“炎上”記者が見続けた神事の現場 そして壁はなくなった・・・
「え、壁がなくなってる・・・」
馬が急な坂を駆け上がる、三重の多度大社に伝わる伝統の「上げ馬神事」。
この神事がSNSで“炎上”していることを取材して記事にしたところ、「NHKは動物虐待を擁護するのか」といった批判が多く寄せられた。
「ここまできたら、やりきります」と上司に言ってさらに取材を進めた。が、馬が乗り越えるあの壁が、こんな展開になるとは。
記事はなぜ“炎上”したのか
あらためて自分の書いた記事を読み直した。
思ったのは、今回は上げ馬神事についてSNSで広がっている情報のファクトチェックをすることが主な目的だったので、私は一つ一つの情報の真偽に焦点を絞って記事を書いた。
例えば「近年になって馬に壁(崖)をのぼらせるようになったという、SNSで拡散している情報は誤りだ」というように。
一方でSNSであがっている批判には「神事そのものが動物虐待で問題だ」という意見が目立った。
その食い違いが「NHKは重要な問題を取材せずに、神社の立場に寄った偏向報道をした」という批判につながったのではないか。
SNSで拡散されていた過去の上げ馬神事の映像や画像の中には、参加者が馬を何かでたたくような様子を捉えたものもあった。けがをした後、殺処分となった馬の痛々しい映像も目に入ってきた。
ファクトチェックを意識するあまり、「上げ馬神事そのものが動物虐待だ」という指摘への視点は欠けていた、と感じた。
そもそも上げ馬神事には、よくわからないところがいくつかあった。
「地取り」で見えてきた祭りの姿
SNSでは、なぜ神事に在来馬ではなくサラブレッドを使うのか、競走馬のサラブレッドだから骨折しやすいのでは、という批判もあった。
神社や自治体などに確認しても、「馬を用意しているのは各地区で詳しくは知らない」ということで、よくわからなかった。
となるとやれることは1つ、記者の基本のキ、「地取り」だ。現場を歩いて、神事に関わる地元の人たちに直接会って話を聞く、聞く、聞く。ただそれだけだ。
といっても当時私は三重県南部の尾鷲市の支局勤務で、多度大社がある県北部の桑名市とは直線距離でゆうに100キロ以上離れている。
早朝から2時間ほど運転して現地へ向かった。何度も行くチャンスはないかもしれないので、1日でどれだけ多くの人に会って話を聞けるかが勝負だ。
知らない人にひたすら声をかけていくのは記者でも緊張するもので、正直、あまり得意ではない。神事に対するネットでの批判もあったから、地元はマスコミ取材にピリピリしているのではないかと心配したが、多くの人に好意的に取材に応じていただいた。
地元の人たちが使う「専門用語」の数々、例えば
神事に参加する地元の人たちは「氏子」、
氏子の代表となる地元の自治会長などは「御厨(みくりや)」、
そして、神事のために馬を用意する人たちは「馬方(うまかた)」。
ニュースでこれまで「壁」と表現してきた場所は地元では「坂」と呼ばれていて、坂の下から全体を「坂」や「上げ坂」と呼ぶ。こうしたことも地元を歩いて初めて知った。
神事に参加したことのある人や、地区の代表を務めている人、1人から話を聞くとまた1人を紹介してもらうということを繰り返しながら、神事のために馬を用意している人を探した。
上げ馬神事には地元の6つの地区から3頭ずつ、合わせて18頭の馬が参加するが、馬を用意する方法は地区ごとに違って、決まったルールもない。だから地元の人は「別の地区の馬に関する事情はまったく知らない」と話す。
ほとんどの馬は競走から引退した馬とみられるが、地区によって地元の馬主に提供してもらったり、「馬喰(ばくら)」と呼ばれる馬の仲介業者から借りたり、長く地元で育てられている馬もいるそうで、ほんとうにさまざま。
当初、神社への取材で「馬を用意しているのは各地区で、詳しくは知らない」と言われたときには「え、無責任では」と思ったが、地元で話を聞いていくと、各地区がそれぞれのやり方で馬を用意して神事に取り組んできたという歴史的な背景がわかった。
しかしこうした運営体制はのちに開かれた県の文化財保護審議会による提言の中で、「ガバナンス不足」と指摘されることになる。そして提言を受けて県教育委員会が行った勧告には、「実施主体を明確にして、指定文化財としての今後のあり方を検討すること」という項目が盛り込まれた。
