見出し画像

【NOVEL】復体 第3話

 本来、通い慣れた道なりというものは、運転手の心に隙を与えるものですが、今日に限っては鼓動が早いです。以前であれば、後部座席で悠々としていたわけですが、今回のように、道路標識に意識を向けることに中々のストレスを感じています。何せ私は、若者にありがちなAT限定のペーパードライバーですし、そもそも車の運転が面倒臭いです。
 現状を悲観しているわけではありませんよ。言い忘れましたが、私は車で一人、祖母の家へ向かう道中です。これをも楽しみに出来るようになったのは、大学卒業後、暗転とした精神に光が射し込んだからではありませんか。 先程、気随した持論を語ってしまったのは、車の運転に集中していないだけです。FMラジオを無意に流しているのも、これはただの雰囲気づくりに過ぎません。私は、自我同一性を意識する年頃だったのです。大概、独り善がりに陥るのでしたが、今現在、大げさな言い方をしてしまえば、達観しつつあるのです。人の話に耳を傾けるようになったのも、こうして祖母の安否を気遣い、率先して出向くようになったのも、すべては大人振ることによる大人への同調を目指しているのです。
 祖母としては、実の娘に先立たれてしまったわけですから、さぞ遣る瀬無い思いだったに違いありません。母が、医者に末期がんと宣告された際、祖母は待合室で私に言いました。「代われるものなら即刻、代わってやりたい」と。
 母が子に対する慈愛というものは、廃れるものではないだろうし、母と子はいくつになってもそうである以上、孫の私が介入する余地は勿論ありません。私が出来ることは、母の代わりになれずとも様子を窺うことくらいです。私と祖母の関係は良好ですが、気の利いたことはあまりしたことが無いので、実際会えば、あたふたするのは目に見えています。年配者には、気持ちを伝えることが大切でしょう。
 そのような目的があって、祖母の住む郊外へやって来たのです。
人気が無く、日中でもシャッターを下ろしている商店街。寂れた二つの球体をぶら下げた街灯が等間隔で点々と並んでいます。時折、擦れ違う対向車は軽自動車が大半です。貧しい暮らしと言ってしまえば言い過ぎで、かと言って、高級なL型セダンが通れば、それはそれで背景にそぐわない。
 近頃、太陽は顔を出さずにいます。雪国では珍しく無いが、空気は冷たく湿っぽく、こうも雲が垂れ込めていると、こっちまで辛気臭くなってしまいます。
 橋を渡り、すぐ右折して、河沿いを走ります。土手に沿って並ぶ桜の木はすっかり水気を失い寒々としています。川の水は澄んでいるが、河床には砂礫や丸石が堆積していて流れに勢いがありません。
 田舎の道は、等閑にされている箇所が多いです。大型車両が往来する雪道は、タイヤチェーンでアスファルトが削られ悪路になっていきます。冬は長く厳しく、舗装された道の様子も白く覆われ、中々全貌を見ることが出来ません。
 私が幼い頃、父は「田舎の道は嫌だ」と良く文句を言っていました。助手席に座る母は、せっかちに運転する父をいつもなだめていました。後部座席に座る私と弟は、涼しい顔でポータブルゲーム機をぴこぴこしていた気がします。
 人家の間にある狭い道路へ差し掛かります。明らかに車一台分の道幅なのに、一方通行の標識は無く、対向車が来るものなら見ず知らずの家の門脇に幅寄せしなくてはなりません。お蔭で交差点付近の電柱には、車両が擦った跡がそこここにあり、一人運転している私も不安で仕方がありません。そんな車泣かせの路地を曲がり、少し進むと、浅い切妻屋根があります。緑ごけが生えた瓦屋根、よそ見をしていると、うっかり通り過ぎてしまいそうな平屋が祖母の家です。隣に車庫があります。以前、祖父のブルーバードが停まっていましたが、亡くなってからは伽藍堂になっています。車を車庫に停めて、漸くエンジンを切ると辺りはしんとしました。側溝が雪で埋もれています。一応上着は羽織りましたが、私はすぐ帰るつもりだったので身形はいたって軽装でした。
 玄関の引き戸に掛かってある南京錠。今時、これで施錠されたことになってしまうのも驚きですが、それは私が田舎事情を知らないからです。以前、これではあまりにも粗末ではないかと祖母に指摘しましたが、祖母はにこにこして私の気の配りを受け流しておりました。まぁ、雪国の田舎町、祖母はそのような盗人がいないと勝手に信用しているのでしょうし、仮に私が盗人であったとしても、この家に入ろうとは思いません。
 …はて、良く見ると錠前の巾着が外れています。居るのであれば、祖母は錠を家の箪笥に仕舞うはずですし、居ないのであれば錠を掛けるはずです。家の腰窓から中を覗こうとしましたが、分厚いカーテンが閉められています。
 思えば、母が死んだ後、祖母の家を訪ねるのは初めてです。私一人で彼女を訪ねるのも初めてです。ひょっとすると、留守なのかもしれない。そう頭によぎったとき、私は落胆したのと同時に安堵してしまいました。わざわざ、悪路続きの道を経て来たことが徒労に終わるが、口下手な私からすると、正直、祖母と二人きりでいるのも何だか気持ちがしっくりしないと思ったからです。
 考えているうちに、私はすぐに行動へ移せない自分に不愉快になっていくのでした。

【NOVEL】復体 第4話|Naohiko (note.com)

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?