髙橋 征志(たかはし せいじ)

上座部仏教徒を自認しています。 自分の心に浮かぶ思考や感情を、自分が読む、自分に読ませ…

髙橋 征志(たかはし せいじ)

上座部仏教徒を自認しています。 自分の心に浮かぶ思考や感情を、自分が読む、自分に読ませるために言語化して文章にしています。 マシュマロ:https://marshmallow-qa.com/narukami_thor

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大学職員を辞めて出家未遂をした話

 平成29年の3月に某大学職員を辞職しました。  辞職を決めたのは、辞職の約1年前でした。  その頃は大学から国立の青少年交流の家に出向して1年過ぎた頃で、初めての種類の仕事を慣れないながらもこなし、おおよそ一年が終わろうとしていた時でした。職場で一息ついた時にふと「ああ、もうすぐ1年が終わるなぁ」という思いが生じました。  すると今度は「こうやって『ああ、1年が終わるなぁ』という思いをあと何十回か続けたら、一生が終わる」という思いが生じました。その思いは、非常な虚しさを伴

    • 流暢にスラスラと喋る言葉より、言い淀み、詰まりながら、言い間違えながら語る言葉にその人らしさを感じる。

      • 羊を死なせる結果を引き受ける

         先日記事に上げた内容について、松葉舎の授業でも話をしました。  その時いただいた意見で、私が思っていなかったような視点をいただきましたので、感じたものを言語化してみます。  なお、簡単に上記記事の内容をまとめると、ある人がボイスチェンジャーで声を変えて話しているのを聞いた時、私が反射的にその声を不快に思い、その不快の感情が相手の話を否定的に捉えるように作用したことに気づき、私が快・不快の判断を話の内容の正否より優先させていることに気づいた、というものです。  それにつ

        • たしかに体感・実感したものから積み上げていく

           私は性格的に頭でっかちになりがちです。言い換えると理屈や概念で物事を捉えることが多い性格です。また、私が信頼している人から「こうだ」と言われると素直に信じてしまいがちです。  そうした自分の特徴に気づいてからは、私は「自分が本当に体感したことを基準にしよう」と思うようになりました。頭で考えたことで物事を理解した気になったり人から聞いたことを鵜呑みにするのでなく、自分が試してみて、その結果を確認してから判断する、ということです。  例えば、私が信頼している教えに仏教がありま

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        大学職員を辞めて出家未遂をした話

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        • 松葉舎のおかげで深まった考え、気づき
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        • 宗教に関わる話
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        • たぶん私にとって大事な気づき
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        • 尊敬している人
          2本
        • 林業に関すること
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        • 大学職員を辞めて出家未遂をした男の顛末
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        記事

          暗さや悲しみや怒りにだけでなく、明るさや楽しさや喜びにも飲まれないように。

          暗さや悲しみや怒りにだけでなく、明るさや楽しさや喜びにも飲まれないように。

          反射的な快・不快の反応による無意識の差別について

           最近、とあるTRPG配信を視聴していて、我ながら衝撃的なことがありました。  その配信では、ある女性の参加者の方がオカマ(この表現はもしかしたら差別的かもしれないですが、分かりやすさを優先しての表現です。御容赦ください)のキャラを演じていました。そのとき、その女性参加者がボイスチェンジャーを使って声を男性のように低い声に変えて演じていました。その声を聞いた時、ほとんど反射的に「キモっ」という不快感を感じました。  普段のその人の声で話している時であれば、おそらく肯定的に聞け

          反射的な快・不快の反応による無意識の差別について

          「私」という現象

           「身体は借り物」という感覚がさらに発展したのか、今度は「『私』は現象だ」という感覚が生じることが出てきました。  ここでいう現象というのは、例えば発火現象などと同じように自然現象という意味です。  以前の記事で「私」というものを仮に「心」と呼びました。以前は「私」を身体を動かしている主体として想定しましたが、最近はその「主体としての心」というのも感覚的にそぐわなくなってきました。一番しっくりくるのは、「心という現象」という呼び方です。  なお、私が「心」という言葉で表し

          姉が実家に帰ってきたから私も帰って会った。 姉は今年で44になるけど私の目から見たらとても若くて綺麗に見える、という話をしたら「弟の欲目じゃろう笑」と笑われた。 あと姪っ子と甥っ子とめっちゃ遊んだ。 今日も一日遊ぶ予定。日頃肉体労働をしている体力が試される。

          姉が実家に帰ってきたから私も帰って会った。 姉は今年で44になるけど私の目から見たらとても若くて綺麗に見える、という話をしたら「弟の欲目じゃろう笑」と笑われた。 あと姪っ子と甥っ子とめっちゃ遊んだ。 今日も一日遊ぶ予定。日頃肉体労働をしている体力が試される。

