下書き

生きてるからツラいって、そんな事、言ってる暇があるからそんな事を考えちまうんだよ。
そんな間が合ったら、そんな事いってる間なんかない。
自力を付けつためには持たざる者が自分が持ちたいものを勧化て真剣に生きるから現実で、その現実で、みたいな綺麗な言葉で上手く甘く包み込まれている現実の中にある日常風景に幸せや背景する物語なんかを想像して好む僕は今日もどこかで生きています。

僕はのうのうと生きていくのでしょうか。
今も、今の今も、こうして、きっとどこかで必ず生きています。
今は時間が無いから、一言

いつかの未来の為に、繋がっておきましょう。

幸せなその世界の僕を見せたい。

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コンビニエンスストアで過去の僕とすれ違った話。

これも何度も話したし書いても来た事。

スーパーマーケット、ドラッグストア、ディスカウントチェーン、デパートみたいなところ。
○○みたいな所。

何々みたいなというのが大事だと思う。
ここのこの感じが懐かしい。
ここのこの空気感はあの空気を知っていないと分らない。
この雰囲気がその人故人の中では何か完結していて、その要素や当てはまるポイントがあると似ている物の度合いが当たって息のだと思う。僕がそう。

あと、自分の「もし」「たれれば」だった、それがあった話の妄想なのか。
これも僕の生きた証だと思う。

これからパソコンの進化で、ひとつの事を何か勉強して自分の手にする為に必死で頑張って生きて楽しむのが人生だからね。必死で全力で幸せになりましょう。

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人間は本当にしないといけない事はしない

「自分が言ってる、その「いざ」も人それぞれ」

分かり切った上で、苛立ちは今も年中ある。
数年前は挨拶をする事を悩む相手。相手にするだけ無駄な時間。
ただ事情は知らないけど、僕から見て覇気がなかったその人が、ここ数か月で急に人が変わったように派手に明るい。
何なんだこの適当さは。

ここまで人間は何やってるかも分からないし、腹の中も解らない。
金持ってるのかも分からない。何考えてモノ言ってるのかも分からない。

マジで馬鹿かイかれてないと、本当に頭がご乱心か、心模様が荒らしでも楽しく毎日出勤できる鋼のメンタルがいると笑ってる。

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どんな相手だろうが、関係性は事情や今までの経緯もある。僕も同じ。
人生色々は色々を加味するだけの、得体のしれない、底を、見せないだけの色が必要なんだろうなと思う。

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人間は本当に死なないとならない事を死なないけなくなるまで、本当に何もしたくないの極地にいるのが人間だと僕は思う。

どうでもいい事を考えているから上手い事言えたと一瞬でも偶然に思い出せたこの話は僕だけの記憶ともうろう行ったり来たりのファンクラブなのであろうじゃないか。

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あの死にかけた一件って何だよ
あの話ってあの例のって、お前どんだけあんねんって。
お前のその無茶苦茶な話相変わらずで好きやで、息子みたいで
こんな兄弟居たらマジきもいけど、兄弟の苦労も一人っ子の苦労と同じように良い事も悪い事も何ひとつ解り合えないからね。死んだってわかり合えない事は物事には、僕はもう一切考えないように、関わらないようにしてる。

そんな事言っているうちに、他にもするべき事はあった。
それは僕が決める事。
人が決めて良い範囲で僕が決める事。
自分の人生は自分で決めて自分が考えて実行するだけの事。

僕も人に対して責任や、どこまでしてあげられるのか、みたいな事を考えるのもあほらしくなってきた。

一気に一言で。

センチメンタル過剰でいつまでもそこで立ち止まって見ている世界じゃないぞ!って。

死にたくなるくらいのような事の話くらいは死ぬほどあったわ。
けど、今こうしているから、結局はこそもそうなってしまう訳だけど。

その、そういった彼女のその夕焼けにうつるその姿は、僕の記憶か妄想か、幻か、嘘偽りない四季巡る。解っていないの。解ったような風になって気を吹かしているだけ流行り言葉、狂気狂人病。

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幸せの形とは何だろう。幸せに定義って何だろう。
その答えを探し求めるのが人生だと思うし、色々言ってしまうけどそれもこれも、ありがと、ごめんね。そんな感じかな。今は。今はまだ。ね

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自分が好きな物を集めて、自分が大好きなものだけを部屋中に目いっぱい敷き詰めて、飽きるまで飽きることなく。

ここで大事なことは、飽きる事は飽きるまで、飽きない事が前提になりません、そして本当にそこまで言えるほどかけて好きならそう簡単には変わらないと僕は真剣にそう思うんだけど。

とりあえず、僕は人間のここの進化で突然変異ではないのだけど、というより突然変異と言われたくないし言わしたくないんだけど、この僕の色々ある努力や過程も諸々全部ひっくるめてどうにかして。

そんなあれも欲しいこれも欲しいもっともっと欲しい現代人と、その中で本当に大切なもの。
それは自分が辛い時、自分がそのいざ辛かった日。
どうしようもない、どうしようにもなかった時、瞬間、連夜、連日。
そういう辛い繰り返し栗重なる不幸の中で信じるのは己だけかもしれないけど、愛する家族や大切な存在があるのが幸せの魂の距離だと僕は思うのです。

僕は死ぬまでに、僕にそれを教えてくれた人に、最後はその人と一緒に居たい。

そこで僕は僕らが生きるという事、壁です。
壁を超えるか超えないかで、変わる人もいれば変わらない人もいるし。
変わるかそれを抱えてどう生きるかだと思います。
変わる事への変わり方だと思います。

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