今日だけの話、これから「も」話

僕はこれからも自傷行為を続けると思う。

・・

人は何かしらに依存している。必ずだ。

ここでも何度も書いてきた。

人は家族だろうが仕事だろうが趣味だろうが、必ず何かしら自分が好きな事に依存している。
食だろうが住まいだろうが服だろうが絶対に何かには好んで依存している。

それを「依存」と捉えるか、「それとは違う」と言うかは人それぞれだろう。それも見方、見え方、価値観の問題。
生まれ育った環境や親や周りの人たちの影響なだけだ。

ただ、もしそれを他人から指摘され、それを一生止めろと言われて
「何で辞めなければならない」
「お前にそんな事を言われる筋合いはない」
と反論する時点で、度合いの問題、それは依存と変わりないと思う。

・・

昔はね。

「あの子に会うまで死ねるか」

と言っていた。

でもそれは僕は子供で浅はかだった。

人生はそこから続いていく。
そこがゴールでも答えの全てでもない。
それなのに命をそこに賭けてしまっていたのも僕が子供だったのだろう。
今なら解る。意識はもっともっと先になければならない。

・・

僕はどうすれば希死念慮・自殺願望から抜け出せられるのだろうか。
この負の連鎖や生き地獄から抜け出さなければならない。

でも僕には、20年近くの間、自傷は続いている。

僕は生まれた時から僕は死にたかった訳ではない。
僕は「死にたい」が口癖のメンヘラでもない。

自称精神病でも異常者でもない。
病んでる私が好きな僕、でもない。

これらの感情や僕が生きる上で絶対に最優先に挙げている物は、一過性の物ではない。瞬間的なものでもない。
それは魔が刺したようなものでもない。
悪循環や負の連鎖でも共依存でもない。

僕は地獄のような痛みや苦しみ、言葉にならない死にたい不安から、少しだけ生きる事に向き合う為に必要なだけ。

人は皆、生きる理由が無くても生きているが、働く理由が無ければ全員が今のようには働かないと思う。
僕には生きるには不安やこの傷を癒しながら、未来に向かって生きていく努力をする。そして物事に真剣に向き合うだけ。

そこでやっと僕の人間性や生きる力が生まれてくるだけ。

僕は言っている。

いつまでも不安や不信感しかない人生。
母親に殺されている人生。あの人に殺された人生。
死んでないのではない、僕は物心ついた時から殺されているのだ。
この話が理解できない人は一生僕の話している事は理解できないと思う。

カサンドラ症候群を調べてください。
毒親とか機能不全家族(家庭)、人格障害、共依存と調べていけば大なり小なり僕が刺している事くらいは書いていると思う。
解らない人は僕に一生近づかないで、関わらないでくれ。

