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【NOVEL】復体 第1話

【あらすじ】
就職が無事に決まり、祖母へ報告に向かう「私」だったが、家は留守だった。誰もいない家に勝手に入り、祖母の帰りを待つ「私」だったが、家の様子は不可解なことが多く、祖母の安否が心配になる。
まるで、祖母以外の誰かがいるような形跡があり、「私」は家のあちこちを散策する…
やがて、祖母は帰宅するが、話をすればするほど食い違いがあり、果たして祖母の虚言なのか、「私」の勘違いなのか、答えが見えない状況だった。

 突然ですが、貴方は人を危めたいと思ったことがありますか。私ですか…そりゃ、ありませんよ。自分で言うのも恐縮ですが、私は善意に満ちており、万有のすべてを平等に愛します。社会という網状組織で自活するにあたって、結局のところ、これが誠意として現れると悟ってしまったからです。網の目は蜘蛛の巣のように、もはやどこに繋がっているのか分かったものではありませんから、一つの箇所で真心を尽くしておけば、それがどこかへ連動している気がしてなりません。
 それでも、私の身に不遇な出来事があったとします。職場では、面白くない、認めたくないことは絶えずあります。この間だってありましたよ、上司と呼ぶべき者からの多大な圧力。詳細を語ってしまうと、ただの愚痴になってしまいますから、この辺で止めておきます。でもまぁ、こればっかりは仕方が無いので、最近では芸術的活動へ昇華するようにしています。少なくとも、ここ数年そうやって生きてきました。仏のような存在を目指しているわけではありませんが、私を取り巻く環境がそうさせているわけですから、殺意なんて芽生えたこと一度もありません。
 とは言っても学生の頃は違いますよ。少年だった時分、私は理非や前後を顧みない、子供らしいと言えばそうなのですが、とにかく腕白だったそうです。四五人で結託しては、男女問わず、時には学級担任をも泣かせてしまう、いわゆるギャングエイジとのこと。他人事のように言っていますが、今となっては、友人の名前も学級担任の風貌も思い出せないからです。ある日、生前だった母がそんな私にこう戒めるのでした。
「自分が嫌だと思うことを人にしてはいけません」
 これは、子供である本人の感じ方に委ねるわけですから、今思うと、少々危険な気もしますが、それを言った母は凛と引き締まった目で、私の目を見て言ってきたわけですし、その上、私は頬を手の平で打たれましたから、説教の内容よりも、彼女のそういった姿勢に反省を促された記憶があります。
 まぁ、子供である以上、言葉の説得で納得出来ることなんてたかが知れていますから、今思うと、あのくらいのことはされて当然でしょう。家の台所でした。
 両親は死にました。去年の暮れに母が、後を追うように父も脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまいました。こうも淡々としている理由の一つに、当時、私の社会的身分が不安定だったということが挙げられます。
非正規労働者がちっとも成長しないのは、雇用者がうるさく言えないからです。ちょっと強く言うものならば、彼らはすぐ辞めてしまうのです。雇用者は、彼らの首をいつでも切れるので、体の良いように扱うのが常ですから、両者の溝は一向に埋まらない。いくら年月が経っても、身分が定着しない私のような人間は、勤労に対して信念が無いまま、代えが利く仕事に従事しつつ、ぬるりと社会に纏わり付いていたのです。ちなみに、今日、離れようとせず絡み付いている輩は、この社会の表層を覆っている状態ですから、ここを突き抜けるまでの間は、世間というものがとても冷たく感じてしまうのも無理ありません。ですから、若者はアルバイトなんぞで世間を知った気でいるのは大いに間違っています。貴方が現場に来ることで、周りは変に気を使い始めるのです。それこそ、表立ってではなく、いつかお払い箱にすることも念頭に入れながら、雇用者というのは成果のみを求めるのです。オブラートというのは、胃の中で溶けるために粉薬を包むのですから、デンプンの膜にだって目的はありますよ。
 私の場合、それが両親とも似た関係が出来てしまっていた。自活しているようでしていない、私が家事炊事で貢献していると、彼らは却って強い要求が出来なくなっていたのです。
 衣食住が足りていた二十七八の私にとって、悩みと言えば、悩みと呼べる悩みがちっとも無いことでした。勤労による達成感で心が充足することはありませんし、物事への意欲に欠けると言いますか、そもそも自己の作用を他に及ぼすことが億劫になっていましたし、何が起こっても無関心でいられるのです。そんなもやしの様な、達観振る、インテリ気質の格好に憧れたばっかりに、遂には定着してしまったのです。その延長線に両親の不幸があっても、当初は動揺がありましたが、空しい一夜の散歩によって、変に清浄されていくのでした。
 早く身を固めて安心させてやれば…私の無情は、こうもこじれることは無かった。不安も無かったはずでしょう。要するに、親が死んで私は、ほっとしてしまったのです。不謹慎にも程がありますが、改めて心境を汲み取っても、悲哀よりも先行したのが安心だったわけですから、当時、涙一つ見せない私の姿に周りはさぞ薄情だと思ったことでしょう。
 二つ離れた弟が一人います。些細な喧嘩が機縁となってしまい、絶縁状態がかれこれ十年以上続いています。疎覚えにしたいものですが、嫌な思い出というのは鮮明です。
 あれは、たしか、私が家の池を見つめていた時のことです。そして、それは、弟が私を驚かしてやろうと、後ろからどんと池に突き落としたことが原因でしょう。片足を突っ込むくらいで済むと思っていたのでしょう。奴が力余ってしまった所為で、私は派手に浸かってしまい、泥だらけになった私の姿を見て、弟の方がびっくりしていました。当時、私は十五で女に振られたことにより、一人寂寞を覚えたおませな男子。そのセンチメンタルな心情を計らずに、あいつはふざけ半分だったのでしょう。時宜が悪かったのです。すぐにこてんぱんにしてやりました。
 赤い夕陽に塗られた空を、烏の群れが笑うようにして山へ帰って行くその下で、池の泥がもくもくと舞い上がる岩陰の中、金魚がおびえるように身を潜めていました。
 もし、本当にそれ以降、口を利いていないとすれば相当な強情というものでしょう。人生は八十まであるのが平常である昨今、その道のりは途方も無いものに思えます。元暦の語り物には「人間五十年~」というものがあったくらいですから、もし当時の気持ちになって近況を鑑みるのであれば「俺も人生折り返しだ。であれば好い加減、弟とも仲直りしてここはひとつ晩酌でも…」なんてことになるのかもしれません。
 それに、多感な二十代をここまでのらりくらりとしていなかったと思いますよ。残り時間に余裕が無いと気が付いてしまえば、それこそ自棄になって、傭兵にでも志願して、ビッグファイティングを求めて生き急いでいたかもしれません。

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