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【NOVEL】復体 第4話

 私は戸口に掛かってある南京錠を外すと、思い切って玄関を開けて「こんばんは」と大きな声で言いました。居間にある時計の振り子の音だけが聞こえてきます。玄関は土間になっており、地面と同じ高さでコンクリートが敷かれています。私は玄関と居間を挟む硝子戸を開け、再び「おばぁちゃん、いませんか」と言いました。二回目の呼び声は、耳の遠い祖母のため、念のため繰り返してみただけです。
 室温を察するに祖母は留守なのです。私は、玄関で一旦脱いだ上着をその場で再び羽織りました。カーテンを開け、光を入れると、存外、部屋が片付いていることに気が付きました。茶棚に置いてある黒電話の傍にメモ用紙がありましたが、そこに何も記載が無いので、やはり用足しに行ったのでしょう。
 聞くところによると、祖母は三日に一遍の割合で隣町のスーパーへ買い物に行くそうです。とは言っても、足が無いので、タクシーの配車を電話で予約するようでした。
 私はどうして気の利いたことが出来ないのでしょう。訪問する以前に、電話を一本入れてやればと後悔しました。玄関の錠は、少々不可解ですが、祖母がいない理由を買い出しとすれば、まずまず合点が行きます。間が悪い、私の訪問が、祖母の買い出しの時間と重なったのであれば仕方がありません。私は一先ず炬燵のスイッチを入れ、部屋の隅にある灯油ストーブを点火させました。暖を取る中に退屈になった私は、茶箪笥にある普段は気にも留めない食器を眺めてみました。急須を集めるのが趣味である祖母は、旅行先で買って来ては、棚に飾っているだけで、普段使用するのは一つか二つほどだった気がします。観賞用としては、あまりにも渋い気もしますが、行儀良く陳列されているそれらを見ると、祖母の几帳面な性格が窺えます。
 その横に写真フィルムが雑多に置かれています。祖父は若い頃、一眼レフを持って奥羽山脈を青森から福島にかけて縦断したと言っていました。退職してからはめっきりしなくなったと言っていました。山に登ることと写真に収めることが趣味でしたから、面倒臭がりだった祖父のことです。現像されず放置されているのもあるでしょう。
 二人は高校教師でした。祖母が生徒だった頃、当時新米教師だった祖父に口説かれたそうです。それを聞いたとき、不純な動機で生徒に近づく教師もいたものだと思いましたが、同時に、学校に蔓延る破廉恥さは今も昔も変わらない気がしてなりません。
 私は同業者となり思ったのですが、教師という連中はどういうわけか、学生と似た居心地で学校に滞在している気がします。生徒には「人の話をよく聞け」と言っておきながら、当の本人は話を聞く姿勢すらなっておりませんし、身だしなみはきちっとしなさいと指導しておきながら、どうして便所サンダルで校舎を歩けるのですか。
 放課後、職員室で交わされる先生同士の会話なんて聞ける代物ではありませんよ。冗談を言い合うことで、ガス抜きをしているとしてしまえば口実が付くと思っているのです。あれはどうしてなのでしょう。同じ職場で働いている限り、彼らの人格が悪いとは決して思えませんし、そもそも人格などという観点で話を進めるのは、私にとって畑違いも甚だしいので止めにします。そうではなく、学校という人屋のような構造に問題がある気がします。小さな大人は生徒となり、一方で大人は教師となってしまう単純構図の背景に、教師となった元生徒は、自分自身の懐旧の念からふしだらな錯覚に陥るのではないのでしょうか。教室での出来事が、時代精神の投影と、それに伴う羨望によるものだとしたら、学校とはなんと狭小な世界なのでしょう。結局のところ、教育を受ける者と受けただけの者でしか成り立っていません。
そりゃ教員採用試験の面接の際、私は言いましたよ。「地元であるこの土地の教員になって、微力ながら貢献し、少しずつではありますが恩返ししていきたい」と。
 今思えば、あれは本音なのか建て前なのか、あるいはずる賢くなったが故の素直さなのか…いずれにせよ、教職を卑下している様な態度を少しでも見せなかったのは幸いです。そう言っておきながら、心中穏やかじゃないし、ましてや、準矛盾をはらんだ奴が合格通知をもらったわけですから、自分が異端であることを自覚していれば、採用面接や適性検査をやることに成果はありませんよ。私よりも遥かに優秀な卵は、見送られているはずです。