・・

だから、今は死んでいいと思っている。

あの子に会ったから死んでもいい、ではない。
あの子と一緒になれないなら、あの子に会えないのなら。

それと同じような、似たような話かもしれない。
だから、今はまだ僕のそれ以上の事は言わないで。

・・

僕は長生きしない気がする。

長生きしたくないと言うのは違う。
長生きしてまで得るものと、長生きする事を選んで失うものを比べると、今の僕は長生きしてまで選ぶものが今は無いのだ。

僕は20歳くらいから自傷癖がある。

僕は、自分の意思で自分を傷付けてしまう。

だから僕は長生きできないと思う。

それで良いとは思っていないが、それでいいと今は真剣に思う。

・・

長生きしてどうなる。

ありとあらゆるものを自制して制限して犠牲にして。
そこで得られる物以上のものを僕は見出だしてもいない。
これから見つけれる気が今はしない。

僕は強欲だ。欲深い。よくをかいて、それこそ我を忘れて道を誤る。
人間はそういうものだと言いたい。

僕は死にたくはないが、僕は好きな事を失ってまで生きていたいとは思わない。

人が何かしらの理由で死期を意識すると、自分の人生を振り返り、色々な言葉を語り始めると思う。

みんな、自分の人生に満足しているかどうかは別として、感謝の言葉もあれば、恨み辛み、そして反省や後悔、懺悔をしていくのだと思う。

それはその人が現実を受け入れる過程で起きる事らしい。

・・

僕の人生は幸せだったかと聞かれたら。

僕の人生はナンバーガールと出逢いで始まった瞬間から幸せだった。

今までの過程や背景を振り返ると、僕の人生は生き辛かった。
何が生き辛いと言うより、辛いから僕だった。

「不幸ではない事が不幸だった」
この台詞の映画は今でも覚えている。

僕はその「不幸」のモノサシは人それぞれだと今なら解る。

僕は不幸だったとは言わないが、僕は辛かった。

僕の死にたいは、僕の運命や業だと今では思う。

・・

幸せになりたい、辛い、死にたい。
「幸せになる為に生きているんだ」
と叫びながら、それでもツラいだけだった。

何も変わらなかった。

不安は不安に変わりはない。
不安で不安で、死にたいくらい不安。

でも結局、自分から逃げて現実からも逃げていたのかもしれない。

逃げたとは言われたくない。言わせない。

けれど、その暗闇の中から抜け出せなくて、結局最後は自死を選ぶ。

・・

幸せな瞬間があるから死にたくなる。
光があるから影もあるように、幸せがあるから不幸せもある。

僕が生きてこれたのは、僕を愛してくれた人たちの御陰。
僕が今も生きているのは、僕を生かしてくれた人たちの力。

でもこれからも、僕は
「死んでもいい」
という世界線で生きていくしかないと僕は強く想う。

・・

「くだらない」と言われるだろうし、僕も言う。

くだらない事を言うなと、この言葉だけを切り取ると僕も思う。

そもそも命を賭けてまでするような事はそうない。

それでも今の僕が「死んでもいい」と言葉にして、口に出すか出さないかは時と場合によるけれど、そう構えていなければ僕は生きていく力(糧)は僕には悪いけど無い。

・・

僕は死ぬ時は、母を恨み、呪い、殺したい。

たかが親子喧嘩だ。もうそれでいい。
外野は適当に解からずに好き勝手に言ってろと思う。

「僕は許さない」
「死んでも許さないから、死んでもお前を殺す」

そうやって僕は自殺をしようとしたように。

いざ、その時が来ても僕は死んでも許さない。

矛を収めない。

・・

僕は「ナンバーガールと出逢い」と謳う。
「イギーポップファンクラブが鳴り響いて」と掲げる。

あの子と幸せになる為に、あの子に会うまでは、と発狂したけれど。
僕は、今でも、その生きた証や様は無かった事にはしない。

させない。

したくない。

させない。

・・

僕は今から幸せになろうとする。

けれど、僕はそこにも僕の言葉は生きている。

僕は共有することに意味を持たせる。

共有して、共感して、感動に手が触れる。

音楽も、サブカルチャーも、旅も、映画も、本も。

誰かが、日本がどうか、とか、どこに行けば、と。
曖昧な言葉や、遠いご褒美のように言葉にするけれど。

僕はそこは頷かない。

僕は今もする。いつでもする。死ぬまでする。

僕の日常に、それが無い世界は存在しない。

日本だろうが、夢の中だろうが、いつの時代も、僕はする。

無ければ意味がないとは言わないが。