“炎上”の受け止め方にも世代間ギャップ
地元の人たちに話を聞く中で、今回の“炎上”に対する受け止めについて世代によって大きなギャップがあることも感じた。
SNSを使っていないと思われた年配の人たちからは、「そういう声は気にしなくてもいい」とか「これまでも指摘を受けて改善してきたのだから」といった声が聞かれたが、若い世代を中心に今回のSNSでの“炎上”を知っている人たちは、かなり警戒していた。
「馬の殺処分は悲しいと思ったが、これだけの批判がくるとは」
「あれだけ批判が集まったら、これまでどおりにはできんだろう」
中には
「これから神事はどうなるんですか?」
と私に聞いてくる人もいた。
年代などによって“炎上”への温度差はあっても、どの人からも「神事をなくしたくない」「続けていきたい」ということばが漏れてきた。
ある地区では、神事に向けて馬を飼うための小屋を見せてもらった。
「騎手になる子や青年会の子たちが、毎日朝早くからここで馬のお世話をします。餌も十分に与えて、馬にひどい扱いをしようなんて考えるはずもないです。大切にしている分、成功した時の感動もあるし、馬がけがをしたり死んでしまったら、当然悲しいでしょう」
地元の人たちが神事や馬をどれだけ大切にしてきたか、それを誇りにもしてきたことが直接、話を聞いて伝わってきた。
とはいえ馬を傷つけない方法はないのだろうか。「神事の継続」と「動物への負担を減らすこと」、それをどう両立させていくかが今後のポイントだと感じた。
15年で4頭が殺処分されていた
地元での証言集めの一方で県への取材の中で、過去15年間で合わせて4頭の馬が殺処分となっていたことがわかった。神事に肯定的な意見を持っている人でも、4頭は多いと感じるのではないか。
6月12日、全国ニュースでそのことを報じると、知事が定例会見で「頻度が多い」と指摘し、主催者側に事故防止の対策を求める考えを示した。
その後6月19日、県や市、地元の代表などで作る上げ馬神事の「事故防止対策協議会」が開かれた。例年、神事の前後に1度ずつ開かれていたものの「形骸化」との指摘もあった会だが、ことしはNHKや新聞各社など多くのメディアが取材に詰めかけた。
会議は例年の倍近い時間をかけて行われ、神社と地元の代表は報道陣に、「坂の構造を見直す」といった改善策を年内にもまとめる意向を明らかにした。
神事をめぐって神社や市などが“炎上”してから1か月余り。初めて改善の方向性が示された。
このタイミングで、3つのポイントについて記事にまとめた。いずれも最初の記事にSNSであがった指摘にこたえて、深掘り取材したものだ。
まず「壁ができたのは最近で、高くなっているのでは」という指摘には、神社によると過去の批判を受けて壁は徐々に低くなっているということを紹介した。
続いて「神事に参加する馬はどのように用意されるのか」という疑問。現地での地取り取材でわかった、さまざまな馬の用意の仕方についての証言を紹介した。
「なぜ在来馬ではなくサラブレッドを使うのか」という疑問については、在来馬は極端に少ないことや、天然記念物に指定されているために容易に準備できないという事情を伝えた。
今回の記事への反応は批判も含めて前回ほどではなく、正直ほっとしたのだが、一方で事故防止対策協議会の日の取材では別の出会いがあった。
「死んでしまおうかという気持ちに」
協議会が開催された日、多度大社近くの祭馬の慰霊碑には、スーツ姿の多くの人が集まっていた。今回の神事で殺処分となった馬を、これまでに命を落とした馬と合祀する集いだった。
このときに出会ったのが、石川信介さん。神事に参加していることをSNSで投稿していたために批判を受けて、休業に追い込まれた米販売店の店主だ。
店はまだ休業中とのことで、殺処分となった馬の馬主の1人として参列していた。
後日、店が再開されたと聞いて迷ったが石川さんに連絡をとったところ、インタビュー取材を受けてもらえることになった。
訪れた私たちに石川さんは、神事を批判する大量のはがきを見せてくれた。
「多度町は鬼畜の町」
「人間の恥」
「天罰」
「桑名市民すべてが虐待者」
神事への批判をこえたひぼう中傷の数々。石川さんの表情は暗かった。
