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【NOVEL】復体 第8話

 夕食を終え、後片付けを終えた私と祖母は、居間の炬燵で暖を取っていました。祖母は茶箪笥の引き戸に手を伸ばし、茶缶を取り出すと、茶葉を急須に入れます。
「雪道でねぇ…」とだけ言った祖母。
「まぁ、四駆なので…」と私。
 加えて、悪路には慣れていますからと強がってみせましたが、祖母は声を立てずに笑っています。
「何時こっちに着いだの」
「三時頃でしたかね」
「んだが、んじゃ順調だったわげだ」と言って、湯飲みに茶を注ぎ入れると、私の前に置きました。
 和やかな表情の背後には、祖母が私のことをすべて悟っているかのようです。祖母でありながらも、亡き母であるかのような、不思議な感覚に陥ってしまいました。一方で、こちらからすると、正体が知れずにいるが、あちらは随分と私のことを知っている風なので、失礼ながら、気味の悪さを感じてしまうのです。落ち着き払うその佇まいは、孫が来たことによる喜びとは異なります。私が来ることを、平生から準備しているようで、というよりもはや、その支度は無用なのです。
 臙脂色のセーターの襟元から覗かせる黒の肌着は、私が着ているメーカーと同じものです。安価で利便性の高いそれは、老若男女を選ばずに大衆へ浸透しております。が、何事も有り合わせで済ませる祖母の性格上、それすらも若干の違和感があったのです。あまりにも深読みな見解ですが、御覧の通り、祖母は基本的に良し悪し問わず、何事も程よくあしらう人間なのです。要するに、彼女が進んで購入した物とは思えない。
 祖母は、ずずずと音を立てて茶を飲むと、私の報告を改めて喜んでくれるのでした。
「にしても、良がったねぇ」
「いや、ははは…」
「赴任先とか決まったのかい?」
 私は大凡の地域を答えると、祖母は「あの辺りは長閑で良いよ」と言ってくれました。
 炬燵で向かい合う私と祖母の間には、竹籠に入ったみかんが積んであります。
「今の学校はどうだい」
 私は少し視線を落としました。仕事の具合が上手くいった試しがほとんどありませんし、ここ最近、生彩を欠く日々です。そんな心を、大先輩である祖母に見抜かれている気がします。
「…まぁ、相変わらず、生徒にぶーぶー言われながらやっています」
「ふふふ」
「講師は肩身が狭いですし…」
「…」
「最近では、外国人教員の増加も著しいですから…」
「まぁ、新聞で読んだわ。まさが、余所者が国語を教える日が来るなんてねぇ。学校も変わっでいぐねぇ…」
 祖母は一瞬、複雑な顔をしてみせました。当初、私にだって不満はありました。けれど、彼らの友好的な様と、この国の文化を取り入れようとする学習意欲には恐れ入りました。彼らを見て省察するのです。このまま負けてはいられないと一時は奮起するも、授業では活かされず、それが歯痒いのです。自分の偏った専門性と口下手な性格。もし仮に、学校という職場を正面から“良し”と言えるのかと聞かれれば、私は躊躇ってしまいます。それが態度に出るので、いくら教職らしい風体をしていても、生徒にすぐ見抜かれてしまうのでしょう。あぁでも無い、こうでも無いと日夜、教材研究をしていても、功を奏すことは、ほとんどありませんでした。
 ある日、年配の先生が酒の場で、こんなことを話してくれました。「授業は慣れと度胸だよ」加えて、横にいた同僚が「あと、体力だな」年季が入った助言には説得力があるのですが、如何せん、三拍子揃っていない私の場合は、こりゃ粛々と年を取るしか方法は無いのかもしれない、と思ったほどです。
 一方で彼らは違います。近頃は澱みのない日本語に加え、ラテン的な勢いもありますから、生徒が欲しがる素地によく馴染むのです。
 湯気立つ湯飲みを見つめながら、私は言いました。
「矛盾しています、この国は…」
 言葉を敢えて後略しました。私は、倒置的に大きな規模で批判しようとしたのですが、上手い言葉が見つからず、口ごもってしまったからです。
 暗に察してか、祖母は話題を変えてきました。
「そいや、憲二郎は元気にしてっがい」
 私は苦笑いをしてみせると、幾分間を置いて言いました。
「まぁ、どうなんでしょう、連絡は取っていません」
 私は一旦、茶を啜ると続けて言いました。
「あいつも院生になって二年目でしょうし、好き勝手やられては困ります」
「ふふ、んだが」
「そうですよ。そろそろ将来を考えてくれないと困ります」
「生活に困ってないべが」と聞く祖母の顔は、やはり和やかです。
「おそらく、奨学金も借りているでしょうし問題無いはずです。それに、おばぁちゃんが心配することではありません」
「そうが」
「そうです、あの時期に小金があってはロクなことに使いませんので、むしろ、少し困窮している方が今後のためですよ。少なくとも、学生はそうあるべきです。都心であればバイト先なんていくらでもあるでしょうし、自分で稼ぐことも覚えるべきなのです」
「ふふ、バイトにも勤しむが…」そう呟いた祖母は、心なしか悲しんで見えました。
「…いえ、大学院にいる以上、勉強を優先するのは当たり前です。あいつに至っては、ただの勉強では無く、資格を踏まえたものが望ましいです。あのままでは路頭に迷うのが目に見えていますし、少なくとも就職に関連したものでないと…」
 祖母は、徐にテレビを点けました。祖母の座る位置からですと快適に見えますが、私の位置からでは、腰を右に回さないと画面が見えません。そこに映るバラエティ番組には、芸人達がひな壇で手を叩いて笑っています。
「ふふ、矛盾してねぇが。さっぎがらまるで昔の自分に言っでるみでぇだな」
「…そうでしょうか」
「んだっちゃ、あんだ、大学に入った頃『大学は勉強する所だ、労働なんて社会に出ればいくらでも出来る!』なんて言っでだっけよ」
「…」
「学生の本分知っておきながら、その二つを熟すのは本意なんだべが」
 柔和な表情からの冷淡な返しだったので、少し驚きました。その古臭い問い掛けに私の耳は打たれました。
「…まぁ、バランスを取るべきだと言っているのです」
 湯飲みの茶渋に目を落として話す私は、何となく心が進むままに口を開くのですが、それは苦し紛れの答えだったかもしれません。
「勉強を優先しつつ、アルバイトを両立しろと」と祖母。
「…そうです、中々難しいですが…」と私。
「中々大変だねぇ」
 私の弟に対するとげとげしい態度を嫌ってか、祖母はそれだけ言うと、黙ってしまいました。竹籠にあるみかんに手を伸ばしたかと思えば、二つ取ったうちの一つ、こちらに転がしてきました。
 私はそれを揉みほぐしながら、壁掛けのカレンダーを見て、頃合と思いましたから、話題を変えました。

【NOVEL】復体 第9話(最終話)|Naohiko (note.com)

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