無ければ僕は飯を食べないのと同じ。

今回の一年半では少しかも知れないが、いざやってみて、理解できた。

我慢は出来るし、それは他の事と同じだ。

一生、やめない。僕は一生やめる気は無いですよ。
一生やめるなんて死んでも絶対に言わないから、この位置にいるだけ。

だから僕に対して、どんな説明や理由や言葉を並べても、その言葉は僕には響かないし信頼はない。

それならそれで勝手に、僕とは関係ない所で、勝手な都合と解釈をすればいいと思う。

僕は今すぐでも、今日も明日も、死ぬまでずっと夢の中。

遊ぶことを僕は死んでも辞めない。

止める気が無い。辞めたくない。
退屈するの。つまらないのは死んでも嫌だ。
だから、死んでもいいかと聞かれたら、僕は死んでいいと答える。

・・・・・・・

今日はもう一つ日記を書いておこうと思う。
今夜は特別な日なのか、それは人それぞれ考え方だと思う。

今の僕は分かっている。

・・

僕は爺ちゃんが亡くなる前の一、二か月。
あの年末年始の頃の話。

僕は普通に遊んでいた。
遊んでいたというより、普通に変わらず過ごしていた。

仕事もするし、生活はそこまで変わらなかった。
実際に言えば大人はそういうもんだと思う。
子供は何かあれば一喜一憂したり、事を荒げたり、感情的になる。
どうしようもない現実に右往左往し、ああでもないこうでもないと、そこで何かするのかもしれない。

僕は今は違う。実は違う。
僕は意外と、変にそこらで冷静と言うより、非情に見られる。

・・

僕は人の命とか、生きるか死ぬかのような時。

その人が生きている時に会いに行く。
伝えたい事は伝える。
解り合いたいから、必死になる。
全力になり過ぎる。

そんな言葉とは矛盾する僕が表に出ていると思う。

「人は死ぬ時は死ぬ」
「別に今すぐ死ぬような話か?」

と常識や真っ当な普通の感覚と言われる感覚からは少し違う答えを出す。

それは僕の異常さかもしれないし、単純にそこに関しては、ただただ、そういう考え方なだけなのかもしれない。
僕の事を言い人と言う人もいれば悪い人と言う人もいるように見えている面や見た人の主観で評価や意見は変わるから僕にとっての普通が人から見て普通ではない事は理解した上でこう書かせてもらう。

僕はやっぱり無邪気で馬鹿なんだと思う。

・・

今夜。

僕は泣いているかと言われたら泣いていない。

今までの僕なら泣いていたかと言われたら泣いたと言うだろう。
泣いていただろう。

僕は感情屋だ。感情がそのまま力になる。それが僕だ。
よくもわるくも、感情。それが僕だ。

けれど僕は泣くながら笑う。
泣きながら人を裏切るかもしれない。

平気では無いが、平然では無いが、人を傷付けているだろう。
ロクでもないかもしれない。そういう面がある。

・・

僕は母親が死んでも一切泣かない。

少し前も僕の母親が死んだら、という話を人からされたが。

僕は一貫して変わらない。

母親が死んで幸せになれるかどうかは別。

ただ、母親が生きていても死んでも、僕にとっては呪いでしかない。
ここは何一つ変わらない。
20年変わらないのだから、これからも、ほぼほぼ変わらないと思う。
例え僕がどうなっても変わらないこれが人間、僕の事実だと思っている。

だから母親には一日でもいいから早く死ねと僕は叫んでいる。

・・

僕は20歳の頃から。
毎日、母親の幸せと死ぬことを毎晩神様に祈っていた。願い続けていた。

幸せと死ぬことの両方を願っていた。

母親が難病になり、主治医から危篤状態と言われても、僕は帰らなかった。

母親がその時の事も今でも根に持っているだろう。

僕は母親の危篤の時、
「嘘でも本当でもどっちでもいいから早く死んでくれ」
としか心底思えなかった。

実際に死んでいたら状況は変わっていると思うが、僕が自殺する事には絶対になっていない事だけは断言できる。

・・

僕は今夜、いつもと変わらず自分に負けて溺れ逃げる。

なぜなら、今更どうのこうのできる話でもない。
今死ぬような話じゃない。

それが心の片隅にあるからだ。

僕が死ぬのは生きるのに疲れてもういいとあきらめた時だけだった。
だから、僕は今も今夜も僕にとっての普通で生きているのだと思う。

この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

50,167件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?