九月
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モーゼになって「どうもー!」って言いたい
お笑い芸人は「どうもー!」と言いながら舞台に登場する。
漫才師は常にそうだし、コント師もライブのオープニングでは「どうもー!」と言いながら登場する。僕はあの瞬間が好きだ。芸人の色気が出る瞬間の一つだと思う。
緊張感と期待感がある場の空間を、声一つで切り開いて、自分のものにしてしまう感じ。上手い人だと、本当に声が空間を切り裂いていくのが見える。そのたび、なんか「モーゼだな」と思う。
お笑いに限
「時代の文体」について考えている
10年くらい前から「時代の文体」について考えている。
前史としての「テンポよく悩むキザ」文体
以降、僕のおおまかで雑で主観的な理解。あくまでも自分の近くにやってくる文章の文体の話であって、学術的な整理ではないことに注意。
まず、もともと文章の言葉は書き言葉がメインだった(はずな)わけで、そこからのずらしとして口語体での文章があった(はず)。
が、サリンジャー〜庄司薫〜村上春樹あたりの流行か
くぐると何かがありそうな所をくぐる
『雪国』の書き出しの凄さ
川端康成の『雪国』の書き出しは、たぶん「雪国であった」という述部が凄いのではなく、「国境の長いトンネルを抜けると」という前フリが凄いのだと思う。
「国境」というのは国と国とをまたぐ箇所であり、向う側にあるものへの想像力を掻き立てられる言葉だ。どこかの海の向こうの曖昧な地平線が見える。背の低い草が生い茂っているのが見える。飛び交う羽虫が見える。雄大な大地をズシンとえぐり
インターネットに潰されないように、どうかご無事で
九月と名乗って芸人活動をしている。養成所は出ていないし、事務所等にも所属していない。芸人じゃないと言われたらそうなのかもしれない。
活動の大半は単独ライブであり、実態としては「舞台中心の旅芸人」という感じだ。フラフラになりながら一人で各地を回り、なんとかライブで食っている。その傍ら、時たまこんなふうに文章を書いている。依頼が来て、各媒体でコラムやエッセイを書くこともある。書籍を一冊出版している。
物書きになる人生と、物書きにならない人生
20代前半の頃、僕は「物書きになりそうな奴ら」と遊んでいた。全員いけすかない奴らだった。全員が変な服を着ていた。そして全員が見た目ほど変な奴じゃなかった。温かい、優しさとかのある奴ら。ただ変な服を着ていて、とっつきにくいだけの奴ら。ケレン味とハッタリとしゃらくささで生きてる奴ら。僕は彼らが大好きだった。
どいつもこいつもブログをやっていた。みんな気ままな日記や随筆、映画や文学の評論、詩や戯曲や小
英語学習とインターネットの相関教育システム論 ─「ミーム英語」から「英語ミーム」へ─
相関教育システム論?
出身大学の話はよく聞かれるけれど、そんなことよりもっと細かい専攻の話をしたい。ちょっと専攻の話をさせてくれ。
学生時代、僕が所属していたコースは「相関教育システム論系」である。したがって、履歴書のうえで僕の専攻は「相関教育システム論」となる。相関教育システム論、聞き慣れない言葉だろう。
それがどういう意味なのか、実は僕も知らない。僕に限った話でもない。在籍していた誰も
「大学は勉強する場所だから、入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」という文の意味が、あんまりわからない
「入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」
AO入試を導入する大学が増えてきたからだろう、「大学は勉強する場所だから、入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」という意見をよく目にするようになった。
僕自身は今後大学入試を受ける予定がなく、大学教員をしているわけでもなく、受験産業に関わっているわけでもない。当事者でもなんでもない。たかが制度の変更の一つ、「無関係に暮らしを営む」とひとたび決め込ん
「なぜ学校に行かなければならないか」と聞かれたとしたら、どう答えるか
”mond”の僕のアカウント宛に来た質問文より。
◀九月の回答(原文ママ)▶
九月と申します。くがつと読みます。なぜ学校に行かなければならないか、僕もあんまり分からないまま、学校に行ったり行かなかったりして大人になりました。学校それ自体に対する疑問はずっと自分の中にあって、大学では教員養成ではないタイプの教育学部を選択しました。教育について、ちゃんと考えてみたかったんです。
在学中はオルタナ
なぜか、本当になぜか、「ネトウヨの皇帝」が僕のファンだった話
恐らく僕しか経験していないであろう、かなり不思議な思い出のことを書こうと思う。
数年前、Twitterで大暴れしていたアカウントがあった。そのアカウントは、ジャンルでいうならば「ネトウヨ」だった。本人自身が「ネトウヨの皇帝」と自称していた。皇帝のフォロワー数は10万人を超えていた。結構ちゃんとデカい。それでいて煽動的なデマツイートが多く、かなり悪質なアカウントだった。デマに右も左も保守も革新もな
あらゆるスピーチを一本槍で貫いた校長の話
退屈といえば、焼肉食べ放題の後半と校長先生のお話である。特に校長先生のお話である。焼肉食べ放題の後半には「焦げた肉をもっと焦がして遊ぶ」みたいな遊びしろがある。マナーこそ終わっているがつまらなくはない。その点、校長先生のお話はヤバい。遊びしろが全くない。
校長先生の話を好んで聞く人間なんか、この世に存在するのだろうか。長いし、説教臭いし、かったるい。夏場なんかは体力のない奴から順番にぶっ倒れる。