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【NOVEL】復体 第5話

 窓際で二匹の蠅が手を擦り合わせています。
 大体、この国の祖父母は、どうして孫に金を渡したがるのでしょうか。彼らが幼い頃、もらっていたのと同様、孫が誕生すれば、世襲的に与えていくものでしょうか。けれど、孫というのは、お金の使い方を分かっていませんよ。将来的な見通しとして、学費を工面してくれるならまだしも、子供に小金を与えるだけではロクなことがありません。私の経験と、周りの連中もそうですが、そうして年配に甘やかされた奴は、本意の困窮をしたことが無いため、目先の苦労が分かるとすぐ横道へ行く癖が出てしまいます。
 だから、これまで頂いた小遣いは、ある種の奨学金だったと思っています。偏屈な私にとって、返済するという気持ちで無ければ、再び甘えてしまいそうですし、思えば、両親は祖父母に仕送りをしていましたから、それが巡り巡っていると思えば損得勘定も失せていくでしょう。
 私は便所を出て、そのまま廊下伝いに歩いて行きますと、庇の浅いベランダに出ました。脇に置いてある揺り椅子には、よく遊んでもらった記憶があります。幼い頃には、設えていた庭もすっかり茂っており、苗木だった木蓮もいつの間にか見上げるようになっています。大きくなり過ぎて庭に日蔭をつくっている。
 念のため私は、その場で「おばぁちゃん」と呼び声をあげてみましたが、辺りはしんとしています。決して広くは無いのだが、祖母の趣味がギュッと集約されているようで、無駄がある様で無駄が無く、無駄が無いのかと思えば、単純に彼女の背丈に合うように配置されている気もします。
 良く見ると、庭は少々手入れされている様です。ほったらかしにしておけば、そりゃもっと雑草が繁茂するはずなのですが、この敷地を祖母一人で維持しているのでしょうか。庭木も剪定された跡があり、これには感心しました。
 寝室へ向かいました。家の主が不在にも拘わらず、これまた不躾ですが、私は、そこにきちんと生活感があるかどうかを確認したかっただけです。それに、先程あれだけ居間で暇を持て余しておきながら、実は祖母は寝室で寝ていました、なんて間抜けなこともあり得るからです。
 襖を開けてみると、やはり誰も居ません。寝室といっても、八畳一間の部屋に過ぎません。畳のい草がふやけており、足裏が床にめり込むようで気味が悪いです。張り替えるべきでしょう。祖母が、愛用している小振りの化粧台に変わった様子は無い。敷いてあるぺちゃんこの座布団には、座した跡があります。脇に洋服箪笥があります。箪笥の上に、空の洋服箱が積み重なっており、埃が大層積もっています。祖母の背丈では、掃除が出来ないのでしょう。
 箪笥の横には、それと同じ位の大きさの音響機器がどんとあります。スピーカーグリルが焼き網のように粗く、木造りの脚が畳にめり込んでいます。調度品にしては驚きでしたが、こんな山水箱のスピーカーボックスが、寝室にあるとは知りませんでした。私が幼い頃、既にあったと思いますが、当時目に留まることが無かったのでしょう。
 年寄りというのは、大して掃除をしなくても平気な気質です。祖母だって例外ではありませんが、その割には目が届く範囲は綺麗にしている様です。押入れにあった敷布団も清潔でした。脇に置いてある、布団乾燥機を利用しているのでしょう。
 残された者の辛い理由が、家具に表れているとすれば、比較的、女は強いと思います。もし、先立たれた者が祖母では無く、祖父だった場合、それこそ足の踏み場も無いゴミ屋敷になっていたに違いありません。歳を取った孤独な者は、概して男の方が惨めに思えてなりません。働き、働く意外、外界との情報を閉ざす生き物は、克己心でのみ定年を迎え、その先に孤独という試練が待ち受け、やがて諦観的になるのも、昨今取り上げ易い社会問題じゃありませんか。
 当然でしたが、祖母は一人できちんと自活している様です。あれこれ気を回してしまいましたが、無用な心配だった。少々不可解な箇所もあるのですが、探偵気取りはここまでにしておきましょう。
 寝室を出ようとしたその時、電話の呼び鈴が居間の方で鳴っているのが聞こえて来ました。ジリリリリンという甲高いベルの音に私は一瞬、耳を疑ってしまいました。というのも、先方が祖母の友人である可能性は考えにくいからです。これまで、祖母が人を招き入れて談話しているところを見たこともなければ、聞いたこともありません。身内は、私だけのはずです。言ってしまえば、彼女は孤独な人であり、それ故に電話を介して誰かと連絡を取ることはほとんどありません。
 私は急いで居間へ戻り、茶棚にある黒電話の受話器を取りました。
「もしもし…」
 普段であれば、その言葉の後ろに佐々木ですと名乗るのでしたが、私と祖母は姓が違います。私は人の家の電話を勝手に取ってしまった手前、それを躊躇うのです。
「もしもし、その声は健ちゃん」
「…おばぁちゃん」
「んだよ、やっぱり来てくれだのね」
「?」
 祖母の言葉に不審さがありましたし、そもそも彼女が電話を掛けて来ることにも準矛盾が生じている気がするのです。祖母は一人暮らしです。
「…本当におばぁちゃんですか」
「んだよ、健ちゃん、どうして」
「どうして、自分の家に電話を掛けようと思ったのですか」
 柔らかく優しい口調から、私は勝手に祖母の顔を思い浮かべていましたが、電話先への疑念が膨らんでしまいました。幾分、間を空けると祖母(?)は言いました。
「…健ちゃんとの約束を思い出しだがらよ」
「約束って…」
 私はふと顔を上げて、壁掛けの月間カレンダーに目をやりました。そして今日の日付の枠を見て驚いてしまうのです。
      【午後四時、健一】
 私は、今日訪問することを祖母に伝えておりません。ですが、祖母が事前に知っていたとすれば、それを連絡したのは間違いなく私になってしまうのです。私の記憶違いであれば良いのですが、その時どうも腑に落ちませんでした。
「あぁ…おばぁちゃん、今どこにいますか」
「タクシーの中よ」
「タクシーですか」
「んだ、買い物してで、もうすぐ着ぐから待っでらい」
 受話器の向こうで、車が雪道を走る音が聞こえて来ます。そこに疑う余地はありませんので、私は素直に「わかりました」と言いました。
 「おばぁちゃん」
 「なんだい」
 「…いえ、気を付けて」

【NOVEL】復体 第6話|Naohiko (note.com)

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