          聞こうとする気になれない話し方をする人の話を聞こうとする努力

           タルイタケシさんの以下のnote記事を読んで深く考えさせられました。  記事の中では「意見を述べる時はその内容の正否だけでなく、意見の述べ方(伝え方)も非常に重要である」と述べられていました。  記事では藤井聡さんの『人を動かす「正論」の伝え方』という著書を参考に、意見の組み立て方・述べ方を以下の7つの観点で述べられています。 ①最初の「つかみ」を大事にする ②キャッチーなフレーズを立てる ③数字を適切に活用し、説得力を持たせる ④対立論の「間違い」を公衆にさらす

          聞こうとする気になれない話し方をする人の話を聞こうとする努力

          自分事として捉える、ということの内実

           先日、林業の仕事が空いていたので物流センターで荷運びのバイトをしていました。その物流センターでちょっと嫌だなぁと感じる方がいました。  その方はそのフロアの責任者の方で、特定の人に辛く当たる人でした。バイトの私に対しては特に厳しい態度は取られないのですが、その物流センターに勤めているおそらく常勤と思われる人の内の一人にきつく当たっていました。  叱責の理由も内容も、よく聞き取れないので分からなかったのですが、「みんなが聴いてるところでそんなにひどく叱らなくても良いじゃないか

          自分事として捉える、ということの内実

          困難を乗り越えるか、困難に負けるか

           うつ病などの心の病に関する知識も深く、心が弱っている人への対応も優れている方が、実は御自身がうつ病を患っていて睡眠障害になっているということを知って驚きました。「あんなに心の病などに詳しい方でも心の病にかかるのか」と。  ただ、少しして思い直しました。おそらく私の感想は的を外していて、順序が逆なのだ、と。「心の病に詳しいのに心の病にかかった」のではなく、「御自身が心の病にかかったから、心の病について学んだことで心の病についての知見や対応を深められた」のだ、と気づきました。

          困難を乗り越えるか、困難に負けるか

          苦しみを生じる原因を無くすか、その原因から別のものを生じさせるか

           仏教では、人々が苦しむのは煩悩(何かを欲する心あるいは何かを拒絶する心)があるためであり、苦しみからの解放は煩悩を滅尽して涅槃に至る(悟りを開く)しかない、と説かれます。  私は単純な人間なので、仏教書や僧侶の方の説法でそう説かれているので「煩悩は無くすべきなんだ」と思っていましたが、最近、必ずしもそうでもないかもしれないと思い始めました。  ひとまず、苦しみを生むのは煩悩である、という仏教の前提が正しいものとして話を進めます。  煩悩から苦しみが生じるのだから、煩悩を無

          苦しみを生じる原因を無くすか、その原因から別のものを生じさせるか

          結局大事になるのは呼吸かい

           数か月前に力仕事をする時に自分の肚に力が入っていないなぁと思うことがありました。それ以来、どうやったら肚に力が入るのかを自分なりに身体を観ながら作業をしていました。  しばらくして気づいたのは、自分が力を入れようとしたときに腹筋を無駄に緊張させてしまっていることでした。  感覚的なことになりますが、腹筋を緊張させてしまうことで肚の力が逃げ、肩が上がり、腕先にばかり力が入ってしまい、全身を協調させて動かすことができなくなっていたように感じました。  それに気づいた後は、とにか

          結局大事になるのは呼吸かい

          土や石や水を「いのち」と捉える感覚

           先日の松葉舎の授業において、言葉の固有性とでも言うべき興味深い話題がありました。  ある言葉を誰かが発するとき、言葉自体は珍しいものでは無いのに「その人っぽさ」を感じる、それは何に起因するのか。ある塾生の方はそれを「その人の体験に起因するんじゃないか」と話されました。「体験」と言っても、「イベントに参加してみました」というような体験というより、その人の人生を方向付けるほどの強度を持った「体験」です。そうした体験がその人にある言葉を発せさせ、それが「その人っぽさ」を感じさせる

          土や石や水を「いのち」と捉える感覚

          心を省みること

           仏教の実践である瞑想についての文章でとても素敵な記事を読みましたのでシェアします。  記事を書かれたザリ(やまぐち)さんとは直接お会いしたことはありませんが、Xやnoteにてその思索の一端を記されていて、それを常々拝読させていただいていたので、上褐の記事を読むことで伝わってくるものがありました。  個人的な話ですが、私は最近、仕事やライフワークである環境改善やその他任されている要件が増えてきて、時間的余裕が少なくなっていました。それを言い訳に日々の瞑想の時間が減ってきて

          矢野智徳 氏の覚悟と引責の態度

           旧グリーンピアせとうちにおける工事で、矢野智徳 氏の活動を目の当たりにし、「この人は命を削りながら動き続けている」と驚嘆しました。  今回の工事は3月25日から始まり、矢野さんは26日の昼過ぎに現場に到着しました。矢野さんはこの現場に入る前は能登の被災地で環境改善活動をされており、その次に東京都で大規模な樹木の移植作業をこなし、その足で広島県呉市安浦町にある旧グリーンピアせとうちの現場に来られました。  連日の作業で疲れているはずなのに、現場に到着したらすぐに状況を確認し

          矢野智徳 氏の覚悟と引責の態度