識下にも)
同じく病める人を刺激するもの
心配で生活に手がつけられなくなる人にとってはその人の人生を邪魔しているのと同義(自他の区別は付けるべき)
病みツイは攻撃、もっと言うと
「 にたい」と言うのは攻撃
ただ、「上手く生きられるようになりたい」といった目的を持ち、理由をセットで打ち明けるならときに有効

書き手:
吐き出すことでストレス発散
読み直して「なるほど」と思うため

死にたい
とツイートする行為が死にたい気持ちを和らげるとすればそれは何故か
死にたいと思っているんだ、辛いんだ、分かってくれ、と訴えることが擬似的な報復に繋がるからなのではないか
FFの中には傷付けたくない人もいるだろう
なんなら そんな大事なことを呟けるくらい心の開ける相手がいるのかもしれない
多くの場合、死にたいと漏らせる場所は、ネットの海、もっと言うとその要因となっている環境ではない

(途中)


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