いつから

生きているのが辛いのではない。
生きるのが辛いんじゃない。
生きていてもロクなことが無い。
生きていても良い事なんかもう無い。

それって、そもそも期待しすぎだったりする。
人間は最初の感動や衝動ってものは大きくて特別なものになると僕は思っている。だから、求めているものがあればそこに求めるレベルも自然と大きく高くなってしまう。記憶の美化もあるだろうし、人間の欲の強さが自分自身で誤解や解釈を間違えさせたりもする。

これから自分が幸せになるイメージが出来ない。

だから、生きているのが辛い、というよりか、生きていても良い事もロクなことも無いから、今すぐは嫌だけど生きていたくない。

痛いのも怖いのも嫌だけど、将来の不安とか心配とか、ずっと一生楽できずに死ぬまでこんな生活が続いてボロボロになって最後死ぬだけの人生をさせられていると思うと。

今の僕でも怒りよりも苦しさが強くなってくる。

だから楽に死にたいですと嘆いている訳ではないからね。

・・

いつからそんなたいそうな事、対それた事いうようになったのかと考えた。

子供の頃。物心がついた頃。違う。
学校に行き初めて、自我があろうが無かろうが子供は子供。

小学生に社会や大人の事情や人生なんて理解も出来ないし、中学生も大人になってくると言われたところで昔から中学生なんてサルの延長線上だと僕はずっと思っている。

だから人による、家庭にもよるけど、年齢的にも、経験的にも大人になったと大人になったような風を吹かせて。恥かいて、いつか周りからの評価や視線が、自分の中の事故評価の認識との相違点が少なくなってくると。

大人として少しは認めてもらえるようになっていくのかなと思っています。

・・

いつから、何が楽しくて、何がしたくて、何を幸せと言いだしたのか。

最初はゲーム(おもちゃ)が欲しいだけだった。

そんな感じだろうか。
僕は人が好きな分、そういう人気者や好かれる人になりたいとは思っていない。精神が以上に疲れてしまう。

だから、僕は僕が好きな人から認められたかった。褒められたかった。
受け入れられるなら応えたかった。
理想の自分像と幸せのひとつの妄想が近かったのかなと思う。

・・

さて、僕はこれからどうしようか。どうしていこうか。

今までの人脈も、余力とは言えないけど時間もお金も切り札も。
大事にしていた個人的な少し変わった繋がりも無くなった。

これで、これから、また一から新しく作って、また一から。また一から。
また危険な橋も場面も乗り越えて、やっと手にした物も、また一から。

・・

毎日が詰まらなくなっていく。
楽しかった事がなくなっていく。

一緒にいた人とも少しづつでも離れ離れになったり。

というより、一緒にいる人(一緒に居られる人)が極端に少なくなる。

それが今の僕でも考える、今の時代でも今の世界でも、まだ人間の基本的な生活や人生の形と言われる、自分の家族や大切な存在を持つ事に繋がってくるのだと思う。

結婚している離婚している子供の有無の話ではない。

いつまでも子供のように、いつまでも変わらずに自分の事だけ頑張っていれば良いという人生で生きていると、自然と人間社会や人間の共同生活を維持する意識が欠落していくのかなと思う。成長しないのだと思う。

・・

人間として元気に健康で少しでも楽しい人生を送るなら、いつまでも我がごとだけの言い分で好き勝手に生きているとやっぱりそれは独りで孤独に生きていく事になる可能性が高くなってさみしくなるよねって自分で自分に問うているの。

言われたくない事はある。痛い所もある。
けど、僕は死んでも言い続けるし、100%譲らない。
自分の命を賭けた以上、命と狂気を賭けている。

人間同士、家族だろうが他人だろうがして良い事と悪い事がある。
例えそこに良い悪いがなかったとしても、その一線を超えるとどうなるのか分かるのか分からないのか、それすら結論関係ないのです。

どういう証拠や情報並べても、殺すくらい恨まれて、殺されるくらい憎まれて、自殺するまで呪っているこの事実と結果も同じ現実だ。

・・

自分で「自業自得」だと少しは言えるようになった。
だから次はその言いたくない事や痛めた傷は治し、強くするしかないのだ。

それしか選択肢は無いのだ。

諦めてやらずに死ぬのか。
一生ぐちぐち泣き言や言い訳を並べて、後悔して死ぬのか。

母のように実の両親を死体蹴りをしても出てこない金の現実と、自分の孤独で不幸の末路の人生と対峙して、受け入れながら必死に生きていく人生は僕は一番避けたい。

母の生命保険が僕を自殺させない唯一の少ない少ない紙きれ一枚の契約書だ。早く自分の命に金を賭けろと思う。

・・

僕の幸せは多分もうほとんど叶わない。
元から叶う夢ではなかったかもしれないし、叶える力を持っていない自分の問題だったとも思う。

愛着障害の話が多く読んでもらえてたけど、ほんと、度合いだと思う。

今僕が叶えると宣言しているものは
「幸せになりたい」と「好きな物を僕の人生から奪うな」だ。

僕から人生の楽しみや生き甲斐や安心や好きな事を制限させて、おあずけ状態にしたまま僕にやらせる事は必死になりながらでもやらせて、で今度自分が都合よくなってきたら、今度は自分の好きな事は自分でするのが当然でしょ、って、ふざけんな。

