折原みさおと倉田一弥のお気楽人生相談室と没葉書供養の深淵

今回の話はレビューとは関係ない話なのでこちらで話す事にします
「折原みさおと倉田一弥のお気楽人生相談室」という
シリーズスレッドに「没葉書供養」と言うものがあるのですが自分はこれのことを「セーフティネット」の一種だと思っていました
身もふたもない解釈をすると「何を書いても大丈夫」な措置だと思いたくさん葉書を出しました
そして供養されました
そして6スレ目で自分がそれを指摘するまでの間
「誰も」この解釈がまかり通るスレだと言う事に気づいていなかった事が判明したんです
というとは「二代目中の人」及び「ラジオ信者」にとってこれに気づくと困ることがあるから
この発想に気づかなかった事になるんです
「二代目中の人」がラジオをやめた本当の理由は
これ以上供養をやれば「その通りでした」と言う事になるからです
つまりこの可能性を想定することなく「没葉書供養」を行ったことになるんです
「没葉書供養」とはいわゆる「レス乞食」にとって都合の良い措置です
葉書を出せば必ず反応してもらえる保証がついているんですから
つまり「そんなつもりじゃなかった」から「二代目中の人」はラジオをやめたことになり
自分が直にそれを指摘するまでの間「二代目中の人」はこれに気づかなかった事になるんです
4スレ目の「供養前提の葉書」を出したことが自分はあります
この時点で自分がこのスレのことをそういうスレだと思っている事を表に出しています
なのに当の「二代目中の人」及び「ラジオ信者」はこれに気づかなかった事になるんです
と言う事はこの発想をすると「二代目中の人」及び「ラジオ信者」にとってすごい困る事があるから気づかなかった事になるんです
そもそもなぜ「二代目中の人」及び「ラジオ信者」は「レス乞食」にとって都合のいい措置をとったのか?
二スレ目で明かされていますが「葉鍵のキャラネタスレ」がラジオスレです
それを逸脱した葉書も供養を通し相手にしてもらいました
つまり「何を書いても大丈夫」なスレですと公言したことにもなることに「二代目中の人」及び「ラジオ信者」は気づかなかった事になるんです
「何を書いても大丈夫」と思われると言う事は
「葉鍵のキャラネタスレ」の範疇を逸脱した葉書も出していいことになります
葉鍵作品じゃない作品のネタとかも大丈夫と言う事になります
事実そういう葉書が供養された以上「大丈夫」と言う事になります
と言う事はこの発想をする住人がいることを想定すると「二代目中の人」及び「ラジオ信者」にとって凄い困る事があり
この発想をした自分が「招かれざる客」と言う事になってしまうのと同時に
この発想をすると「二代目中の人」及び「ラジオ信者」にとって凄い困る事があることを示唆する事実であり
つまり「供養があるからどんな葉書出しても大丈夫」という発想を想定すると困る事があると同時に
「供養があるからどんな葉書出しても大丈夫」な住人がいる事を認めると困る事がある事を意味している
「供養があるからどんな葉書出しても大丈夫」とは「葉書の考案は雑にやっていい」と言う事にもなる
つまり「不真面目」な葉書を考案する事を意味する
これを試みると「ラジオ信者」にとって困る事があるから
「供養があるからどんな葉書出しても大丈夫」という発想に気づかなかった
「不真面目」にやると言う事は「二代目中の人」の事を雑に扱う事を意味している
何でも言う事を聞く存在と「二代目中の人」の事を扱う事を意味するからだ
つまり「二代目中の人」の自由意思を否定する真似だから出来ない
「二代目中の人」にとっての「不真面目」な葉書の存在を許す
または「不真面目」な葉書の存在を想定し供養をやらないとは何なのか?
「二代目中の人」にとっての「不真面目」な葉書の存在を許すとは
「二代目中の人」の自由意思を捨てることを意味する
「二代目中の人」にとっての「不真面目」な葉書を徹底拒絶するために供養をやらないとは
「二代目中の人」自身の自由意思が「絶対」だと思う事を意味する
これを試みると困る事があるから「二代目中の人」は没葉書供養をやったことになる
「二代目中の人」にとっての自身の自由意思が「絶対」だと思うと言う事は
「われ思うがゆえにわれあり」を本気で思う事を意味する
これを試みると困る事があるから没葉書供養をやってしまった事になる
裏を返せば「われ思うがゆえにわれあり」を本気で思うと「ラジオ信者」にとって困る事があるから
「不真面目」な葉書を出す事ができなかった事になる
シミルボンのレビューとの照らし合わせから導き出される答えはこうである
「裏設定がわかる受け手の話をしない本当の理由」
https://shimirubon.jp/reviews/1710069
この世には「黒幕」が実在しており
「黒幕」の思惑に背き離反する事にも繋がる真似だから
自分がやったことである「不真面目」な葉書を考案し出す事ができなかった
つまりこの世には「黒幕」が存在しており
「黒幕」にとっての自分がしたことである「供養があるからどんな葉書出しても大丈夫」とは「想定外」の事態だから
自分が直にそれを指摘するまでの間「二代目中の人」は供養を続けたのだ
では「黒幕」はどういうつもりで没葉書供養を行ったのか?
ポイントは「不真面目」な葉書が登場することを「黒幕」は想定していないことと
「黒幕」にとっての「二代目中の人」及び「ラジオ信者」と「自分を除く没葉書職人」は自作自演の人形だと言う事である
さらに言うと「黒幕」にとっての自分は「招かれざる客」だと言う事である
「セルフ突っ込み」の一種である
「黒幕」は「セルフ突っ込み」を「自分を除く没葉書職人」にやらせていただけの話なのだ
つまり自分と「黒幕」の見えざる戦いが行われていたスレにして
当の自分はこのスレの事をただの「レス乞食にとっての安住の地」と思っていただけの話なのだ
つまり「二代目中の人」と「ラジオ信者」と「普通の没葉書職人」実は同一人物当然の関係にして
本当の意味での視聴者は自分ただ一人でしたという話なのだ

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