「私たちだって、馬が死んだことはつらく悲しい気持ちでした。でも、こんな風に批判をもらって、本当に追い詰められて、死んでしまおうかという気持ちに正直なりました」
話をうかがっていて私も胸が苦しくなった。こんなことがあっていいのだろうか。
インタビューの中でで石川さんは、上げ馬神事には地域の人たちどうしの年齢を超えたつながりを強める働きもあるとして、
「神事を大事にしたい。でも馬がけがや死ぬようなことがない神事になるべきだ」と語った。
「うちは大丈夫か?」
実はこのころ、取材に迷いが出ていた。
イギリスの公共放送BBCが上げ馬神事を取り上げるなど、海外メディアも日本の神事に注目するようになっていた。
動物に快適な環境で暮らしてもらい、ストレスを軽減するなどして待遇を改善する「アニマルウェルフェア」=「動物福祉」という考え方があり、動物園や水族館、サーカスなどの在り方も大きな議論になっている。
日本の各地の神事についても、上げ馬神事と結びつけながら批判する意見が見受けられた。
沖縄のアヒルを使った伝統行事「アヒラートゥーエー」は動物愛護団体による告発がニュースになって注目され、ほかにもカエルを串刺しにする長野県の神事も批判された。
福島県の「相馬野馬追」や岩手県の「チャグチャグ馬コ」など、同じように馬が重要な役割を果たす行事について「あれはすばらしい、それに比べて上げ馬神事は」などと比較する、あまり意味があるとは私には思えない議論もあった。
さらに気になったのは、馬や牛などの動物を扱う全国の神事や祭りの担当者から、心配の声が上がっていたことだ。
「上げ馬神事が虐待というのであれば、自分たちの神事も虐待の指摘を受けるのでは。そして批判はいつかは自分たちに向いてくるのではないか」
神事や祭りの問題を取材して伝えれば伝えるほど、上げ馬神事はもとより各地の神事が批判されていき、その結果、消えゆく神事も出てしまうのではないか。
そんな考えにとらわれ、取材をしていることの意味もわからなくなってしまっていた。
批判だけでは何も生まれない
迷っている中で出会ったのが、中部大学特任講師の上野吉一さん。上野さんは動物福祉の専門家で、アニマルウェルフェア国際協会の会長も務めている。
上野さんは上げ馬神事が抱える問題点として、以下の点を挙げた。
・坂を駆け上がった先にある壁の高さはオリンピック「障害馬術」の最も高いバー(1メートル60センチ)と同じくらいで、馬にかなり高度なことを求めている。
・乗り手と馬との訓練は1か月程度で、十分とは言いがたい。
・馬にも個体によって得意不得意があるのに、そうした特性を考慮せずに馬を選んでいる。
そうした点を踏まえながらも上野さんは、感情論で批判をするだけでは何も変わらないと話す。
一方で「無形文化財の性格は時代に合わせて変わることにある」と話すのは、東京文化財研究所の久保田裕道 無形民俗文化財研究室長だ。
久保田さんは、伝統行事に対する「動物虐待」などの批判は日本だけでなく世界的な課題になっているとしたうえで、
「一番大切なのは、やっている人たちがどういう風に考えてやっているのかということです。無形文化財が、これまで変化してきたことを見失わないように、何を残すのか何を変えるのかっていうことを、やっている人たちでしっかり議論してもらいたいです」と話した。
「改善されれば続けていくべき」なのか、「そもそもこんな神事はなくすべき」なのか。
SNSでは批判的な意見ほど可視化されやすいし、これが全てではないとは分かっているものの、そうした意見を毎日読み続けていると、心が揺れ動く時もあった。
それだけに「神事などの無形文化財は形を常に変えてきた」という話は、自分の中でもしっくりときた。
“炎上”のターゲットにされた石川さんや専門家の話を聞いていて感じたのは、「伝統的な神事の継続」と「動物への負担を減らすこと」とは決して対立する事ではなく、その間の結論を模索することは十分できるということ。
そうしたこれまでの経緯を記事にまとめ、8月18日におはよう日本で放送した。
「壁が、なくなってる」
次の上げ馬神事がどのような形で行われるのか、具体的にどう改善されるのか、なかなか結論が出ない中で2024年が明けたころ、ある取材先のことばに耳を疑った。
「壁ももうなくなってしまったので…」
え?
