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【NOVEL】復体 第2話

 連中が、生の短さを認識できない理由が二つあります。
第一に、お国柄平和であるということ。
第二に、昨今、若さという物が極めて持てはやされており、尚且つ、教育において若気が許容されているということ。
時間的な焦りは無く、本人がそれに対して無知であり、大人も大人で自身の体感でしか人生を計らないから甘くなっている(ここで指している対象は敢えて言いません)。
 確かに、生きることの意味を知らない彼らにとって、一日を馬鹿みたいに過ごすことに負い目はありません。縁側で日向ぼっこをして、茶を飲み、新聞を読み、一日を終える年配者はそれを認識しているが、無為な時間を受け入れる。では私はというと、一生の有限性に気付き始めていますから、休日を無駄にするものなら、そりゃ罪悪感と言いましょうか、要らぬ感情に悩まされるわけです。連中には、事の重大さを私は伝えることはしません。彼らは、自らの衣食住がすべて援助によって成されていることを認識しておらず、むしろ厚顔な態度で生活している。生かされているにも拘らず、常に自分らしくあろうと奔走する。この「らしさ」というのも怪しいもので、所詮は青年期からやってくる独自性なわけですから、気分によってころころ変わり、当てにならない。
 誤解が無いように言っておきますが、私は、現代における若気の至りを否定しているわけではありませんよ。そう聞こえてしまうのは、私の言い方の問題です。「自分だって学生の頃、親のおまんまで生きていたじゃないか」なんて言われてしまえば、その通りですし、こうした愚痴を大人が発しないのは、自身が経験済みだからでしょう。凄まじい勢いで現代社会が進歩している中、個々の人生観は当人の課題であり、その上、説いたところで金にもなりませんから、大人たちもその点、等閑にしてしまうのでしょう。更に言ってしまえば、大人たちも生きる意味を十分に理解していないのです。そのような状態で、彼らに生き方哲学を諭しても説得力に欠けるわけで、そもそも、自身を棚に上げて語ることになるわけですから、気が引けてしまう。あなたの周りいる人間で、この命題を恥ずかし気もなく語る奴がいたら要注意です。詰まる所、人生というものを語れる者は滅多におらず、いたとしても、ペテン師だったり、怪しげな宗教団体の長だったりします。
 それにしても、連中が、その若さを永続的であるかのように振る舞うのはどうしてでしょう。
 もしかすると、現在の二十代と昔の二十代では、人生の根幹を成す見方について比較した際、多少なりとも差異があるのかもしれません。でなければ、戦時中の特攻隊の意気込みに共感出来ないのは勿論、時代錯誤の人生観を幾ら美化したって彼らの背景因子が分からない。一方で、それを裏付けるかのような近頃の無様な成人式の様子にも、我々は納得出来る気がしてなりません。余裕綽々でしょう。
 齢二十九になる私なのです。世間一般よりも遠回りしてしまいましたが、諍いなく、社会に従順な犬として(自身を犬と卑下するのも不服ではあったのですが、現にそうなので仕方が無い)納得のいく仕事で飯を食っていけるようになったのです。つまり、それが私の人生すべてであります。
 これ以上、遍歴と説教を語る由はありませんでしょう。既に結構語ってはいますが、なぜなら人間というものは、自身そのものが過去を物語る風体なのですから、言外に匂わせる方が却って人は警戒しないものです。
「俺が若い頃は〇〇で✕✕したものさ」
「私たちが△△した街並みは今は廃れて…昔は色々大変だったけれども、良い時代だったわよねぇ…」
 などと、必要性から逸脱する準拠枠を今になって後付されても、当の本人は気分良くお喋りしていますが、聞き手はたまったものではありませんでしょう。良いですか、人は肯定的エピソードにしてもそうでない小話であっても、言葉にしてしまえば多少なりとも盛ってしまうのです。
 ですから、人の心理は裏の裏を取ることで、私は行いの正しい高潔な人間であり続けているのです。裏の裏はすなわち表なので、結局のところ一般庶民と言動が同じではないかと思う人がいますが、それは大きな間違いです。
 なぜなら、物事の裏をかける人は、表向きの事象に疑問を抱き、自身になるほどと座りが付いたところで、はい、いいえを答えます。要は自得的なのです。それは一見、理知的にも見えますが、腑に落ちるまで考え抜いてしまう恐れがあり、その所作に対して不快に感じる人だっていますよ。煙たがる人もいるはずです。
 一方で、最初から物事を勘ぐることなく受け入れる人というのは、何とも素直でありますから、概して人受けが良いでしょう。それ故に子供は可愛らしく見えるのです。なので、幼い頃の私は他人から愛された。今現在、私の周りには誰もいません。
 そんな屁理屈をこねるような人間が私だとしたら、尚更、過去の経験を語るのは愚行になりますよ。傍から見れば、何の変哲も無い、年配の方から言わせれば軟弱なもやしっ子に過ぎませんから。世間は客体として見ているのです。たとえ、それを打ち明けている現場が、しがない居酒屋であっても私の考え方は同様です。ですから、周囲でそんな小話が始まると、私は度量をほんの少し大きくして、聞き手に回るのです。先輩方は、追憶と過去の手柄話に浸る一方、私はそこに何も含意するものが無いと判断して、彼らの御猪口の様子を窺うのです。
 え、なんですって。彼らはそこまで深い意味を持って語っていない。だから、お前は出世が出来ない。
…それを言われると返答に詰まりますが、とにかく止めにしましょう。回想ほど時間稼ぎな手法はありませんでしょうし、それであれば、今現在、フロントガラスに写る街路樹が、流れる様子を語った方がましではありませんか。短文な書き手による低級な文面であれば、尚更辟易すると思います。

【NOVEL】復体 第3話|Naohiko (note.com)

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