 自身を棚に上げる覚悟で教育者にならなければいけない。学生の頃の教師像は、単なる学園ドラマの影響でしょう。理想と現実のズレに気付くのは、社会人になってからでも遅くは無いのですから。
 たくさんの卒業アルバムが陳列されています。祖父母にとって、携わった生徒らの顔写真が載っているのでしょう。どれもこれも背表紙が日焼けして、そこだけ色けがありません。私は適当なアルバムを手に取り、ばらばらとめくっては、顔立ちの良い女子生徒を探してしまいました。やがて、手がくたびれたので、床に広げて眺めていると、教壇に立って微笑んでいる祖母の写真に目が留まりました。私が思う祖母は、炬燵で猫のようにぬくぬくしている姿でしたので、それが新鮮でなりません。一方で、祖父の教員時代も探しましたが、どういうわけか、彼が黒板を背にして撮っている写真は一枚もありませんでした。代わりに、管理職として、難しい顔で映っています。実のところ、祖父とは会話した記憶がありません。私が物心付いた頃には既に他界しており、それこそ遺影にある顔の印象しかありませんので、アルバムの顔写真だって、記載されてある名前を見て祖父と確信した位です。何にせよ、二人は教職を全うしていたようですし、私の大先輩に当たる方々になるわけです。
 私はアルバムを眺めるのも飽きてきたので、テレビを点けました。廊下にあった段ボールの中に、大量のみかんが入っていたので、そこから二つ三つ取ってきては、炬燵の上で剥いて食っていました。
 そりゃ、祖母のことは少し心配ですよ。こんなことになるのなら、無理にでも祖母に携帯電話を買ってやるべきだったと後悔しました。緊急時を想定しなくとも、今時、携帯電話を持って困ることはありませんでしょう。しかし、以前、私がそう提案しても祖母は、にこにこしているだけでしたから、私もまぁもう良いかと気が緩んでしまったので…これには反省しなくてはなりません。
 それに、彼女を探し出すにも私には土地勘がありません。ふと窓の外を見ると、ぼた雪が降っていました。
言い訳がましいが、私は五時まで待ってみようと思います。流石に夕飯の支度だってありますし、私も炊事を手伝えば良いわけです。しかし、そうなってくると、今晩私はこの家泊まることになってしまいそうです。当初の予定では、祖母はカステラでも出してくれたのでしょうか、お茶を啜り、互いの近況報告をし合う。そして「それでは、おばぁちゃん、そろそろお暇します」と別れを告げ、再び車にエンジンを掛けていたはずだったのですが、予定が大幅に狂ってきています。
 私は、寝転んで天井の板目を見つめていました。祖母が帰って来ない場合を想定してみましたが、すぐに止めにしました。何やら嫌な予感が立て続けに起こったからです。上体を起こし、台所へ向かいました。米櫃を開けてみると、ほとんど空でした。冷蔵庫を開けてみると、食材がぱらっとしかありません。その扉棚に目をやります。マヨネーズの油は分離しつつあり、醤油さしの先端も黒ずんでおり中身は少量です。
 水回りが渇いています。三角コーナーには、今朝調理したであろう野菜の切れ端しかありません。吊戸棚を開けると、調味料がきちんと陳列されていました。やはり、祖母は買い出しへ行ったのでしょう。
 廊下へ出た私は、便所に行きました。ペラペラな一枚板の引き戸を開けると、掛け型の小便器があり、向こうの扉をもう一枚開けると、汲み取り式の便所があります。臭突は十分に機能しているようで安心しました。いつだったか、夏場しばらく留守をしていた時があって、ここに入るたび当時の便所の臭いが思い起こされてなりません。煙草に火を付けてしまえば、引火して爆発するのではと思いましたから。用を終えた私は、思わずハンドルレバーを探してしまいました。
 便所だけで考えると、常々良い時代になったなと思います。差し当って、これを不便に感じない祖母の境地は、使い慣れている物が一番ということでしょう。私に渡す小遣いがあるならば、そのお金で便座が温かい洋式に買い替える方が、孫としてもうれしく思うのですが、言い出せずにいます。慣れ親しんだ環境には、当然のように恩恵を受けるものだっているわけですから、この家も変化は求めていないのでしょう。

【NOVEL】復体 第5話|Naohiko (note.com)

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