中嶋望 | Nozomi Nakajima

観て、聴いて、感じたことを書きます。 描いたり、作ったりします。

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最近の記事

【鑑賞ログ】デ・キリコ展

前回のつづき。 観たいけど帰りたいという、支離滅裂な心と身体でなんとか上野駅までやってきた私は、上野公園で行われていたフィリピンフェスの誘惑に屈することなく、東京都美術館までやってきた。 鉄板焼きの美味しそうな匂いが、美術館の前まで漂っていた。 帰る時にまだやっていたら寄っていこうかなと思いながら、エスカレーターを下る。 ここのエスカレーターはいつもドキドキする。 中間踊り場付きエスカレーター(?)というやつで、途中、ベルトが水平になる部分があって、何回乗っても楽し

    • 5月は遅れてやってきた

      しばらく、心が硬くなってしまったのか全く動かない。 悲しくないとか、嬉しくないとかそういうことではなくて、心が湧き上がるような感動がない。いや、でも思えば喜怒哀楽もあんまりないかもしれない。 ある意味、不感症と言われればそうなのかもしれない。 何故だろう。原因が全くわからない。 これはnoteを始めた時と似ている。 あの時は頭がいっぱいいっぱいで、なんだか思考に霧がかかったような感じだった。 ただ、あのときと違うのは、思いつめていることも、悔やんでいることもないとい

      • 良いことを見つけてみる?

        最近、ちょっとまずいのかもと思うことがある。 欲しいものがなかったり。 食べたいものがなかったり。 行きたいところがなかったり。 食指が全然動かない。 ゆるく家計簿をつけているので、レシートなんかを集めて5月の収支をつけていると、生活に必要なものと画材くらいしか買っていなかった。 生活を豊かにするのは、生活に必要のないものだと思っているので、困ったなと思った。 食べたいものがないというのは、食欲がないのとは違う。 粗末ではあるが、自分で作ったものを食べるべき時に食べ

        • 太陽に向かって

          私はかなりの方向音痴である。 だが、私の数少ない友人たちもみな方向音痴なので、その実あまり気にしていない。 たまに、迷子にならない人に遭遇することがある。 どうして迷わないかを尋ねると、 「逆に、どうしたら迷子になるの?」 と憐れみが入り混じった嘲笑を浮かべられる。 迷子にならない人たちは、迷わない方法を知らないらしい。 いや、本当は知っているけど教えるつもりがないのか、それとも教えたところで無駄だと思っているのかもしれない。 まぁ、そんなことがあり、迷子にならない人た

        【鑑賞ログ】デ・キリコ展

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        • 鑑賞の記録
          9本
        • ポートフォリオのようなもの
          10本
        • 描画研究
          20本
        • わたしの暮らし
          4本
        • 人生アーカイブス
          1本

        記事

          描きたいものの見つけ方

          前回のnoteを書いたあと。 ふと、そういえば自分も絵の描き方を教わったことがないなと思った。 高校と、予備校と、大学で7年もアートやデザインについて学んできたわけだが、具体的なことは何1つも教わっていないのだ。 それは普通のことなのだと思う。 誰から教わることでもないし、ルールがないからだ。 ルールがないからといって、白い紙と、色鉛筆を用意して、 「なんでも好きに描いてごらん」 と言うのは、あまりにも突き放しすぎだと思うのだ。 かく言う私も、そのように人に言ってしま

          描きたいものの見つけ方

          必要なのは画材ではない

          結構前から、いま制作中のものの制作過程をnoteに投稿していきたいなぁと考えていながら、どう書いていけばよいのかわからず、かなり悩んでいる。 起きている間中、ずっと考えている。 正直、これを考えることに注力しすぎて、肝心の制作の方が滞ってきたので、困っている。どうしたものか… 今日も、今日とて、どうしたものかなと考えながら、道を歩いていたら急に思い出したことがあった。 大学生の頃、中学時代からの友人が家に泊まりに来た。 彼女はいままで美術関係の話は1度もしたことがなか

          必要なのは画材ではない

          抗えぬ無情

          17年暮らした実家のリビングで、兄を背後から突き刺した。 しばらくして動かなくなった死体を右足で踏みつけ、背中から柳刃包丁で心臓の辺りを四角く切り捌き、心臓を丁寧に取り出した。 途中、近くに掛けられていたアンディウォーホールの黄色い車の絵に血飛沫がかかった。それに無性に腹が立って舌打ちした。でも、アクリル板についただけだから後で拭けばいいと思った。 死後硬直が始まる前に、死体の関節という関節を折り曲げ、出来るだけコンパクトにしてから、私は脱衣所へと向かった。 そこで絵

          雨に嫌われているような気がする

          最寄り駅で電車を降りた。 いつものように、見晴らしの良い場所で空の写真を撮ってから、帰路に着く。 昨夜は、ほとんど眠れなかったので、大きくあくびをした。噛み切ろうと思ったけど、堪えきれなかった。 念のため、口の前に手のひらをかざしておいてよかった。かざしていなかったら、正面から向かってくる疲れたサラリーマンに、喉の奥までお見せしてしまっていたことだろう。 先程まで雨が降っていたようで、土と草が湿って、もわんとした匂いがした。 なぜかいつも、この匂いを嗅ぐと、尻尾をく