僕はそういう時、真剣に笑わない。

都合よく利用して食い逃げできると思うなよ。

ここで書きながら笑ってしまう。

僕が母親に対して
「僕の人生を壊して殺したお前を死んでも許さない」
と構える僕のこの性質は、上手く扱ってくれないと本当に面倒だなって。

個人的に言えば欲が出るからハッピーエンドではないけど。
僕にとって一番の幸せな瞬間は二年少し前のあの瞬間だったんだろうな。
それでいいし、それがいい。

きっと僕は死なないけど、冗談でも、

「今日は死ぬのにいい日だ」

なんて思ったら、あの子の顔を思い出すんだろうなあ。

今年、イギーポップファンクラブが流れる瞬間があれば、必ずそこにいるのは猫娘だと思う。

・・

死ぬしか選択肢が無い状態ではない僕が今のままで辛くて動けないままでいるのは弱点や傷が深くなるだけだ。

そう。無くなった話を少しだけ書いておきます。

最近、僕は知らない間に連絡が取れなくなった特別な人がいました。
僕はその事を最近になり知りました。
事情は分からないけど、連絡が取れないところに行ったんですね。

それは僕にとっては大切な人たちでした。
想い出があると言えばいいのだと思います。

普通では、あまり関わることが無い人たちなので、お互いに悪い知らせが無ければ連絡を取らない。
だから、連絡を取りたかったらいつでも繋がれると思っていた。
それがミスだった。

僕の間違いは、悪い知らせが無ければ、という部分だ。

別に悪い知らせでなくても縁が切れる事はある。

悪い知らせかどうかはその人それぞれ。
片方にとって良い話でも、片方からすれば悪い話かもしれない。
偶然が重なって連絡先が分からなくなっただけの可能性ある。

ただ理由を並べるのが簡単なように、縁が不本意な形で途切れてしまう事も普通に起きるのです。

僕は人間関係は信頼関係で成り立っていると思っています。

その信頼関係で成り立つ、珍しいこの縁が切れてしまった事を悲しく思っているのです。

商売も、何事も、お互い様で良い関係でいる為には、裏切らない事。
傷つけない事、嘘をつかない事が大事だと僕は思っている。

・・

僕は彼を信頼していた。
絶対的に信頼できる縁が無くなると、僕はこれくらい傷つきまくる。

彼との縁が切れて、仕方が無い事とは言え、また良い出逢いをする為に、莫大な時間とお金を費やす訳だ。
それが僕らの仕事や遊びや生き方だ。

感情も商売にするし、サラッとピース!イエイ!で、何となくカッコいい対応してたらできる仕事でも遊びでも無いのだ。

・・

そうやって自分の宝物で、部屋をいっぱいにして、好きな物で心の穴を埋めていく。癒していく。

今回の彼とはプライベートではそこまで関わらなかった。
けど、実は今回の人生を賭けた騒動の中で大きな役割をしてくれた。

一緒に居た時間は無くて、やはり何をしたか、何をしてくれたかだと思う。

彼が居なかったらではなく、彼でなかったら。

僕は死のうと思ってから、どうなっていたのだろうか。

事件とか事故にはならないけど、僕の変に拗らせた謎の大阪はただの変な話で終わっていたと思う。
それだと何も変われなかったし、変わらなかったと思う。
荒療治だったね。
彼との出会いと別れに名前を付けて一生の学びにしたい。

変化には痛みが伴う

そんな感じ。そんな言葉があればそれ。

・・

僕は幸せになろうとしている。
幸せになる為には、幸せに必要なものも決めている。

その為に必要なものや縁がある。
失ったらまた作ればいい。
見失ったならまた探せばいい。

更に良い物を手に入れる。更にレベルを上げて、更に強くして、次は今までを超える為に、更に重ねて重ねて、美しい感動にする。
僕が手のするものに一切の妥協はしない。

それしかないだろう。

良い話があれば連絡してね。
個人的に気に入れば飛んでいくから。

でも
「これは違う」
と一瞬でも思ったら。一瞬で見限るから。

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