次の神事に向けては壁がどれだけ低くなるかがポイントだと思っていたが、まさかすべてなくなった?
私はデジタルカメラを手に急いで現地に向かった。
いつも神事が行われてきた坂の先に見えたのは、壁がほとんど撤去されてぽっかりと空いた空間。そこには白いシートがかけられた状態になっていた。震える手をおさえながらその様子を撮影した。
神社や地元の人などに聞くと、年末に重機が入って撤去されたとのことだった。
そもそも壁をこえた回数で豊作などを占う神事なのに、どうなるんだろう。
そして2月、ことしの神事をどのように行うのか、神社と地元の代表が初の記者会見を開いて具体的な改善内容を示した。
① 坂をゆるやかにし、馬が乗り越える最後の壁を撤去する
② 神事で走る馬に事前に坂で訓練させる
③ 万が一のけがに備えてすぐ近くに馬運車や獣医師を待機させる
このほかに馬への暴力や威嚇行為を一切行わないよう、神事で馬と関わるすべての人に講習会を受講させることなど、いずれも馬の専門家や獣医師などの外部委員からの提言を受け入れることが示された。
神事に参加する各地区の代表でつくる御厨総代会の会長、伊藤善千代さんの発言からは、社会の変化に対応しようとする地元の模索や、神事を続けるために改善すべきところは変えていくという決意を感じた。
こうした改善策は大きな決断だったと思うが、それでもSNSでの批判が止まったわけではなかった。
時代の変化に合わせて神事も変わっていく。そして社会の変化を受け止めながら、なんとか対応しようと奮闘する人たちがいる。これから神事がどう変わっていくにしても、それを見つめて伝え続けなければと思った。
取材の終盤に出会った“当事者”
「これまでに放送や記事に批判的な意見を寄せてくれた人たちに話を聞いてみてはどう?それで見えてくるものがあるかもしれないよ」
つまり、この取材のきっかけにもなった、SNSで批判の声をあげた人たちに直接話を聞いてみてはどうかという、上司の提案。
「やってみます・・・」とは答えたものの、連絡を取ったことが元になって、再び“炎上”する可能性もあるのではないかと、不安でしかたがなかった。
NHKに批判の意見を寄せていただいた方の一人に電話で話を伺った。口調はおだやかで、落ち着いて自身の考えを語る人だった。
反対する人の中にも冷静に情報を見て、改善を願っている人たちがいてくれているのだと、改めて教えてくれた。一方で私自身が“炎上”を経験した中で、理屈ではなく感情だけで批判するような人もいると感じた。
何かの問題が起きたとき、SNSなどで「やめてしまえ」という批判の声は「続けてほしい」という声に比べて拡散され、可視化されやすい傾向がある。それを受けて批判はさらに過激になりがちで、形を変えてでも守っていこうという声は埋もれてしまいがちだ。
丁寧な議論につなげていくためにはまずは信頼できる情報が必要で、そのためにも真偽の検証は欠かせないと思う。
これから神事がどのように変わっていくのか、議論はこれからも続く。地元の記者としてこの変化を見つめていきたい。馬を傷つけることなく、そして地元の人たちの心も傷つけることのない神事のあり方はきっとあるはずだ。
周防則志 津放送局 記者
山口県に生まれ、穏やかな瀬戸内海を眺めながら育つ。2020年に赴任した初任地の三重県では、事件や事故、防災や人口減少などが主なテーマ。今を記録していきたいと、地域の話題を中心に取材。特技はどこでも寝られることと食べること。入局から10キロ以上体重増えました。三重のおいしいものを食べている時が心安らぐ時間です。
周防記者はこんな取材をしてきた