          雨に嫌われているような気がする

          鑑賞ログ『月岡芳年 月百姿』

          日曜日の昼前、私は山手線を原宿駅で下車し、表参道口を目指した。 前日の夜はこれでもかと言うほどたっぷりと眠ったのにもかかわらず、出かける前からとても憂鬱だった。せめて美術館だけは混雑していないでいてくれと祈りつつ、ため息をついた。気が重い。 以前から、太田記念美術館という、浮世絵を多く収蔵する美術館の存在を知ってはいたものの、立地のせいでなかなか行く気になれなかった。だが、先日、八王子市夢美術館に掲示されていた『月岡芳年 月百姿』のポスターが目に留まり、企画展が終わるまで

          鑑賞ログ『月岡芳年 月百姿』

          料理名はポテトミルフィーユグラタンというらしいです。

          久しぶりに10時間近く眠った。 上半身だけを起こして、伸びをして、およそ独り言と思えない声量で独り言を言ったあと、数十分だけ布団の中でうだうだして、12時前にようやく布団から抜け出した。 寝ている間に、身体が一体何をしているのかは知らないが、それなりの疲労感があった。その一方で、心はとても晴れやかだった。 晴れやかすぎて、寝る前は「今日は絶対に出かけないぞ」と思っていたのにも関わらず、出かける気満々になっていた。先日から行きたいと思っているところがあるのだ。 外食が苦

          料理名はポテトミルフィーユグラタンというらしいです。

          諦めるか、諦めて続けるかしかないのか

          最近、本当に暑くて、寝ていても暑くて目が覚めることもあるし、朝起きた時に寝汗をかいていてシャワーを浴びなくてはいけなくなったり、昼休みに外を散歩したいのだけど、暑いからやっぱりやめとこうかなって手持ち無沙汰になって、室内でウロウロしてみたり、最近観ているお気に入りのドラマの展開が暗い方へ向かっていたりしていて、そういう小さい積み重ねがある。 別にそれで疲れたということではないし、なんてことはないが、名前のつけられない時間に考える答えの見つからないことの内容が、批判的な考えば

          諦めるか、諦めて続けるかしかないのか

          デジタル一眼レフカメラの面白さ

          今日、人のカメラを使わせてもらう機会があった。 一眼レフはCanonのものしか使ったことがなかったので、Nikonのカメラを貸していただき、いつものように使おうとしたら、あるべきところに欲しい機能がなくて、なんのためについているのかわからないボタンやダイヤルがたくさんあって、あわあわしてしまった。 何より、オートフォーカス専用のボタンが存在していることにとても驚いた。ピントを合わせる為だけにボタンを設けるだなんて、すごいね。 少しだけ教えてもらいながら、なんとなく仕組み

          デジタル一眼レフカメラの面白さ

          たまに人間のふりをすればいい

          過去のnoteでもたびたび書いてきたが、私はナマケモノが好きだ。 ナマケモノのぬいぐるみは5匹もいるし、通りすがりの雑貨屋で目にしたときには、両脇をつかんで、目を覗き込み、「きみもうちにくるかい?」と勧誘したりもする。勧誘しておいて難だが、これ以上増えると私の寝床が狭くなるので、連れて帰らない。だから、集めているわけではない。 私が”なまけもの”という言葉を知ったのは、小学生のとき。 学祭かなにかの準備をしていたときに、作業せずに地面に座り込んで遊んでいた男子に向って、

          たまに人間のふりをすればいい

          もう言わないから

          昨日のnoteを読み返していて、どうやって人を叱ればいいのかと首をかしげていたら、ここ1年半間で友人に叱られたことをいくつか思い出した。 その日、私と彼女は東京駅近辺で飲食店難民になっていた。 丸の内口から八重洲口方面に向かいながら、食べたいものに近い店をしらみつぶしに回っていて、ヤエチカでようやく理想的な店を見つけて、席に着いた。 席について「これにする?」「あれもおいしそうだよね」とわちゃわちゃしながら注文を決めて、料理を待ちながら、今日お互いが撮った写真を見せ合った

          もう言わないから

          罪と罰

          友人が行きたいという展示を観に、遠方まで足を伸ばした。 いつもながらに大幅に遅刻してきた彼は、小走りでやってきて、「いやぁ、ごめんなさい。休日ダイヤなのを忘れてた。」と言う。 私と一緒に彼を待っていた友人は、「もう!遅い!」などとやいのやいの言っていたが、「はい、じゃあ行きますか」とぶった斬って、目的地へ向かった。 彼のことを想えば、きちんと心に刻みつけるほど叱ってあげた方がいいのかなとは思うけれど、そこまでの優しさは持ち合わせていないので、何も言わない。 彼が、大事

          つくるのはじまり #0

          無理なく続けられることを見つけることからはじまるのだと思う。 たとえば、 なんとはなしに紙をハサミで切ることかもしれないし、 えんぴつで線を引くことかもしれないし、 粘土をいじることかもしれないし、 紙をテープでくっつけていくことかもしれないし、 色を塗り広げていくことかもしれない。 本当になんでもいい。 このとき、何を表現したいかとか、良いものを作らなきゃとか、そんなことは考えなくていい。 逆にやったらいけないこともない。 頭を空っぽにして、ただ、没頭して手を動かすこ

          つくるのはじまり #0